本書は、1988年7月から1990年6月の間の『太陽』に連載されていたものと、その他の江戸に関する文章から構成されている。
具体的には、「複数の人間に共有される場」という「連の場」、春画、遊女、三味線を通した江戸のエロシズム、そして「連の場」に集まる人として、山東京伝、平賀源内、松尾芭蕉、与謝蕪村などについて書かれている。
とても印象に残った一文は次のとおり。「日本文化の諸現象における全体とは、完結しない全体なので」あり、「その全体を作っている要素もまた、どこからどこまでが一つの要素なのかを、簡単に特定することはできない」という文(130ページ)。これは、大江健三郎さんがいう日本の「あいまいさ」ともつながってくるのだろう。
その際が明確でないので、状況に応じて、拡大したり、縮小したりと臨機応変に変化してしまうのだろう。だから、全体像は当然見えないし、その全体像を構成する各部分も見えないということだと思われる。
具体的には、「複数の人間に共有される場」という「連の場」、春画、遊女、三味線を通した江戸のエロシズム、そして「連の場」に集まる人として、山東京伝、平賀源内、松尾芭蕉、与謝蕪村などについて書かれている。
とても印象に残った一文は次のとおり。「日本文化の諸現象における全体とは、完結しない全体なので」あり、「その全体を作っている要素もまた、どこからどこまでが一つの要素なのかを、簡単に特定することはできない」という文(130ページ)。これは、大江健三郎さんがいう日本の「あいまいさ」ともつながってくるのだろう。
その際が明確でないので、状況に応じて、拡大したり、縮小したりと臨機応変に変化してしまうのだろう。だから、全体像は当然見えないし、その全体像を構成する各部分も見えないということだと思われる。