先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
https://www.youtube.com/watch?v=0us2dlzJ5jw

<来たれ同工諸君、信友会は同工の要塞なり〉活版印刷労働者「信友会」の結成と闘い(読書メモーー「日本労働年鑑」第1集版1920年版)

2021年06月17日 08時19分49秒 | 1919年の労働運動

写真・ぜひ当時のビラ弁士欄を見てほしい。活版・新聞労働者が10名以上も登場している!

来たれ同工諸君、信友会は同工の要塞なり〉
活版印刷労働者「信友会」の結成と闘い(読書メモーー「日本労働年鑑」第1
集版1920年版 大原社研)

来たれ同工諸君、信友会は同工の要塞なり

(1919年活版印刷工組合信友会ビラ)
「帝都三万の活版印刷工諸君よ! 活版工諸君よ、団結は誰しも叫ぶところである。しかしながら線香花火式の一時的団結や局外者関係の組合は団結をして無意義ならしむ。近くば都下各新聞社ストライキにおける革進会の行動に由っても立証せらるゝ、平素において共同一致の訓練を欠ける団結は有事の際にその真の威力を発揮することは不可能である。真に堅固なる労働組合を建設して初めて資本家同盟に対抗することができるのである。・・・我が国に完全なる労働組合ありや諸君よ今にして為すところなくんば後に臍を噛むの悔いあらんか速やかに奮起せよ。今や我が信友会は同工の団結を図りて堅固たる組合の力により横暴頑迷なる資本家を猛省せしめ、その陋習(いやしい、せまい習慣)を矯正して我らが人間らしき生活に適応する賃金を獲得して、その地位を向上するために全力を尽くさんとす。来たれ同工諸君、信友会は同工の要塞なり。」

  1916年10月に欧文活版工の組合である「欧友会」を解散・再組織し、翌年1917年4月欧文植字工組合「信友会」として発会式を挙げた。1918年1月に全印刷工に加入を呼びかけ「活版工組合信友会」に改編し、たちまち組合員は650名を越えた。しかし、8月の米騒動の中で「信友会」は官憲の大弾圧を受けた。官憲は「信友会」組合員を拘禁・引致した為、組合員の中に恐怖と誤解が満ち続々と脱会者が出て、残った者は元の「欧友会」メンバー数十名のみという無残な有様となり幹部も総辞職してしまった。こうした官憲の弾圧で大打撃を被ったが、しかし、翌1919年2月以降「信友会」の残った奮闘児は猛然と立ち上がり印刷業全労働者への檄文を刷り熱心に労働者に配布し組合員拡張運動を開始し、加入者はついに1500名に至った。5月1日新たな指導部を選び10月新たな綱領を発表し、また、国際労働会議代表者選出の政府の姿勢に友愛会と共に猛烈な反対運動を繰り広げた。

10月には、東京活版印刷各工場労働者2000名が連携・呼応しての大闘争、大ストライキが勃発します。
以下参照
https://blog.goo.ne.jp/19471218/e/5be6cdcb6155367dfd2dd8a658beede1



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