先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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1919年7月の労働争議 (読書メモ・・・大原社研「日本労働年鑑」1920年版)

2020年02月25日 15時10分03秒 | 1919年の労働運動

鈴木文治友愛会々長帰朝   大毎神戸支局前の光景
1919年(大正8年)8月3日

友愛會々長歸朝報告演説會場ノ光景
1919年(大正8年)8月3日

 

新人会関係者の写真 1919年頃

なんて多くの労働者の決起なのか!

ストライキもすごい数だ !

(読書メモ・・・大原社研「日本労働年鑑」1920年版)

1919年7月の労働争議

7/1 名古屋市内に約1,300名いる陶器書工は、平和祝典を期して東郊覚王山に集結し、賃金値上げの協議を行い、更に3日夜、東部書工同盟組合を組織し値上げ要求を3割増から5割増と決め代表30名を選らび、交渉を開始した

7/1 兵庫県御影地方、輪竹職工67名は、酒樽製造業社に賃金3割増の値上げ要求を提出した。そのため酒樽製造業社は、樽代の値上げを酒造会社と交渉したが、酒造会社は「目下閑散期だ」と即答を拒否したので、輪竹職工に対しても同様な態度で臨んだ

7/1 東京市電車運転手300名・車掌400名は連日青山教習所で市電局長の訓示を聞かされていたが、そのうち労働者自身が賃金値上げを求めて集結して協議するようになり、「直ちに同盟罷業を」派と「交渉の後に罷業を」派に分かれたが、代表を選んで当局に交渉を申し入れた

7/2 米澤市、米澤製材所の職工長以下12名は物価高騰を理由に賃上げを求めたが、会社から拒否されたため同盟罷業に入った

7/4 神奈川県、大日本軌道株式会社(小田原熱海間)の従業員は4割増の賃上げを要求し、要求が容れられぬ時は連決辞職を通告し紛争となり、同盟罷業にはならなかったが、12日ついに会社からの3割増回答で解決した

7/4 大阪北区、裁縫工男女10数名は賃上げを求めたが、雇い主の拒絶にあい、同盟罷業に入った。しかし、雇い主は同盟罷業参加者の裁縫工全員を解雇し来て、この闘いは敗北してしまった。敗北の原因は、一部の職工が同盟に加入せず、罷業の妨害をしたからである。それゆえ、同盟罷業職工はこれら罷業妨害者に鉄拳制裁を加えた

7/4 姫路市、日出紡績株式会社職工20名は、かねてより再三賃上げを懇願していたのに、会社は拒絶したばかりか、逆に新たに仕事の罰則を厳しくしたために、職工側は終いに辛抱難くなり、ついに同盟罷業の挙に出た

7/4 甲府市、矢島組製糸工場500余名の女工は、近頃各地で賃上げの話があるのに、製糸会社の事無きに憤慨しても賃金値上げを要求し、7日までに回答がない時は同盟罷業に入ると言っていた

7/5 横浜市、丸川運送店労働者80余名は3割増の賃上げを要求したが、会社は強硬に拒絶してきたため、40名が6日から同盟罷業に突入したが、その中の部屋頭木村某ら10余名が誓約を破り裏切って仕事に入ったため、スト参加者は大に憤慨し、裏切り者のいる貿易倉庫に押しかけて大格闘を演じた

7/7 京都、金箔製造下請け団体の協同会は、職工に動かされ単価の値上げを求め問屋側と交渉を開始し、受け入れられない場合は同盟罷業と通告した。本年6月から職工・下請け業者は相携えて、友愛会に加入し、「箔友支部」を結成していた。職工は一日14時間労働、その上一ヵ月2回の休みのみ。しかも工賃は、下請け業者(親方)と折半なので大変な生活苦。問屋側は金沢地方の同業者が承認するなら認めようと言い出すなど不誠実な対応を続け、一方で松原警察署は協同会の主な者を続々と召喚し圧力を強めたため協同会はみるみるうちに弱気になってきた。そのため、職工側は、友愛会箔友支部の名で大会を開き、同盟罷業を決議し、問屋側との直接交渉、演説会、支援救済対策など持久戦の態勢を整えた結果、ついに23日になって問屋側は職工側の要求通り承認する回答を行ったため、争議は無事解決した

7/7~ 京浜電気鉄道会社の車掌運転手364名は、社内の倶楽部に集合し、増給要求を決議し、実行委員を選んだ。9日に重役と面会して7割増給を要求したが、会社は拒絶したため、大いに不満だと同盟罷業を叫ぶものがあったため、警察厳重に警戒した

7/8 福島県、郡山紡績会社。8日同盟罷業した男女350名は、午後1時より麓山公園に集合し賃上げ3割増のため運動を開始したが、郡山警察署の介入により、一旦解散したが同盟罷業は引き続き行われ、翌日朝も再び同公園に集まり示威運動を行った。警察署長や町内有志が調停を試みるが、職工らは目的が貫徹されるまで断じて就業しないと主張して退かなかった

7/8 名古屋日本車両株式会社300名は結束し同盟罷業し、職工長排斥の運動を惹き起こした。態度の悪い職工長は職工全員から反感を買っていた

7/9 東京芝白金、佐野機械工場70余名は物価高騰を理由に賃上げを要求したが、折り合いがつかず、9日午前8時から同盟罷業に入った。10日妥結して解決した

7/9 堺市港内船夫250名は、運賃2割値上げを決議し、荷主側と交渉したが、荷主側の態度がはっきりしないため、同盟罷業なすべしと声があがった。8月1日妥結して解決した

7/10 兵庫県龍野、貝釦職工200余名龍野町北龍野山に集合し、4割増の賃上げを協議・決議し、交渉員10名を選んだ

7/11 室蘭三菱支社石炭人夫50名賃金1割増を要求し、ついに同盟罷業をした

7/11 東京芝、鉄道院被服工場男女職工560余名は昼食事時間に、「賃金3割増給を要求せよ」と説く者あり、一同大いに賛同し決議したので、形勢は一変した。当局大いに動揺し、本院経理局は直ちに2割増給を回答したために、円満に解決した

