蔵書目録

明治・大正・昭和:音楽、演劇、舞踊、軍事、医学、教習、中共、文化大革命、目録:蓄音器、風琴、煙火、音譜、絵葉書

「( 歌ごゝろ )」 北原白秋 (大正)

2023年05月09日 | 人物 作家、歌人、画家他

     

  歌ごゝろ
 かういふことがあつた。
 或歌自慢の人が、眞間にたづねて來て、私に歌をな見てくれといつた。私はまあ散歩でもしてみようと、一緒に外につれ出したものだ。その人は途々何かしらしやべくつてゐたやうたが、私は夕方の空や、田圃の景色にばかり眺め入つてゐたのである。
 まだ赤い夕燒が西の空には殘つてゐた。眞間の小川の土手の上を歩いてゐると、ふとその人がしやがんで小石を拾つた。何をするのかと見ると、何といふ可憐な繪模樣だつたらう、私は思はず立ちどまつてしまつた。
 そこには鮮かなの葉の河楊が水の面に揺れてゐた。その撓んで揺れ動いてゐる一つの枝には、まだ小さな燕の子が一羽とまつてゐた。また一羽來た。枝はいよいよ搖れる。枝の先は水へついて、波を立ててゐる。燕の子たちは、紅い頬を揃へて、さもさも恐しさうに啼きたてる。また一羽とまると、枝はいよいよ揺れだした。ともすると、すべり落ちさうになるので、今は必死になつてすがりついてゐる。その艶々した黑い裂羽、いたいけな啼聲。それだけでもかはいのに、また一羽羽ばたいて、つい近くまでやつて來るが、枝の上の燕の子はそれを見て、あわてて、いけないいけないと啼く。これ以上とまつては、枝がすつかり水につかつてしまふのである。空の一羽はとまるにはとまられず、寂しさうに啼きながら翔つては近寄り、近寄つてはまた翔りだす。
 その燕に向つて小石を投げたのである。
 私ははつとしたが、それでも默つてゐた。寂しい氣持でほゝゑみながら、私はまた何氣なく歩みを續けた。さうして或所までその人を送つて行つてから、「さやうなら、またお出でなさい。」と別れの握手をした。それで歌はとうとう見ずじまひである。見なくとも、もうどれだけの歌かわかつてしまつたのである。無論どれだけの歌を作る人かもわかつゐる。
 なぜか。
 それは、その一事で、その人の人柄がまだ出來てゐないといふことが、はつきりと私にはわかつてしまつたからである。心が出來なければ歌は出來ない。   (洗心雜話)
   
 〔蔵書目録注〕
  
 上の写真と文は、昭和十三年十二月十日発行の雑誌『北京近代科学図書館館刊』 第五号 開館二周年記念号 の 対譯之頁 に掲載されたものである。(この雑誌は、表紙は第四号まで「館刊」、第五号から「館栞」となっている。)
 『洗心雜話』は、大正十年七月にアルスより発行された書籍で、大正六年十一月から七年十月に短歌雑誌「珊瑚礁」に書いたものを集めたものであるという。
 なお、上の文の「歌ごゝろ」という標題は、『洗心雜話』では見当たらず、また、漢字を平假名にしたり、片假名を平假名にしたりと、一部の表記方法も変えている。



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