先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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本所柳原、全員の解雇撤回を勝ち取った平田ガラス工場争議 1927年の労働争議(読書メモ)

2023年07月14日 07時00分00秒 | 大久保製壜闘争

本所柳原、全員の解雇撤回を勝ち取った平田ガラス工場争議 1927年の労働争議(読書メモ)
参照「協調会史料」

 大久保製壜でも、どこのガラス工場でも必ず何年に一度は「炉」の全面つくり変えを行います。長期期間かかるこの「窯(カマ)修理」期間を休まなければならない労働者にとって、その間夜勤手当などの手当の支給はなくなり、生活が苦しくなります。戦前は「窯(カマ)炉修理」期間の賃金を全く支払わない工場も多かったのです。この平田ガラス工場では41日間という無賃夏休みに対して労働者は怒りストライキで闘いを始めました。最後にはついに窯(カマ)修繕中の日給全額支給も勝ち取ります。こういう先輩たちのおかげで今の私たちの労働条件もあるのですね。

平田硝子工場労働争議
 会社名 平田硝子工場(ガラス製品製造業)
 場所  東京府下本所区柳原2丁目19番地 
 争議発生 1927年8月10日
 工場主 平田八郎
 労働者数 46名(男44名、女2名)
 争議参加者数 34名
 労働組合 評議会・関東化学労働組合

経過
(41日間も無償の夏季休業)
 1927年、会社は8月1日より9月10日まで41日間という長期の「夏季休業」を発表してきた。しかも休業中、工場内寄宿舎にいる労働者16名には食事の提供はあるが、通勤労働者には賃金保障はおろか食事代の支給すら無かった。これでは41日間もの間労働者とその家族は、どうやって食べていけというのか。会社の非道の仕打ちと差別に猛然と怒った労働者は夏季休業中の賃金を要求して立ち上がった。

(要求)
 当初、労働者側は休業中は賃金日給の三分の一の支給を求めたが、8月7日8日両日、本所柳原の丹波藤吉宅に集合し、応援に駆け付けた評議会関東化学労働組合本部湯浅七郎らと協議を続け、以下の要求を決めた。
一、41日間の休業中の賃金の全額を支給すること(来年の工場移転の際も同様支給すること)
二、窯(カマ)修築の時も賃金の全額を支給すること
三、退職手当の支給
四、夏季特別手当の支給(7、8、9月の3ヵ月間は5割増)
五、来年4月の復興局より受け取る工場移転補償金の残高の三分の一を労働者に現金で支給すること
六、今回の争議で絶対に犠牲者を出さないこと
など

(全員解雇とスト決行)
 会社は労働者の要求を即座に拒絶してきたばかりか全員を解雇してきた。労働者はストライキを決行し、10日からは争議団本部を柳原町の市電自治会錦糸堀支部倶楽部内に設置した。

(関東化学労働組合本部の戦術方針)
 関東化学労働組合は「我らはここに至りては、東京市全硝子工場主に対して、待遇改善を要求するものなり」と表明し、そのためにまず、「硝子工懇談会、会社糾弾演説会」を開き、次いでこれを「硝子工工場代表者会議」と発展させ、東京全域のガラス工場労働者の闘いへと波及させる戦術方針を決定した。

(争議応援演説会)
 8月17日午前11時より争議団本部において争議応援演説会を開催した。関東化学労働組合花木分会の組合員山田恵は「労働者の武器は争議である。我らは闘争によって自己の生活を改善しよう、最後まで闘争を望む」など激烈なアピールをした。関東化学労働組合本部組合長湯浅七郎を囲って労働者は座残会を開いた。

(硝子工懇談会開催。「硝子工工場代表者会議」への官憲の弾圧)
 8月19日午後8時より本所区柳原町において、本所地域の約100名の硝子工場労働者が集合した「硝子工懇談会」が開催された。湯浅七郎など組合本部も参加した。夜8時40分「硝子工工場代表者会議」に移行しようとしたとたんに、臨監警察官が集会解散を命じたので会場は騒然とした。官憲は「硝子工工場代表者会議」を即座に、暴力的につぶしにかかってきた。

(硝子労働者第一回大会開催)
 8月21日午後7時45分、硝子労働者第一回大会が、深川区猿江寄席衆楽館において地域のガラス工など約400名が押しかけ盛大に開催された。事業主団体の東京硝子製造同業組合に対する要求が決議された。しかし、平田工場と資本主義への糾弾演説が続く中、15名の弁士のうち12名もが臨監警察官より「弁士中止」を命じられる有様であった。なんとしてもガラス工場労働者の闘いを地域・全都に波及させまいとする権力の露骨な暴圧であった。

(会社、柳原町会幹事に争議の調停を依頼)
 8月24日、工場主はかねてより懇意としている柳原町会幹事に争議の調停を依頼した。町会幹事はすぐに争議団代表湯浅七郎と面会し意見を求めてきた。

(硝子業界組合に申し入れ)
 8月25日午前11時、関東化学労働組合代表湯浅七郎らは、本所区緑町にある事業主団体の東京硝子製造同業組合に行き、「8.21硝子労働者大会」で決議した要求書を提出した。
要求書
 本硝子労働者大会は全東京1万5千の硝子工を代表し、貴同業組合に対し、左の労働条件を即時実施されんことを要求す
一、健康保険料金工場主全額負担
一、夏は特別手当日給の3割支給のこと
一、徒弟工に対し、日給一円以上支給すること
一、退職手当の支給
一、臨時休業中日給全額支給
一、最低賃金2円50銭以上支給すること
一、平田ガラス争議団の要求を容認すること

8月21日
第一回硝子労働者大会
硝子同業組合御中

(会社全員解雇)
 9月9日午後2時湯浅七郎ら争議団は工場主と面会し、「会社はなんら具体的回答もしないのみならず、全員解雇にするとは争議解決にむけての誠意が一切感じられない」と会社に強く反省を求め抗議し解雇撤回に向けて交渉した。

(妥協成立)
 9月11日午前11時、工場主と争議団は合意が成立し、翌12日協定締結と決まった。
合意内容
(一)休業中の日給支給の件 休業手当として日給の三分の一を支給(全部で1,150円)する
(二)窯(カマ)修繕中の日給全額支給の件 日給全額を支給する
(三)工場移転時の補償金の支給 復興局からの補償金の全額、工場移転料の三分の一を分配する
(四)解雇問題 全員を復職させる

(警察の妨害)
 南千住警察署は、協定の前日11日夜10時20分に関東化学労働組合の代表湯浅七郎ら幹部2人を、「橋場103番地先の道路で泥酔徘徊をした」というふざけた理由で突如検挙し、2人になんと拘留10日間もの処分をおこなってきた。そのため翌日12日の協定調印は出来なかった。南千住警察署の争議団の勝利的調印を嫌悪した露骨な嫌がらせであった(と私は思う)。

(協定書調印)
 9月20日に湯浅組合代表らは釈放された。ようやくこの日争議団と会社は協定調印を行い、ここに平田硝子工場争議は円満に解決した。

(感想!)
 
アルコール好きな組合活動家や専従はくれぐれも「泥酔徘徊」に気を付けて下さい。今は車に轢かれます。

以上



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