先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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11社ゼネスト、秀英舎争議の場合 1925年の労働争議 (読書メモ)

2022年08月03日 08時00分00秒 | 1925年の労働運動

ポスター・同志諸君! すべての仕事場は、我らの陣地である !!!
光輝ある工場分会を確立せよ!未組織の兄弟を組織せよ!
日本労働組合評議会出版労働組合(1920年代)

11社ゼネスト、秀英舎1300人争議の場合 1925年の労働争議 (読書メモ)
参照 協調会史料

11社協定とゼネスト
 評議会・関東出版労働組合は、1925年10月の凸版印刷本所工場争議に勝利し、11月、小石川の精美堂印刷所争議に連帯した博文館1600人、日本書籍400人がサボタージュ闘争を行い、ここでも全面勝利を実現した。
 しかし、11月24日からの日清印刷株式会社争議750名では、12月1日印刷・出版業界側が結託し、「11社協定」を発表してきた。この11社協定は、特別手当を廃止して日給の単一制度とし、臨時休業の際は無給にするというもので、すでに獲得された博文館、精美堂、日本書籍などの賃上げを白紙に戻すという印刷・出版業界資本家側が結託した、大巻き返しを目的とする労組攻撃の策謀協定であった。

 評議会・関東出版労働組合は、11社協定撤廃にむけて全印刷労働者に総決起を呼び掛けた。この呼びかけに応え、1925年12月3日朝から秀英舎の印刷労働者1300人が「11社協定撤廃」「最低賃金制」などの要求を掲げてストライキに突入した。続いて翌4日、富士印刷、東京印刷、三秀舎の労働者もストを決議し、続いて5日、6日には築地活版・凸版印刷・東京印刷などでサボタージュ闘争が始まった。博文館・精美堂・中尾印刷なども連帯ストの構えを見せた。11社ゼネスト突入であった。今回はこの中の一つ秀英舎争議を取り上げてみたい。

11社ゼネスト、秀英舎争議の場合
  12月3日、日清印刷争議は秀英舎へ、さらに博文館、精美堂にも波及した。
(資本の更なる結託)
 12月3日印刷・出版の12社の重役が会合し、以下の確認をした。

一、博文館、精美堂、日清、凸版、秀英舎の五社は争議の第一線に立ち、(11社)協定を厳守するため、社金2万圓を積み立てる事。他の七社も一定の金を積み立てる事。
一、今回の(11社)協定を破る者があれば、争議は必然的に会社側が惨敗となり、印刷産業界に重大なる影響を及ぼすので、協定に基づき終始する事

(関東出版労組員の決起)
 評議会・関東出版労働組合の呼びかけを受けてた秀英舎労働者1,300名は、1925年12月3日午前10時、職場で一斉に仕事を止めて従業員大会を開催し、11社協定の賃金単一に断固反対し、「虐殺的賃金協定(11社協定)の撤廃」を決議し、以下の要求を会社に突きつけた。会社は直ちに拒絶してきた。会社の拒絶の報告が伝わるや、労働者全員が拍手喊声を上げ、熱狂的演説が起きた。この演説会で関東金属労働組合員、出版労働組合員、東京合同労働組合員が無断で工場に入り煽動行為を行ったとして、4名が警官に検束された。

決議
『去る12月1日日清印刷株式会社の争議に際し、賃金協定案(11社協定)として発表されたる処のものは、我々印刷労働者が長年決死的闘争によって獲得したる労働条件を壊滅せんとする印刷同業者の虐殺的陰謀にほかならぬ。我々は印刷同業者の露骨極まる圧迫的態度に対し、我々秀英舎全従業員はここに要求条項を提出し、共同戦線のため決死的抗争をなさんことを期す。秀英舎全従業員大会』

要求書(秀英舎全従業員大会)
一、虐殺的賃金協定(11社協定)の撤廃
一、賃金3割値上
一、最低賃金制度(男工150、女工100)の制定
一、定期昇給を全員に年二回(6月、12月)行うこと
一、公傷の場合の賃金全額支給と医療費を会社全額負担
一、傷害手当の支給及び救急箱を各職場に設置すること
一、週間皆勤の制定(一週間で30分の遅刻は黙認すること)
一、臨時休業と会社創立記念日に賃金全額支給の事
一、失業者を出さない事

ストライキ体制
1、争議代表委員10名の選出
2、警備隊200名
  会計係5名
  会場係2名
  食糧係20名
  婦人少年部4名
3、争議資金として各自日給の一日分の提出
4、明日会社門前に集合し、行動は警備隊の指揮に従う
5、本争議は関東出版労働組合に一任すること。