7/12~15 神戸、川崎造船所兵庫分工場200名全員が一斉に結束し同盟罷業に入り、8名の委員を選んで会社と交渉した。「従来の12時間労働制を10時間制にするが、賃金は2時間分減額する」という会社に対して「10時間労働制にし、かつ12時間労働の時の従来支払っていた同額分を支払え」と要求した。14日、会社の切り崩しがあるも職工側の結束は固かった。15日、「10時間制にするが、12時間勤務の時と同じ作業能率示したならば、時期を見て12時間分の賃金を支払う」との条件が会社から出て、ようやく解決した

7/12~10/6 和歌山県内の11の製材工場130余名は結束して、「8時間労働制」実施と賃上げを各工場主に要求した。同盟罷業も辞さずの姿勢に対し、工場主側は強硬にでて、一ヵ月の休業の断行を表明した。この時は、職工は無条件で屈服したが、9月24日に再び結束し、賃金5割と8時間労働制を要求したが、再び拒絶されたため、一斉に同盟罷業に突入し大幅賃上げを勝ち取り10月6日より、全員が復業した

7/13~15 神戸東洋マッチ株式会社の神戸市内9つの分工場約200名の一部は賃金3割値上を要求した。12日よる湊川新開地に集合し「もし3割賃上げが拒否された場合は、全員罷業は不利なので、サボタージュ即就業するも仕事に手心すべし」とサボタージュ闘争方針を決議し、7月13日より平常通り出勤したが、機械の前に立ってはいるがほとんど仕事をしない。やむなく各工場は休業になった。14日も9工場とも休業となった。14日ついに社長の妥協条件が示され折れ合うこととなり、15日から全員複業した

7/13 神戸、日本マッチと帝国マッチの会社各工場の職工は、神戸東洋マッチ会社の罷業職工と連絡を取りあい、この二つのマッチ会社で時を同じに賃金の値上げ要求運動が開始され、会社の値上回答で16日より復業した

7/13神戸水道労働者50名2割増給を要求してついに15日より同盟罷業を企てた。水道工事が遅延し、18日ついに妥結し解決

7/13~16 東京麻布、松尾鉄工所180名、横暴な某管理職の排斥を要求して同盟罷業に突入した。14日和解が成立して17日より全員就業した

7/14 東京月島、石川島造船所700余名は、賃金の4割増給と白米安売りを要求した。会社の2割増回答に労働者は大いに不満を持ち15日から各自調印して大示威行動にでた。21日から2,353名全員が同盟罷業に入り、一人も仕事に入らなかった。労働者は構内広場に集合し各自演説を始めた。官憲は私服刑事を配して警戒にあたり、22日朝ようやく会社の賃上げ提案を受けて解決した

7/14 大阪市、尼崎造船部90余名は、一時金の減額に怒り、18日委員を選び会社に申し入れ現状維持で解決

7/14 東京下谷の東京凸版印刷株式会社男女約300余名は1割5分の賃上げを要求したが会社に拒絶され同盟罷業に突入。18日友愛会の本部の仲裁で1割増給にて妥結し解決した

7/14 東京京橋、文祥堂印刷所の労働者の賃上げ要求に会社は3割増給を回答し解決したが、会社は同時に労働者の首謀者3名を解雇した

7/14 名古屋港沖仕4千余名、賃金の低さに不満を持ち休業者が続出した

7/15 所沢飛行場約600名労働者中150名は賃上げを求めて委員を選出した。会社は騒ぎの中心人物として八町某を19日付けで解雇してきた

7/15 東京大島町、大島製鋼所約1,000名は賃上げ3割増要求を会社が拒絶したため、約300名が22日から同盟罷業に入り会社と交渉中である。このまま要求が入れられない時は、全員の罷業になるであろうと報ぜられた

7/15 大阪電燈安治川発電所400名は連署の上3割増給を要求した。19日約2,500名に賃上げすることで妥結した

7/16 堺市、宮田鉄工所8名は結束して賃上げを要求して工場主に不穏な動きをしたため、堺警察署が鎮撫した

7/16 名古屋、日本車両会社約200名は職長と小頭排斥と賃上げを要求し、午後2時半に仕事を放棄し、会社近くの新堀川堤防に集結し協議した。17日には熱田梅林付近の森に集結し、同盟罷業決行を決めた。職工の親方30名の大半はこの運動に反対したが、会社発表によるとスト参加者は347名である。18日熱田警察署は首謀者3名を召喚・取り調べた。この日は熱田神宮近くの梅林に集合したが熱田警察署は解散を命じた。会社の強硬な拒絶により、21日22日より無条件で復職した

7/16 福島県、磐城採炭株式会社坑夫112名は午前6時より結束して、賃金5割増を要求して午前6時から同盟罷業に入った。某坑夫長の日ごろの横暴が原因であった。会社の誠意なき対応に全員連結辞職を申し出て騒ぎが拡がった

7/16 京都梅小路駅の馬車労働者360名、と駅労働者50名は運送会社に賃金値上げを要求

7/17 函館、船渠会社200名が結束して賃上げ4割増を要求し、同盟罷業に訴えても貫徹すると申し合わせ、会社あわてて色々ほん走している

7/17 名古屋市熱田、愛知セメント会社の12名は17日同盟罷業に入り、午後8時に一か所に集合して賃金値上げの協議をしているところへ職長がかけつけ熱心に復職を説得したため18日より復職した。会社は賃上げはしないが、賃上げ以外で職工の便宜と利益を計ると回答し解決した

7/17~22 東京牛込、日清印刷株式会社は、食事代の値上げを実施したが、200名労働者側は納得せず逆に賃上げを要求した。24日、会社の重役会議で労働者側の要求を無条件で承認した。その後労働者側は、更に博文館職工と同様な要求を提出した

