先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
https://www.youtube.com/watch?v=0us2dlzJ5jw

1930年「煙突男」富士紡争議

2019年10月16日 10時00分00秒 | 先輩たちのたたかい

1930年(昭和5年)富士瓦斯紡績川崎工場争議
11月17日、寒風吹きすさぶ大煙突のてっぺんから3000名紡績女工に必死に決起を呼びかける24歳の田辺潔。この「煙突男」の5日間の闘いに、1万人もの労働者・民衆が「煙突男」の下に群がり、拍手喝采をした。19日には川崎公会堂で「富士瓦斯紡績争議応援労働者大会」が開かれた。
ニューヨークやロンドンの新聞でも報道された。

3年後、1933年(昭和8年)2月14日。田辺潔の水死体が山下公園の堀で発見されたその日は、作家小林多喜二が築地警察で虐殺された、6日前のことだった。

1923年関東大震災
1925年治安維持法成立
1929年山本宣冶 右翼に殺される
1930年この頃、労働争議各地で頻発(鐘紡・東京市電・芝浦製作所・横浜ドック・東洋モスリン・日本鋼管・筑穂炭田・・・・・)
1931年満州事変

「何十回も負けて、何十回も立ち上がってね」
5月18日、両国シアターXで劇「ミスター・チムニー!天空百十尺の男」京浜協同劇団を見た。300席の席は埋まり立ち見もでるほどでした。

終演近く、
老女すず「うふふ、何十回も負けて、何十回も立ち上がってね」の発言は胸を打ちました。


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