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「アンナ・パヴロワ印象記」 三島章道 (1922.10)

2022年05月15日 | バレエ 1 アンナ・パヴロワ 

  

 アンナ・パヴロワ印象記
          三島章道
  
 アンナ・パヴロワが來朝すると云ふ噂があってから、舞踊愛好者及び研究者は、世界的大舞踊家に接する日をずい分待ちこがれてゐた。私もたしかにその一人であった。
 アンナ・パヴロワの年齢は、本統は誰にもあまりよくわかってゐないようであるが、三十九歳とか云はれてゐるが、まあ四十以上だらうと思ふ。彼女はペテルグラードに産れて、十歳の時、帝室舞踊學校に入った。この學校に入るには、仲々むづかしいので、大ぜいの子供の中から選ばれるのである。學校に入れば、すべて帝室のお金で一さい世話をして貰へるので、寄宿舎に入って、まるで修道院の生活のやうな生活をしながら、只管 ひたすら 、舞踊其他を學ぶのである。十六の時彼女はこゝを卒業し、しかも得難い「第一級の舞踊家」の免狀を得たのである。彼女の非凡の舞踊はたちまちにして世に認められ喝采を受けた。彼女はそれからヨーロッパの各都市をまはって、非常な賞讃を得、世界一の舞姫 バレリナ と云ふ名さへ得たのであった。彼女はディアギレフの舞踊團にはじめには居たのであるが、彼女は其處は出てしまった。そして一座を率ゐて鳥のやうに、人々の熱狂的な感激を身にあびながら、あちこちの都市をまはって居たが、最近は主に倫敦と巴里で演じた。米國やメキシコにも行った。 
 パヴロワの經歷については、もう大分書かれたから、その位にして、今度帝劇に於けるその舞踊の印象をこゝに御紹介しやうと思ふ。
 先づ私は初日を見に行った。一番はじめのものは『アマリラ』と云ふのであった。これはまあ舞踊劇とも云ふべく、一つの筋があって、それを默劇(パントマイム)式に演じつゝ音樂につれて舞ふのである。
 露西亞舞踊にはたくさんこうゆうものがあるのであるが、この『アマリラ』はそのうちの決していゝものではないのである。もう過去の時代のものと云ふべきものなのである。露西亞舞踊にディアギレフと云ふ人が出て、露西亞舞踊をして、舞踊、音樂、舞臺裝置を渾然調和統一させた立派な眞に綜合藝術として價値あるものにしたのであった。しかしこの『アマリラ』はその時代以前に屬すべき組立てかたの舞踊劇で、全體的に一貫しての統一もなく、舞臺裝置も非美術的でつまらぬものであった。卽ちこの『アマリラ』なる舞踊劇は、舞踊劇そのものとしては、決していゝものではないのである。しかし、このつまらぬ舞踊劇も、パヴロワ及びヴォリニンの二人が登場すると、まったく我々の魂が、何物かにつかれでもしたやうに奪はれてしまふのは、全く、二人が非常なる舞踊の名手だからである。それは丁度、つまらぬ劇でも非常に上手なる役者が演じると、つい涙が出て來たりするようなのもである。とにかく二人は非常なる踊り手である。初め他の踊り手が踊ってゐるとき、仲々うまいと思ふ人が居る。又、とにかく、これだけそろって一團となって日本に來たことはないのだから、ずい分我々も、感心してみてゐる踊りが、部分的にはあっても、この二人の名手ーパヴロワとヴォリニンが出て來ると、實際太陽と月の前の星の如くである。實に我がパヴロワは太陽である。  
 パヴロワの舞踊は全く、人間わざとは思へない。その輕 かろ さは、風の前の木の葉のやうだ。パヴロワのことを「見えざる翼を持つ人」と云ふ言葉を以て評するが、まったくその言葉はあたってゐる。はねそのもののやうな人である。しかも、瞬間々々實に美しい姿態をつゞけて踊りぬく。どの瞬間の姿態、如何なる姿態をしても、少しもバランスがくづれないで、立派な彫刻である。實 げ にパヴロワは偉大なる彫刻家にして同時に、彫刻そのものである。彫刻の聯續的飛躍である。體全體に音樂のはねがはえてゐるような人である。
 ヴォリニンも立派な踊り手である。彼もディアギレフの舞踊團に居たことのある名手である。パヴロワの相手をすべく立派な踊り手である。實にロシア的な強い感じのある人で、舞臺一ぱいにひろがって、自由に、たからかに舞ふ人であった。
 第二の『ショピニアナ』は、ショパンの舞曲を、グラヅノフが編曲したもので、ポロネーズ、プレリコード、ウォルツ、マヅルカ、等を踊るのである。全體的の統一あるものではないが、部分々々にはなか〱いい踊りがある。舞臺裝置は例の通り面白くないものであった。