7/17~31 門司市内の石炭沖仕約3,000名が近頃の物価高騰を理由とする賃金4割増を要求し、13名の委員を選び関係会社と交渉を開始した。その後若松港の沖仕の運動と連携した結果、26日夜ようやく3割値上げにて請負業者と折り合いがついたが、その後炭商側と交渉が長引き31日夜遅くようやく2割5分増にて解決した。ただし、陸上陸下の夜勤は3割増、船積みの夜勤は5割増となる。

7/18~23 大阪鉄鋼所約2,000余名が小頭150名を代表として、物価高騰を理由とする賃上げや臨時手当支給を一同連署して要求した。23日、手当1割を3割に、米代補助増額を発表して解決した

7/19~20 東京大井町、日本光学工業会社第三工場60名は賃上げ4割増を要求したが、会社が何らの理由もなく拒絶したのが原因で同盟罷業を行った。20日には、第一工場300余名も同盟罷業の挙に出た

7/19~23 大阪汽船1,970名は午後3時増給要求を会社に提出した。会社臨時手当増などの回答で23日正午解決

7/19横浜、内田造船所2,300余名は近頃の物価高騰による賃上げの協議中であったが、会社が先手を打ち、手当増と深夜業の手当てを増額したので、事なくして解決した

7/19~21 兵庫県曽根町人夫100余名は賃金5割増を求め盟休中であったが、21日夜町長の調停にて解決し22日より就業した

7/19~22 東京神田、三省堂印刷部80余名は賃上げを要求して紛争中のところ、22日に至り会社から6分~1割5分の範囲での値上げ回答があり、労働者側は不満を訴えたが、結局無事解決した

7/20 東京製鋼株式会社月島工場男女約300名は、本月から開始された夜勤廃止にともなう収入激減に対して、代表9名を選び会社に賃上げを提出したが、会社はこの代表9名を解雇してきたので、全労働者は会社は不当だと怒っている

7/20 和歌山県新宮町、製材職工組合500名は賃上げを要求し、賃上げを勝ち取り解決した

7/20 東京芝、田岡電気機械製作所55名は賃上げ2割増を要求、会社は1割増回答で紛糾したが解決した

7/20 大阪砲兵工廠の救済会積立金分配問題の演説会は、憲兵隊と警察により高圧的に中止させられた。労働者はかねてより積立金の分配を叫び各自が署名した連判状まで提出したが、会社は高圧的に抑えてきたが、労働者の声の高まりの前に、分配を決めた。労働者への分配はわずかな額でしかなかったがともかくも解決した

7/20~22 横浜、川添造船所100余名は賃上げを要求したが、拒絶されたため10数名は憤慨して22日退社した。残りの労働者は無条件で要求を撤回した

7/20~23 東京千住の日本製靴株式会社月島工場水兵靴工63名は単価増を要求した。21日は機械部102名も手当増を要求した。22日全労働者の同盟罷業が決行され、就業者はわずか20余名しかいなかった。23日会社の拒絶に対して一同連結退職を通告した

7/20 神奈川日本製鋼約250名は賃金3割増を要求したが、会社の応ぜないため、一旦交渉を打ち切って職場に入ったが仕事に励まず、転勤運動をはじめたので、会社は極力慰撫している

7/20 東京、南千住駅人夫約200名は賃上げ5割増を要求したが、警察の調停もあり、1割5分の回答が出たが、みな尚不満だと言っている

7/20~27 岡山県小田郡、石割工は工賃の値上げを要求した。7月27日一定の値上げで妥結解決した

7/20~ 東京千住、下野製紙株式会社分工場34名は賃上げ2割増を要求し拒絶されたため24日より同盟罷業を決行。27日になっても解決していない

7/21 金沢製箔同業組合。京都で工賃値上げの動きがあり、金沢も更にあらためて工賃増額を要求した。京都が悪戦苦闘して要求を貫徹したので、金沢の方も同時に値上げを勝ち取り無事解決

7/21~25 東京麻布、メート商会制作部女工約50名中20名が日給10銭増の賃上げを求め拒絶されたので同盟罷業に突入し、25日午前五銭値上げで解決

7/21~23 東京月島、服部製作所本工場200名が午前に賃上げの協議中、会社から賃上げの提案があったが労働者側は満足せず5割増を要求し拒絶された。午後3時から同盟罷業に突入。22日からは分工場50名も同盟罷業に決起。23日妥結で解決

7/21 東京深川、本田鉄工所約200名が日給の賃上げを要求し、22日より同盟罷業に入った。23日代表者を選んで交渉の予定。もし拒絶された場合は全員が退職するという

7/21 大阪西区、住友鑄鋼所200名の物価高騰を理由とした賃上げ要求が、他部署の400名と又別な350名にも賛同が拡大し、4割増給の要求となり、会社は臨時手当と物価手当の支給を回答し解決した

7/21 東京、京成電気軌道会社の車掌・運転手40余名中31名が同盟罷業を行い、しかも連結辞職を申し出たので、会社は22日代表者運転手某を解雇した

7/21 福島、伊藤炭坑50余名は午後11時に炭坑事務所に押し寄せ翌朝まで喧噪を極めた。不況を理由に賃金も満足に払わず、ましてかねてよりの賃上げ要求もしないため労働者は憤慨した

7/21~28 東京小石川、博文館印刷所(男600名、女100余名は)委員を選んで「①賃金3割増②夜勤は2時間以内として、それ以上やる場合は賃金は倍額③日曜を公休とすること④傷病者の保護と退職の場合は相当の手当てをだすこと⑤婦人と幼年者の待遇の改善」など10項目を要求した。22日には、8時から工場内で演説を始め、女工も立ち上がり意見を述べた。会社は日給を払い当日は休みとした。翌23日も出勤してきたが、同様に給料は払って休みとした。労働者側は結束を固め、代表委員を選び、東京市内の同業の各印刷工を糾合して大運動を始めた。博文館労働者に同情した精美堂(250名)、日本書籍会社(約400名)の労働者も相次いで同一要求を提出し、これら会社も22日と23日が臨時休業となった。24日午前7時、男子労働者は、小石川銀杏寺、女子労働者は金子製販所に集合し、更に傳通院にて演説会を行い結束を固めた。会社は「夜勤は4時間とし、それ以上は5割増し。日曜出勤は手当支給」と回答したが25日傳通院にての職工大会では全員の意志は絶対貫徹で決した。警視庁も介入し富阪警察署に労働者を召喚するなど圧力を強めたが、職工大会では警察の不当干渉と叫んだ。27日ようやく、残業は男工4時間以上は5割増、女工と幼年工2時間以上は5割増、など要求のほぼ全部を勝ち取り、28日より就業を決めたが、印刷部の労働者は不満を持ち、28日には160余名が欠勤した。ひとまず解決したのである。他の二つの会社も同時同様に解決した

