先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
https://www.youtube.com/watch?v=0us2dlzJ5jw

大久保製壜闘争とまぼろしの煙突男

2023年11月11日 11時44分12秒 | 大久保製壜闘争


上・大久保製壜煙突
下・新労組結成(1987年7月15日)

大久保製壜闘争とまぼろしの煙突男

    以前書いた「〈右の「ボス交渉」と左の「代行主義」に反対する!〉」の続きです。

 私たち大久保製壜闘争の長い年月の中で、〈右の「ボス交渉」と左の「代行主義」〉の誘惑に陥ったり陥りそうになった時が何百回もあります。圧倒的少数(3交替4組の職場なので支部員は一人か二人)の非力感に自らくじけそうになった時、度々〈左の代行主義〉が出てきました。会社のひどい組合いじめが続く中で、一挙に局面を打開しようと、少数な者たちだけでなんとかしようとします。突飛な戦術をいくつも考えます。その一つが「煙突ろう城」です。あの「煙突男」です。まじめに考えました。深夜、一人で大久保製壜工場の大煙突のテッペンまでよじ登り、「敢然と闘い、敢然と勝利しよう」の真っ赤な東部労組旗を掲げ、ヒモで自分を煙突にくくり付けて、朝、「会社が組合攻撃を反省しない限り、争議を解決するまで降りないぞ」と大演説し、大空に向けて何百枚ものビラをまくのです。夜勤勤務中、職制の目を盗んで真っ暗闇の大煙突下まで行って現地調査もします。大煙突には鉄ハシゴがついていて登るのは可能です。問題は高所の怖さをもともと臆病な自分がはねのけられるか、あとは自分の体力と根性です。トイレはどうするか、食事はどうするか。まじめに考えました。支部内の親友にだけ打ち明け相談します。みな賛成です。顔は青ざめながらもオレが登ると言ってくれます。支部執行委員会も賛成し、そして東部労組本部執行委員会でまじめに提起します。緊張する本部執行委員面々と長い沈黙。ようやく足立実委員長がおもむろに口を開きます。「大久保闘争の基本方針をやめたのですね」。大久保製壜闘争の基本方針は、「職場の仲間と団結して、職場闘争(ストライキ)で勝利する」です。少数派の東部労組支部が、職場の仲間から信頼を勝ち取り団結する、これほど困難なことはありません。その努力をあきらめ、すぐに他の手段、戦術に目が行く時、支援だけに頼って勝とうとしたときも必ずこう言われます。「基本方針はどうしますか」と。

 今、戦前の労働争議の学習をしていて、戦前先輩労働者の葛藤の中に全く同質なテーマが出てきます。日本労働総同盟の幹部が〈ボス交渉〉をして会社と勝手に手打ちをしてしまう。これに労働者大衆が激怒する場面が何度も出てきます。逆に〈左の代行主義〉とも呼ぶべきものも出てきます。どこまでも労働者民衆の力に依拠するのではなく、自分たちだけの行動で局面を打開しようする、例えば〈機械うち壊し〉や〈工場破壊〉〈白色テロ〉などです。

 僕たちの場合、この〈左の代行主義〉が出て来る時は、職場の仲間たち、労働者民衆の力を信じられなくなった時に良くでてきました。会社の組合攻撃が続く中で、あまりにも苦しい闘いに会社から去っていく仲間たち。ほんのわずかな優遇差別に喜び懐柔されて本当に裏切って組合を脱退した人。そんな時誰ともなくまたまた出てくるのが〈煙突戦術〉でした。その度に足立さんから「基本方針はやめたのですか」と聞かれます。

 結局、教会ろう城時38名で勝利して職場に戻った直後にわずか8名に切り崩された支部でしたが、みんなで歯を喰いしばって頑張り、9ヶ月後に組長ら5名の新たな仲間、85年には6名が、87年には大労組を脱退した22名が東部労組と団結します。こうして職場多数派となり、ストライキなどの職場の闘いと全国の応援のもと21年9ヶ月の大久保製壜闘争の全面解決が実現しました。「基本方針」を守って本当に良かったと思っています。

 ただ、「幻の煙突闘争」のあの時の仲間たちの真剣さ、煙突をよじ登ることへのおびえとそれをすら打ち消す大久保資本への怒りを思いだすと今でも胸が熱くなります。
以上



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