 やはり、この踊りにも、パヴロワとヴォリニンの二人が立派な踊りを舞った。ことにヴォリニンのウォルツはすてきであった。如何なる飛躍、如何なる旋轉も少しも音樂と一絲 し みだれぬたしかさをもって、舞ふのは實際、胸がすくやうに感じられた。男性的な強い感じのする踊りである。
 それから面白いのは小品の踊りである。こゝにパヴロワはお得意の『瀕死の白鳥』がある。これは實にすばらしいものであった。
 これはある時パヴロワが公園を散歩してゐて、白鳥の弱ってゆくのを見て、サンサーンの曲につけて、この舞踊をつくったのだ。パヴロワは、もうすっかりこれを手のものにして居る。小さな翼をつけて、トウで立って、手を波のやうにうごかしながら出てくるところから、もう白鳥の感じである。實に美しい形である。人間の體で出來る最も美しい形で踊る。こうゆう踊りを、あまりに白鳥の模倣になりすぎると云ふような見方もあるが、しかし私は、人間の肉體で表現出來る、こんなに美しい舞踊的寫生が、又とこの世にあるかと云ひたいのだ。パヴロワのこの舞ひはまったく人間だと思へない。何かもっと美しいものが舞ってでも居るようである。しかも決して不自然な感じがしない。そこがパヴロワの舞踊の妙技のおかげで、我がパヴロワの偉いところなのである。
 ヴォリニンの『ピエロー』も面白かった。ユーモレスクの音樂が體の中にしみこんでゐるように音樂的だ。一つの花を持ってをどる踊りも、うまいものだ。實にうまい。うまいと云ふより言葉がない。
 それから多くの舞姫が『希臘 ギリシヤ 舞踊』を舞った。これは踊りとしてはみんな、そんなに上手(世界一流と云ふほどに)では勿論ない。しかし、みんなの體が美しいのだ。何と云ふ美しい容姿 フイギアー を持った人々だらう。ほんとうにめぐまれたる人々だ。日本人では一寸この踊りは出來ない。こんな美しいからだを持って居ないから。‥‥‥長い手、長い脚、それがそろって、音樂につれて、美しいカーヴを描いて舞ふときは實際恍惚とさせられる。めぐまれたる人々哉。
 それから最後の、パヴロワとヴォリニンの『バッキャアル』がよかった。二人が音樂につれて走って出てくるときは、觀客席にとびこむかと思はれる程の勢ひである。この舞踊では勢ひと力のリズムである。パヴロワは十七八の若さをもって踊るのであった。その勢ひと鋭さは、まるで颱風のやうである。かろさは、つばめのやうである。
 十四日にはプログラムがかはった。はじめに『コッペリア』と云ふのがあったが、これは、又、くだらぬ舞踊劇であった。何の統一もなく、只、いろ〱な踊りををどるだけで、舞臺裝置もなってゐないはものだった。それにこれには、パヴロワとヴォリニンとが出ないのでなほつまらなかった。舞臺はダレる、つまらなくなる。
 それから『雪片(スノー・フレークス)』がある。これは亞米利加の有名な舞臺裝置者ジョセフ・ウルバンの裝置だけあって情緒的にまとまって居り、調子も色彩の調和も共にいゝものであった。衣裳もいゝ。白い雪の玉を持っての踊りなぞは、夢幻的の味ひがある。それにチャイコウスキーの音樂がいゝ。オーケストラは、正直に云ふとあまり上手ではない。コンダクターは立派でありその努力ぶりには尊敬するが、何分にも雇 やとひ 兵で、短時日の練習だからむりがないのだ。
 二のかはりのだしものも、やはり小品に面白いのがある。パヴロワの『蜻蛉 とんぼ 』は又非常なものである。實に微妙な巧妙なものである。まるで足が舞臺についてゐるようには思へない、空中を踊ってゐるか、みなそこへ沈むででも行くやうな感じである。その手のつかい方もうまいものだ。ほんとにとんぼのやうな感じである。私は恍惚として了 しま った。『白鳥』はダイヤモンドで、『蜻蛉』はサファイヤである。
 ヴォリニンの『弓と矢』もよかった。實に男性的なキビ〱した踊りで、勇敢な鋭い味がある。ヴォリニンはすっかりこなしてゐる。  
 それから『和蘭 オランダ 舞踊』が可愛らしいおどりであった。音樂が面白い。まるで、漫畵的な踊りだ。木ぼりの彫刻のやうな感じだ。人形のやうだ。可愛らしい踊りだ。私はうれしくなって了った。
 『セーン・ダンサント』でバレー・マスターのピアノスキーの踊りをみた。輕い〱蚊とんぼのやうな人だ。脚なぞは蚊とんぼのはねよりかるい感じだ。音樂ともピッタリしてうまいものである。
   