7/21 東京小石川、博文館印刷工場に同盟罷業が起こるや隣地の同館姉妹的工場である日本書籍株式会社400名は仕事を放棄して博文館に演説を聞きに行く者が多く、同情的同盟罷業の形勢が見えたのであわてた会社は給料を払って臨時休業にした。27日になり、博文館と同時に解決した

7/22 東京,精美堂印刷約200名は博文館印刷の罷業に呼応し、要求を提出し、同盟罷業に入ったので、会社は22日23日と給料を払い臨時休業とした。労働者は博文館の労働と全く一致した運動を行い、27日博文館と同時に解決した

7/22 九州日華製油若松工場100余名は手当従来の日給30銭から50銭への賃上げを要求した。会社直ちに容れて解決

7/22 東京月島、吉村木工所90名のうち33名が3割増の賃上げを要求した。会社は1割5分の回答をして、大半の労働者は了解したが、12名は納得せず25日まで休業していたが、ようやく折り合いがついて1割5分で妥結解決した

7/22 東京瓦斯電気工業株式会社志村火薬製造工場130余名中約60名が日給30銭値上げを要求した。会社は結局は要求の大部分を受け入れたので解決した

7/22 東京汐留駅の新橋運送業組合事務所専属仁藤組積み込み、積おろし労働者約250名が22日朝、芝浦埋め立て地に集合し突然同盟罷業に入り、賃金2割増を要求した。会社は要求を全部受けいれたので全員正午から就業した

7/22 九州若松市石炭汽船積み沖仕一同は小頭数名を代表者に選び、物価高騰につき賃金5割増の嘆願書を請負者側に提出した。会社は抵抗し、警察は小頭代表者を呼びつけ同盟罷業の挙にでないように圧力をかけた。若松港の現在の石炭沖仕は、沖沖仕、陸沖仕など総計3,600名に上る。請負側は24日協議の結果、沖陸共に4割増給を受け入れ、27日には、石炭商組合は、2割5分増額を認め、双方交渉の結果無事解決した

7/22 基隆郵船組常備沖沖仕50余名中30名は賃上げを要求して同盟罷業に入ったが、人夫頭の斡旋によりようやく出勤するも、なお種々な口実をもうけ就業を拒み、24日出港の信濃丸の荷役に困難を生じた

7/22 東京小石川原町、東京新計器製作所300余名は3割増給をしたが、会社側は2割増しか認めなかったので、24日全員同盟罷業に入り、初志貫徹の運動を継続した

7/22 東京浅野スレート会社の118名は22日より同盟罷業に入り、23日には一か所に集合し協議し、友愛会本部の菊地氏と労働者代表者は会社と交渉した。会社が白米安売りと賃上げに明答しなかつた為、憤慨した職工は24日に一同の退社を申し入れ、会社もこれを認め各自に賃金を支払ったが、渋沢男列席のうえ、職工代表者と会社代表が会い互いに意思疎通できた

7/22 東京深川、岡田鉄工所100名は会社側の増給要求拒絶に対し、一同罷業をし、23日再び交渉したが決裂し、職工側幹部10数名が辞職して紛争が続いている

7/22 北九州東洋製鉄会社戸畑工場600名は22日以来賃上げを要求していたが、8月3日会社1割増給など回答し無事解決

7/22 大阪大日本麦酒醸造株式会社吹田工場1,300人は賃上げを要求したが、会社は拒絶したので労働者側は今後について協議していたが、27日になって社長が3割値上げを発表したので無事解決した

7/22 横浜、鈴木製油所200余名は15日以来相談していた「労働時間を10時間に」「2割増の賃上げ」要求を代表委員を選んで会社に提出した

7/23 山口県笠戸島井浦船渠工場30余名は4割から6割の増給を要求して、会社は3割増を回答して25日に解決した

7/23 石川県輪島漆器職工が賃上げを要求すると、間もなく山中温泉の漆器職工50余名も3割から4割の増給を要求した。雇い主側は、協議の結果1割から2割の賃上げを認めこの提案で妥協することとなった

7/23 東京市電亀沢町車庫の車掌・運転手560名中、この日公休中の70余名は午後3時より車庫に集合し、給料値上げの相談をした。28日に至って出勤者激減し、運転している車両も約半数になってしまった

7/23 横浜、渡辺船渠会社280名中の船大工58名は賃上げを決議し会社に要求したが、社長旅行中だと回答しなかったので同盟罷業をした

7/23 佐賀県唐津港大島貯炭場の石炭沖仕は、三井・三菱、安河等の会社に対して23日、24日と賃上げを要求していたが、7月26日会社は門司・若松と同じ2割5分増の通知が来たが、8月2日朝から、沖人足と大栄組の人足を除く陸揚げ人夫600余名が全員同盟罷業に突入し3日間も続いた

7/23 東京市内ペンキ塗職工約3,000名は、今までの日給60銭から2円50銭の賃上げを要求し、23日に一斉に同盟休業を行った。26日には数百名が芝浦埋立地に集合し、賃上げを決議し、10数名の実行委員を選び請負業者側と交渉した結果午後9時に8月1日からり2円20銭に、11月1日からは2円40銭に値上げすることで合意し解決した

