本書は、石川さんの代表的作品である。1960年代半ばに、先に渡米した兄をたよって、高校を卒業してすぐに渡米したところから、始まる。
兄が働いているイチゴ農場で働き始める一方、英語の勉強のため、現地の高校にも行くことになった。
その農場では、労働者として、メキシコ人も働いているいたが、ほとんどが不法入国者だった。当時のカリフォルニア州の農業は彼らの労働力に頼っていたため、移民局の摘発はそんなには厳しくなかったようだが、石川さんの働く農場にも年に数回摘発があったようだ。
あるとき、石川さんはメキシコとの国境近くの町に行った際に、メキシコ側の貧困さがすぐにわかったという(174頁)。
また、米国の理想主義が「実現することがないようなことを掲げざるを得なく」なった原因が「男が女を求め」る方法にあるのではといい、「先にこの大陸に渡った男たちが、あまりの人恋しさあるいは女性恋しさに、外部世界に向けて、あり得べき夢と理想をあまりに声高に叫んでしまったことから、あの理想主義は掲げられ続けることになった」(288頁から289頁)。現地の女性とは交流する機会がほとんどないことから、出身国の女性を求めたというのは自然の流れだったろう。
このような米国論は聞いたことがなかったので、かなり新鮮であった。
兄が働いているイチゴ農場で働き始める一方、英語の勉強のため、現地の高校にも行くことになった。
その農場では、労働者として、メキシコ人も働いているいたが、ほとんどが不法入国者だった。当時のカリフォルニア州の農業は彼らの労働力に頼っていたため、移民局の摘発はそんなには厳しくなかったようだが、石川さんの働く農場にも年に数回摘発があったようだ。
あるとき、石川さんはメキシコとの国境近くの町に行った際に、メキシコ側の貧困さがすぐにわかったという(174頁)。
また、米国の理想主義が「実現することがないようなことを掲げざるを得なく」なった原因が「男が女を求め」る方法にあるのではといい、「先にこの大陸に渡った男たちが、あまりの人恋しさあるいは女性恋しさに、外部世界に向けて、あり得べき夢と理想をあまりに声高に叫んでしまったことから、あの理想主義は掲げられ続けることになった」(288頁から289頁)。現地の女性とは交流する機会がほとんどないことから、出身国の女性を求めたというのは自然の流れだったろう。
このような米国論は聞いたことがなかったので、かなり新鮮であった。