 このパヴロワの舞踊が、我が國の獨り舞踊界のみならず、一般の藝術界に及ぼす刺戟は大きなものであらう。それを思ふとパ夫人の一行が來てくれたことはたしかに感謝である。舞踊の世界的の標準がこれでたしかに解 わか ったわけである。  
 なほ最後に私はパヴロワ一團の稽古のすばらしさを書いておかうと思ふ。彼等は日本に着いたすぐその翌日から猛烈な稽古をした。朝早くから‥‥‥。殆ど休みなしにつゞける。そしてパヴロワは下まはりの舞ひ手と一緒になって、猛烈な稽古をする。しかもみんなにこ〱して、さも愉快そうにやる。しかも火の出るやうな猛烈さである。しかも十日に初日を出した翌日の十一日も十二日も十三日も、毎日やるのである。日本の劇界にこんな熱心な稽古が又とあらうか。世界的になるにはらくなことではない。パヴロワの世界的の地位は天才のしからしむるところだが、獨り天才のみではなく半分は努力だ。そしてパヴロワと一緒に居る人々の努力もえらいものだ。日本の一流の役者なんて(役者に限らず何事でも)あまり稽古なんてしやしない。ことに下まはりと一緒になってむきになってやる人は少ない。しかも、もう四十五十になって、しかも、遠い田舎(日本はまあ田舎だ)にやって來て倫敦から一日も休みなき旅のつかれも休めないですぐ猛烈な稽古をする熱心な努力。それには私は涙が出る程感激した。これはひとり、藝術に限らない。一體日本人はすぐ一流になったりすると慢心して勉強しない。日本の一流は世界の一流の前に恥ぢろと云ひたい。  
 これで筆をおく。


  
   寫眞は九月十七日三島章道氏のお邸で開かれた歡迎會のとき、撮影したものです。向って左よりパ夫人、三島氏夫人、三島章道氏。  
   
〔蔵書目録注〕
  
  上の文と写真は、大正十一年十月一日発行の雑誌 『婦人之友』 第十六卷 第十號 に掲載されたものである。
  なお、一番上の右の写真は、口絵にある「アンナ・パブロワ夫人」である。



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