7/23 東京千住東京織物会社150名は5割増給の要求をだし、3名の代表を選び会社と交渉中

7/23 東京浅草煙草専売局工場で休憩時間に賃上げの相談をしているのを監督に発見され、6名が厳しく叱責されたため一同大いに憤慨して同志500名を糾合し、古参職工30名を代表委員とし種々会社と交渉した。労働者側は「6名を解雇するな」「賃上げ」の2つが要求であり、拒絶された場合は同盟罷業も辞さずと宣言したが、当局は24日「昨年4月の4割2分の手当増に乗せて更に8月1日から2割5分から3割増を行うと発表した

7/23 東京大塚琺瑯鉄器株式会社39名は給料2割値上げを要求した

7/23 東京月島、月島機械株式会社200名は3割増給を要求した。24日一度は出勤したが同盟罷業に突入した。同会社新佃島分工場80名も合流し決起した。25日午後2時、賃金2割増給、月2回毎に皆勤者に日給一日分を支給する回答があり、一同承諾して解決した

7/23 神奈川県日本鋼管株式会社2,700余名はかねてより賃金3割を要求していたが、会社から拒絶されたので、組長・代表者100余名で更に強硬に交渉しようと協議した。賃金値上げと白米の安売りの実現を要求している。26日に至り、「従来の3割手当の他に更に2割の増給とし、白米安売りの代わりに更に5割の手当てを支給」することで無事解決した

7/23 東京吾嬬村、日本人造肥料株式会社木下川工場100余名が3割増給と特別手当30銭値上げの要求をし、24日正午会社が手当1割増、特別手当5割増支給を回答し、また一人の職工を解雇した件も友愛会本部の平沢氏等の尽力により取り消され落着した

7/23 石川島輪島漆器同業組合200余名は工賃3割9分の値上げを組合側に迫った。8月1日から3割6分の値上げを実行することで無事解決した

7/23 大阪市役所建築現場の石工100余名は集合し、賃金5割増を決議し請負事務所に要求したが、拒絶されたため、大阪市内外の石工4,700名は24日から仕事を中止・放棄するものが多数でた。彼らには6月下旬に一度同盟罷業を計画して失敗した経緯がある。25日職工側代表20余名と雇用主側の代表の協議の結果、本月中1日より一日25銭、8月1日より一日45銭の値上げが決定し、26日より就業し解決した

7/24 鉄道員兵庫県鷹取工場の機関・客車・電気の3工場約3,000名が。午前7時の正規時間に出勤したるも就業せず、それぞれの現場に集まり、賃上げの協議をはじめた。

7/24 東京築地活版職工1,200名は秀英舎の労働者と協議の上、博文館労働者の闘いを支援・協力する事を決め、重役等に要求すると同時に決議書を作成し、印刷同業組合事務所に提出した。7月28日3割値上げを実現し、問題は一時的に解決した

7/24 大阪丸福製缶所70名は賃上げを要求したが、会社が拒絶したので全員直ちに休業した。会社はやむなく応分の値上げを認めたので25日は解決した

7/24 東京瓦斯電気株式会社大森工場2,800名は、23日から賃金値上げの相談協議を重ねていたのを会社は察し、会社は同日午後8時賃金2割増を発表して解決した

7/24 神戸三菱造船所では800名から1,000名の人夫や独身職工が働いているが、数日前より各所に集結して賃金値上げの要求を協議していたので、会社は22日夜種々協議の結果、賃金2割の値上げを決め、8月1日より実施し、白米代も値下げすることとした。

7/24 神奈川県浅野造船所約300名は正午構内に集結し、賃金の5割増を決議し、翌25日会社に提出した。8月1日より再び運動が高まってきたので、会社は全職工4,500余名に対して、臨時手当2割と賃金値上げを発表しいたが、職工側は不服を説え、更に6割の値上げを試みようと協議した

7/24 四国伊予宇和島水力電気株式会社約100名が午後2時に代表20余名の連署を持って、「現在の労働時間12時間を10時間へ短縮」「給料8割増の値上げ」を要求し、回答があるまで同盟罷業を行うと宣言すると共に、東と南と西の宇和島に散在する所属工夫全部に伝え新たに300余名が同盟罷業に合流してきた。宇和島警察署は、10数名の首謀者を召喚・説諭に努めた。会社側は要求を拒絶し、新たな職工を募集すると噂されたが、結局は「20歳以下には15銭、20歳以上には20銭」の値上げで解決した

7/24 東京秀英舎1,500名は築地活版所職工と協議し、博文館の罷業者と歩調を合わす決議を行っていたが、28日3割増給とその他多くの要求が容れられて解決した

7/24 東京日日新聞社製版部員は一致して「賃金8割増給と8時間労働実行・二部制導入」を要求したが、一向に回答がないので同日午後怠業闘争に入り回答を迫った。午後11時頃に会社から「賃金6割、二部制実行」の回答と「万一他社においてより以上の待遇改善があった場合は同等かそれ以上の待遇にする」との誓約もあったので無事解決した。25日には、東京各新聞製版部員の団体たる「革進会」が応援大会を開催する予定だったが、報告会に切り替えて開催した。東京日日新聞の解決振りをみた他社製版部員は、増給要求を行い、ついには東京全新聞休刊事件へとつながる