 会社は39名の解雇を発表し同時に臨時休業を行ってきた。

 12月4日午前6時20分、争議団の警備隊約70名は工場門前に集合し、出勤してくる一般労働者に「会社は臨時休業となったので、全員映画館牛込キネマに集合して欲しい」と訴えた。午後1時1千名労働者で立錐の余地もない会場で集会が開始された。

(演説会)
 12月7日午前8時頃より約900名(女性200名)は、牛込キネマに集合し、秀英舎糾弾の演説会を開催した。14名の弁士は資本家の横暴糾弾を叫び、労働者の団結の必要を説く。臨監警察官より3名の演説に「弁士中止」が出された。
秀英舎労働者 高山憲之(演説要旨)
『我々の闘争はもはや論理の時代を去り、実行の時代に移ったのだ。我々が資本家の挑戦に対し、決然起ってより五日、しかもかく盛大なる会合を持てるのは諸君が真に心の底から目覚め自覚したるを見て感激に打たれた。我々の叫びは正義の闘いである。正しき叫びである。美しい人類愛の上に、人間として人間権を獲得する必然的叫びだ。正義のためにたたかうのが人間の本領だ。正義のために味方できない奴は意気地なしだ。
 我々無産階級は闘いなくしては現在の地位より一歩も進めぬのである。資本主義社会にありては闘いなくして我が無産者は解放されない。現在の資本主義的産業の原則なるものは、我々の生活費すなわち賃金をして極度に低価させ、より多く搾らんとするものである。支配階級、被支配階級が対立し、特権階級が支配権を握っている以上我々はますます人間的せいかつができない。・・・我々が解放されるには、我々無産階級が支配権を握らねばならぬ。・・ただ黙々と働くことでは人間は解放されるものではない。彼等との闘いによつて勝つ時、我々は初めて支配権を握り人間らして生活ができるのだ。・・・彼等資本家は有り余る金を擁し巧妙なる方法をもって、官憲と結託し、あらゆる圧迫干渉をし、やむにやまれぬ我ら正義の運動を阻止せんとするのである。我々にいかなる戦備ありや、我々には金力なし、官憲の力なし、頼まんとするのは何であるか。団結の力一つだ。我々は決死的覚悟を持って最後の一人となるまで戦わねばならぬ。勝つまで戦わねばならぬのだ。我々が最も恐れなければならないのは、裏切者や卑劣漢が一人でも・・・(弁士中止!)』

 演説会終了後、この日、新たな部隊編成があり発表された。
第一班 平版課
第二班 活版課
第三班 鋳造課
第四班 欧文課
第五班 婦人工

 また、代表交渉員、第一線(8名)と第二線(8名)を選出した。第二線とは、第一線が検挙された場合の代表である。

 その後秀英舎争議団は、関東出版労働組合の博文館や精美堂などの各支部を訪問・交流した。また小石川伝通院前では、多数の出版労働組合員が秀英舎争議団を出迎え歓迎した。約600名が小石川植物園で「散策」した。

(24名の検束)
 12月8日、神田基督教青年会館において、「日清印刷、秀英舎労働争議、糾弾合同演説会」が、約1,000名が参加して開催された。臨監警察官より「弁士中止!」を命じられた出版労働組合と日清争議団の弁士2名が、その中止の命令を拒否したたため、警官隊が検束しようと壇上にさ殺到した。それに聴衆が一斉に怒り労働者は強硬に反抗し、喧騒を極め、24名が検束された。

(全面解決)
 12月9日、11社のゼネストが続く中、ついに雑誌改造の社長、ダイアモンドの社長など三社の社長が調停に乗り出し、12月9日午前5時に秀英舎における労資の合意が成立した。
解決条件
一、(虐殺的11社の)賃金協定は延期する 
一、賃金2割値上を翌年4月から実施する
一、最低賃金は男1円30銭、女80銭とする
一、公傷の場合の賃金全額支給と医療費を会社全額負担
一、傷害の場合、日給全額支給及び救急箱を各職場に設置する
一、解雇者には、ひとり100圓を支給する。今後解雇者を出さない

(800名争議勝利の記念写真)
 12月10日、秀英舎争議団約1000名は水の原に集合し記念撮影をした後、牛込キネマで争議経過報告・会計報告等の集会をし、解雇された39名の代表の挨拶を受け、争議団全員が出版労働組合に加盟する決議を行い、その後全員で堂々と工場に入場した。こうして日清印刷争議に連帯した秀英舎1,300名ストライキは、11社協定を見事に粉砕し、勝利で終結した。



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