先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
https://www.youtube.com/watch?v=0us2dlzJ5jw

そうなのだ要するに人格の問題なのだ! 徳冨蘆花の「謀叛論」を読んで

2022年09月03日 09時20分54秒 | 先輩たちのたたかい

 

写真・大逆事件1910年の新村兄弟のお墓
<禮誉救民忠雄居士><賢誉至徳善雄居士>
https://blog.goo.ne.jp/19471218/e/4d9a0d0c5ae9d4aa74758435091fdd7e

徳冨蘆花の「謀叛論」を読んで
 人の死というものは決して同等ではないとつくづく思う。2022年夏、かの暗殺された元首相を100年の公論は惜しむだろうか。人々は悲しむだろうか。到底そうは思えない。国葬で、ますます謗(そし)る声が高くなるだろう。 徳冨蘆花は言う。〈要するに人格の問題である〉と。心からうなずく。そうなのだ要するに人格の問題なのだ。あの時、あの時代に、大逆事件の新村兄弟のお墓に<禮誉救民忠雄居士><賢誉至徳善雄居士>と彫った地元の人々のなんとも気高い心意気にうたれる。

徳冨蘆花の「謀叛論」より
(『謀叛論』。1911年(明治44)2月1日、旧制第一高等学校で行われた徳冨蘆花の講演草稿)
 「・・・諸君、幸徳君らは時の政府に謀叛人と見做されて殺された。諸君、謀叛を恐れてはならぬ。謀叛人を恐れてはならぬ。自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である。『身を殺して魂(たましい)を殺す能わざる者を恐るるなかれ』。肉体の死は何でもない。恐るべきは霊魂の死である。人が教えらえたる信条のままに執着し、言わせらるるごとく言い、させらるるごとくふるまい、型から鋳出した人形のごとく形式的に生活の安を偸(ぬす)んで、一切の自立自信、自化自発を失う時、すなわちこれ霊魂の死である。我らは生きねばならぬ。生きるために謀叛しなければならぬ。古人はいうた、いかなる真理にも停滞するな、停滞すれば墓となると。人生は解脱の連続である。いかに愛着するところのものでも脱(ぬ)ぎ棄てねばならぬ時がある、それは形式残って生命去った時である。『死にし者は死にし者に葬らせ』墓は常に後にしなければならぬ。幸徳らは政治上に謀叛して死んだ。死んでもはや復活した。墓は空虚だ。いつまでも墓に縋(すが)りついてはならぬ。『もし爾(なんじ)の右眼爾を礙(つまず)かさば抽出(ぬきだ)してこれをすてよ』。愛別、離苦、打克たねばならぬ。我らは苦痛を忍んで解脱せねばならぬ。繰り返して曰(い)う、諸君、我々は生きねばならぬ、生きるために常に謀叛しなければならぬ、自己に対して、また周囲に対して。

 諸君、幸徳君らは乱臣賊子となって絞台の露と消えた。その行動について不満があるとしても、誰か志士としてその動機を疑い得る。諸君、西郷も逆賊であった。しかし今日となって見れば、逆賊でないこと西郷のごとき者があるか。幸徳らも誤って乱臣賊子となった。しかし百年の公論は必ずその事を惜しんで、その志を悲しむであろう。要するに人格の問題である。諸君、我々は人格を研(みが)くことを怠ってはならぬ。・・」(「謀叛論」岩波書店  編者中野好夫)


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