7/24 東京16大新聞製版部員の一斉同盟罷業の闘い。東京日日新聞の闘いは直ちに各新聞社に波及し、各社での要求提出となつた。東京の新聞製版部員のほとんどが、東京各新聞製版部員の団体たる「革進会」に加入していて結束が強く、互いに密なに連絡しあっていた。朝日、読売、時事、萬朝、報知、やまと、などほとんどで発生し、中でも読売が最も解決困難の状態であった。7月30日の回答期限に回答がないため、読売と萬朝の職工は同盟罷業に入った。萬朝報は30日の夕刊は中止、読売は31日から休刊となった。31日は時事新報も休刊となった。一方新聞社主連盟は、「『革進会』なるものは認めない。その団体の会長及び顧問との交渉は拒絶する」の通達をだし対決姿勢をあらわにしてきた。製版労働者側はますます自衛のため立ち上がるしかなくなってきた。各新聞社の同盟罷業参加者は、時事61名、中央37名、萬朝38名、東京毎日25名、都29名、やまと46名、中外商業25名、東京朝日61名、国民65名、読売38名、報知68名、計14社613名であった。新聞社側は、辛辣な対応で「一ヵ月間の休刊、10万円の違約金・損害賠償、輪転機の封鎖、解雇」を各社互いに公正証書まで作成して申し合わせ、各社一斉に解雇通知を通達してきた。8月1日革進会は日本橋常磐木倶楽部で大会を開催し10数名の代表を選び、岡警視総監に面会し仲介の労を要請した。岡総監は、新聞社側と交渉して夜9時に「新聞社側からの回答は、「一、賃金は各社個々別々に採用しているので、各社の事情に適した賃金の増額を図る。二、職工団体(革進会)との申し入れと交渉は一切拒絶する。三、新聞発行は各社同時に行う」であった。革進会横山会長はこれを受け入れ、革進会は大会を開き漸くの事でこれを承認して2日未明に総監に伝えた。しかし、この屈服に不満を禁ずる多くの労働者は、2日各所に集合し、全国の同志に訴える檄文「各新聞社は我らの要求に対して無条件降伏を追ると共に更に我ら幹部を解雇しようとしている。・・・・もはや我ら対新聞社の問題に非ずして我が労働問題の消長に関する重大事なり、・・・我らは熱涙を呑んで起り、全国労働者の権力伸長のため戦を宣せざるを得ず・・・」を作成し、芝統一教会に集まった。3日に横山会長は辞任し、一方、時事、都、中央、毎夕、国民がそれぞれ解決し、4日に至ってようやく朝日、日々、報知、読売等全社が解決した。かくて、4日の夕刊より各社とも発行するに至った。各社では賃金の一定の値上げは実現したが、辛辣非人格極まる方策をもってその使用人に対したる新聞連盟は更にこれに満足せず同盟罷業職工の職場復帰に際して「一、今後賃金への異議を言わないこと。二、革進会を脱会すること。三、職場でいかなる名義を以ってするも団体を組織しないこと」の誓約を強制し労働者側の絶対的敗北、奴隷的屈従の大解決を告げた。全国の印刷工組合「信友会」は新聞社一斉の同盟罷業の闘い中は、極力争議中の全新聞社への一般印刷工の就職を妨害し、同時に金品のカンパで闘いを支援した

7/25 宇都宮回漕店60名は3割から6割増の賃上げを要求し、会社側は受け入れて解決した

7/25 東京四谷日本紙器株式会社800名(女性350名ほど)は3割増の賃上げを要求した。26日同盟罷業に突入し、会社は罷業参加者の解雇を通告し新規無募集の大広告をだし、更に会社に忠実な同盟罷業に参加していない労働者にのみ賃上げを行うと発表した。四谷警察署長が調停を試み2割程度の賃上げで31日一同復職した。

7/25 大阪西成葦田工業所50余名は賃金3割増給を要求した。会社は営業不振を理由に拒絶したのみか、8月10日に朝工場に出勤した前記50名を門衛所で阻止して工場に入れなかった。憤慨した40名は直ちに辞職した。会社は全員を解雇し、新募集に腐心している。

7/25 下関三菱船渠職工700余名は結束して臨時手当5割を本給とし更に5割の手当てを要求した。

7/25 東京芝サンデン電気工場150余名は3割増給を要求した。

7/25 呉市内の活版職工の組織「信愛会」は集会を開催し、賃金2割増要求を決議し、交渉委員を選び7月15日に遡及して支払う事を各経営者と交渉することとした

7/25 久留米、朝倉、三井各郡の久留米絣染職工は賃金3割値上げを要求した。彼らは各自自宅で仕事をする家内工業職工である

7/25 静岡市及び安部郡の製材機械職工300名は賃金値上げ要求への拒絶に対して同盟罷業を行い、本町通りの極楽寺院内にて熱心に協議をした

7/25 門司九州印刷所50余名中の有志は賃金3割増値上げを要求した

7/25 東京池袋岸飛行機製作所50余名は賃金5割増を要求して拒絶され25日夕刻より同盟罷業を行った。職工側では、仲間に反盟(裏切り)した時には罰金200圓を出す旨の公正証書を作成した

7/25 神戸の印刷工500名は全員結束して2割の値上を要求するために、主な人で会合し、打ち合わせを行った

7/25 東京深川豊住木工場13名は賃金3割値上を要求して26日朝から同盟罷業に入り強硬な態度を示した

7/25 横浜絹糸運搬業組合は、臨時総会を開き生糸運搬職工賃金の値上を決定した。また労働時間は従前のまま10時間とした

7/25 東京砲兵工廠にて、フライス工等数百名が臨時手当3割を本俸に繰り入れ、更に3割を手当として支給するように要求した。工場の全員が署名したのに、本間某一人が従わなかったので、みんなで彼を袋叩きにした。本間はこれをうらみ鑢、大やすりをふるい数名を負傷させたが、結局は本間を辞職させた。賃金値上げは当局が8月より応分の処置をとると声明をだした。尚、小銃製造所の各職工も同様の連判状を作成しはじめたが、当局の慰撫にて見合わせた

7/25 東京市内理髪職人は、就業時間短縮と給料値上げの運動を起こしかけている。市内には約3,000名いる

7/25 東京本所三田ゴム会社のこの間の賃上げをめぐって続いていた紛争は、1割値上で無事解決した

7/25 福岡煙草専売局の職工らは賃金3割増の値上を要求していたが、27日、28日には出勤しながら怠業に入るなど更に激しくなり、29日には役所は一日休業としたが、職工側はますます結束を強めたため値上げを発表した

7/26 横浜ドック会社約3,000名は、7月1日より会社が実施した米価補助が足らないとして、26日正式に「賃金3割値上、皆勤賞の等級上げ、飲料水の設備、午後8時半すぎの残業には5割支給」等7項目の要求を会社に提出し会社と交渉を重ねた。会社は26日、27日を臨時休業とした。結局1割5分の値上とその他の要求は今後適当な処置をとることを約束して、28日より復職した

