先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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東京深川の帝国ガラス工業争議 1927年の労働争議(読書メモ)

2023年07月12日 07時00分00秒 | 大久保製壜闘争

東京深川の帝国ガラス工業争議 1927年の労働争議(読書メモ)
参照 「協調会史料」

*母子寮ベタニアホーム
 母子寮ベタニアムは、私が幼い頃、母と姉と私の3人がお世話になり、母は付属の保育園で保育士として働いていました。私が喘息で近くの墨東病院に入院した時、病院の屋上で入院していたお相撲さんに肩車してもらったことやクリスマスに母子寮の子供たちが米軍基地に招待され本物のようなサンタクロースからプレゼントをもらったことなどなつかしい想い出です。

 1927年当時ベタニアホームは、地元深川のこの帝国ガラス工業争議の争議団を受け入れて本部として使わせてくれていたのですね。「協調会史料」で、これを見つけた時はうれしかったです。この地域でも関東大震災救済に上京した賀川豊彦が大活躍していましたから、その影響もあったかもしれません。
 ちなみに1975年の大久保製壜闘争教会ろう城の日本基督教団堀切教会と付属の黎明保育園も賀川豊彦の設立です。縁ですね。

帝国ガラス工業争議 
会社名 帝国硝子工業株式会社(ガラス器具製造)
場所 東京深川区東町31番地
争議発生日 1927年(昭和2年)3月3日
会社代表 塩谷静人
労働者数 163名(男150名、女10名)
争議参加者数 73名(男63名、女10名) 
労働組合 組合同盟・関東合同労働組合深川硝子工支部
御用団体 90名

経過
(会社の突然の巻き返し攻撃)
 73名は組合同盟・関東合同労働組合深川硝子工支部を組織し、1927年2月18日に待遇改善を要求、同月26日に円満解決をした。しかし会社は工場内に御用団体「親和会」を組織する一方、3月3日組合支部長ら11名を「工場に好感を持っていない者を使用できない」というデタラメな理由で突如解雇してきた。
 
(73名スト決行)
 翌3月4日から組合加盟者73名全員が解雇者に同情してストライキを決行した。5日より本所柳原町の母子寮ベタニアホーム(創立者A.J.スタイワルト宣教師)*に争議団本部を移し、工場付近の地域住民や友誼団体に応援を求めた。

(会社の組合切り崩し攻撃)
 3月9日、会社側は御用団体「親和会」の90名で工場を動かす一方で、争議団に対し、「欠勤3日は服務規程により退職とみなす」と通告し、全員の解雇をほのめかし脅してきた。またスト対策として労働者の募集もはじめてきた。11日には争議団の中から10名の脱落者が出てスト破りを行った。争議団は会社の切り崩しに必死に抵抗した。争議団は「裏切者の家庭不和」というビラを内部で配布した。

ビラ「裏切者の家庭不和」
花子(お前さん、あたしが井戸端で米を研いでいると、お隣のオカミさんが、お前さんのオヤジさんはストライキの裏切者だ、裏切者だと言うの。お前さんアタシと正太郎が可愛いと思ったら会社に出ることをやめておくれ、お願いしますね、お前さん。明日からストライキに参加して悪い条件を改善してください。・・・そうしないと世間のひとは相手にしてくれませんから今日限りで・・・
・・・・・(略)・・・
八五郎(よし、よーくわかった。・・・明日から会社を休みストライキに参加する、安心してくれ・・・・)
花子(お前さん人間の止まぬ正義の道を進んでくれてアタシは安心した。・・・・)

(争議団連日の示威行動)
 争議団は連日集合し示威行動や演説会に奮闘した。12日には「会社糾弾演説会」を約250名で開催した。付近の住民も多数応援に参加した。弁士2名が臨監警察官より「弁士中止」を命令された。会社の争議団切り崩しとの攻防合戦が続いた。

(妥協)
 3月24日午前10時扇町警察署署長の調停により労資の妥協が成立した。
妥協条件
一、争議団は11名の解雇を承認し、会社は11名各自に金一封と日給2週間分を支給する
一、争議団に見舞金として金一封を支給する
一、金一封の総計は1,852円68銭とする
一、争議団の解散

以上



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