7/26 静岡県清水港鈴興運送店250名は不二見村の観音堂に集結し賃金2割増給を決議し、店側と交渉した。江尻警察は鎮撫に力を入れている

7/26 大阪福島中、臼谷鉄工所120名は午前10時より、一斉に労働をやめ同盟罷業に入り、5名の代表を選び賃金3割値上を工場主に要求した。

7/26 東京大島町、日本鋳鋼会社約300余名は臨時手当を要求して同盟罷業を行った。27日朝、会社は男一日10銭、女と幼年工には各一日7銭の手当てを発表したが、職工側は納得せず、日給30銭値上げを要求した。会社は拒絶したが、その後折衝の結果、8月7日臨時手当3割を廃止し、一律に30銭値上を要求して妥結を図ったが、古参者と高給者は不満として、8日夜城東倶楽部に集結し協議した

7/26 東京芝、日本計器製造株式会社工場200余名はかねてから賃金値上げを拒絶する会社に対し、同盟罷業をした。27日になっても解決していない

7/26 東京月島、飯田鉄工場第二分工場約100名は賃金2割値上を要求したが、会社はただちにこれを受け入れ解決した

7/26 東京大崎、日本製鋼所1,000余名は賃金3割増の要求を行った

7/26 東京本郷、日東印刷株式会社50余名は博文館職工の要求した内容と同じ要求を会社にし、28日朝から同盟罷業に入った。会社はあくまで強硬にでて、30日罷業した労働者全員を解雇してきた。31日一同は春日町右京が原に集結し更に強硬に闘うことを申し合わせた。10日には、印刷工組合「信友会」の山崎今朝弥弁護士が代理として「手当及び損害賠償請求」の訴訟を起こした。裁判は会社側常に不利であった

7/26 和歌山県柑橘箱製造150余名は、同業組合を組織し、「小箱一個1銭1厘を1銭7厘に」との賃金値上と向こう一ヶ月間の同盟罷業を決議し突入した。製箱業組合は、1銭5厘までは受け入れたが、職工側はあくまで1銭7厘を主張したため同盟罷業となった

7/26 東京品川、東京電気ケース製作所300名は賃金3割増を要求した

7月26日から27日にかけて東京月島方面で数十件の小さい同盟罷業が頻発したが、それぞれの工場主は直ちに労働者側の要求を受け入れるか、罷業に先立ち増給するなど続々と解決したので全体としては静穏に済んでいる

7/27 美濃土岐郡駄地村の陶器職工1,050名は工賃4割値上を要求をしたが、商業家側は2割増は認めたが職工側は満足せず同盟罷業を行った

7/27 兵庫県鉄道管理局鷹取工場職工約350名は賃金3割値上などを要求し29日に同盟罷業に入った。「3日以内休業した者に無賃乗車券を与える」などは勝ち取ったが31日鉄道院から「賃上げ3割増は当分応ぜられない」などの電報が入り、一同甚だ落胆したがやむなく同日午後より仕事に入ったが、監督が来た時だけは働いたが、監督がいない時はサボタージュでみな手を休めていた

7/27 東京大崎町、園池鉄工所の職工大部分は、友愛会東京鉄工組合員である。27日専務取締役は職工一同を集め、経済界の事情を説明して、「現状に満足すべきで軽挙な行動にでないよう」に訓告した。しかし、労働者は「経済界の事情もさることながら、自分たちの生活の方が先決問題だ」と次の要求を提出した。「一、7月29日より金30銭の増給二、日曜日は休業に 三、休憩時間を含めた10時間労働制に 四、残業は午後9時までとし、5時より9時までは倍額を支払うこと 五、徹夜業の場合は、午後5時から3倍を支払うこと 六、面会禁止をなくすこと 七、職工通用門を無くすこと 八、倶楽部を開放すること 九、衛生設備の完備 十、今回の問題に関して責任は一切問わないこと」など12項目。28日午前8時一同就業した。30日正午前、社長・専務も同席し、金30銭の増給を重役会議が承認したと発表があり、無事解決した

7/27 東京市電新宿車庫運転手・車掌約700名は「勤務10時間、3割値上」の要求を連署をして提出した。翌28日朝の早出時間には一人も出勤せず、その後も出勤者は甚だ減少して当局は大狼狽した。しかも他の部署へ波及することは誰の目にも明らかであった

7/27 東京市、安全印刷所約100名は博文館職工と同様の要求を会社に提出した

7/27 東京川崎町、日本畜音機会社男女350余名は賃金5割値上の要求書を工場長の手許に送ったが、会社はこれを無視したため同盟罷業した

7/27 東京大崎町、明治電気大崎工場で500名が5割増給の要求を提出した

7/27 兵庫県八木村塩田稼人夫は各親方に対して賃金値上で交渉したが、一向に回答がないため8月1日は各自休業して断固たる態度で臨むこととした

7/28 東京一色活版所約150名は博文館と同じ要求を会社な提出した

7/28 長野県下諏訪各運送店倉方26名は賃上げ3割増を求めたが店側が応じなかったので同盟罷業した。警察や駅長等が調停に努めた

7/28 大阪西区川岸町、日本染料株式会社250名は「①3割増賃上②12時間労働を10時間に③残業に割増を④公休日2日を4日に」の要求を提出し、29日朝から職工の大半は就業せず、集結して協議を続けた。会社は朝日橋警察署署長立ち合いで「③以外は拒絶」の回答をした。又会社は「31日より復職しなければ全員解雇する」と発表した。31日よりほとんど全員が復職した。

7/28 東京四谷東信濃町、猪俣自転車製造所男女170名の内30名は午前10時から突然賃上げを求めて同盟罷業をはじめた

7/28 福岡県田川郡神田村、金田炭坑2,000名のほとんど全員が賃金3割増給を要求して同盟罷業した。三菱会社の賃上回答の発表で続々就業し大体解決した

7/28 郵船会社神戸支店給仕40名の内38名(15歳―18歳)が「賃上げ3割増と夜業手当など手当の値上」を要求して同盟罷業を行った。会社は断固拒絶したため、全員辞職願を提出すると会社はただちに全員を解雇してきた。父兄は驚いてすぐに会社へ泣き言を入れたが、会社は「これからは女給仕にでもする」と拒絶してきた

7/28 東京佃島の久原佃島製作所約2,000名は賃金4割増を要求して、29日重役との会見の結果、「2割から3割増の値上げ」で妥結した

7/28 東京牛込、福山印刷製本所89名は賃金3割増を要求した。29日2割増で解決した

7/29 尼崎市旭硝子会社の職工は同盟罷業を企てたが、職工全員に10銭の値上げで結局職工側の譲歩で解決した

7/29 東京亀戸押上の永峰セルロイド会社330余名が給料5割増、請負仕事3割増の値上げを要求して正午より同盟的怠業をはじめた。30日以降は問題解決までの同盟罷業や伝令、動静視察委員、巡視係り、演説係り等の部署を定めて活動を始めたので、会社は平均3割増値上、臨時手当約2倍半の増額を発表したので8月1日より全員就業して解決した

7/29 東京砲兵工廠小銃製造の1万6千人を代表する5名が5か条の請願書を提出しようとしたが、島田工場長が責任を持つと約束したので、要求は一旦工場長に預けたが、職工側は数日中に解決しないならば、王子その他分工場の6,000名と気脈を通じ結束して同盟罷業をする決意を示した。
要求は「①賃金を20銭値上②日曜大祭休日の場合も常傭給を支払うこと③請負単償を3割から5割増しへ④毎日の残業2時間への手当てとして日給の5割を支給すること」である。

7/29 兵庫県灘五卿などの酒樽製造工約1,500余名は生活困難を理由として酒樽製造業者に対して3割5分賃上げを要求した。

7/27 小倉市馬借町、小倉製作所500名は物価高騰、住宅難を理由として賃金値上を要求したが、会社は重役会議を開いて、なんらかの方法で要求に応じようと回答したので、8月1日より従来通り就業した

7/29 愛媛県周桑郡製糸会社女120名は突然同盟罷業を行った。会社は彼らの不満への緩和策を講ずると共に書面で就業を促しながら一方で人夫を使い同盟罷業の女工を駆り集めさせた結果31日に至り半数が出勤した

7/30 九州若松港の石炭水運搬業者一同は申し合わせの上、運搬費値上を業界組合に申し出た。業界組合は、筑豊鉱業組合水運部へ交渉した

7月末、横浜文治堂1,200名と福音印刷会社800名、中央印刷200名、間瀬印刷70名は、各所に集結・協議の結果、3割から5割増の値上を決議し、それぞれ会社と交渉したが、一向に前進がないため、市内の印刷工を糾合して職工組合の成立準備を整えた

7月末、小倉市、長浜東京製綱小倉分工場800名は賃金3割値上を要求したが、会社の回答が僅かだったため、8月1日より半数が同盟罷業に入った

7/30 東京逓信局工務部600余名はかねてからの賃上に関する最終協議会を大森で開催した。「臨時手当5割増給、労働時間12時間を10時間に短縮、市内出張への旅費支給」その他を決議し、全国各逓信局へ連絡して賛同を求め、本局に申請した

7/30 京都府八幡町津田電線会社八幡分工場は代表者20名を選び、「現在の勤務時間12時間を10時間に短縮すること、賃金3割値上げ」を決議し工場主に要求した

7/30 大阪市内の鼻緒製造業者の職工2,000余名の代表者は秘密に集合して3割値上を要求した。8月5日、百束1圓30銭を1圓48銭に値上して無事解決した

7月末日、姫路市内の活版工で組織する「交友会」では、賃上げに対する雇用主の態度が悪いので8月12日に夜西魚町消防倶楽部にて再度会合交渉することを申し合わせた

7月下旬、横浜港約5,000人の沖人足は賃上運動をはじめたので、人夫請負業者側から2割増給の通知を行うと共に各汽船会社及び運送会社に請求した。汽船業者側は要求を認めて解決した。また夜業と徹夜の時は相当の割り増しを付ける。弁当は人夫請負業者が支給することと決まった

7/31 神戸下級船員で組織された二三の海員団体員は、湊東倶楽部に集結して、「賃金の大幅値上げ、今の10時間から12時間労働を8時間労働へ」を決めたが、8月10日友愛会海員部神戸支部は「倍額以上の増給を求めるのは賛成しない」とするなど問題はお流れとなった

7/31 姫路市内製材商12ヵ所の職工80余名は3割増の値上を要求し、雇い主側は1割値上の回答をした。2日朝から罷業に入り、午後から調停者が入り、「1割根値上げと時期を見て適当な値上げをする」ことで3日より全員就業した

7/31 九州戸畑鋳物会社1,000余名は結束して賃上を要求したが、8月5日全員に時間外労働賃金に6割5分の手当てを付けることで解決した

7月末より大阪全市の印刷工場、活版職工は「印刷活版職工革新同志会」を組織し工場主に賃金3割値上げを要求するべきと、8月1日2日と書く職工の自宅を個別訪問して勧誘した

7/31 埼玉県深谷町、東洋館製糸工場女工150名は8月1日一同同盟罷業した。中には逃走した者もあり混雑した

7/31 福井市、福井銑鉄会社仕上げ工19名と福井鉄工会社仕上げ工23名は連合して1割5分から3割の増給を要求し、それぞれの会社が受け入れ解決した

7/31 兵庫県尼崎市、リバーブラザーズ石鹸工場500余名が賃上げを要求したが、会社が拒絶したため、8月1日午前8時前に非常汽笛を鳴らし、工場の電燈水道等すべてを止め、仕事も食事もできないようにした。結局友愛会支部が協調に入り、「5割を本俸に加える」事などを三分の二が賛同して解決した



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