写真・11月の荒川 手前の大煙突、墨田清掃工場。大久保製壜所はそのすぐ下。
≪決起の詩-11月30日≫
オレ達は忘れない寒風吹きすさぶ十一月三十日1975年のこの晩オレ達三十六名は決起した
こわくてこわくて仕方なかった腰をぬかし歯をガチガチふるわせしかしあいつらへの憎しみがこわさにかった
オレ達は人間じゃなかったパップ野郎、パッピ、バカ、アホウ、ビッコ、「子供」、ロ . . . 本文を読む
上・川崎汽船会社所有の船
下からの大衆運動が先行して「産別最低賃金制」を勝ち取った全国の港の社外船員1万8千人、340隻ストの大決起!-1928年の労働争議(読書メモ)参照・労働年鑑第10集/1929年版(大原社研編)
イギリス労働者のストライキについてエンゲルスは、一つの工場でストライキが起こりさえすれば、たちまち非常に多数の工場で一連のストライキが始まるという場合が、しばしば起こると書い . . . 本文を読む
*戦前の日本海員組合の組合歌です。よく右派組合と呼ばれる海員組合ですが、この組合歌、なんという戦闘的、革命的、階級的でしょう。協調会史料1931年(昭和6年)度の日本海員組合大会事業報告書に載っていました。1928年の日本初の産業別最低賃金制を獲得した大海上争議、残酷な差別に怒って決起した全国の社外船員1万8千人、371隻の大ストライキの闘いの歴史を彷彿とさせる組合歌ですね。
日本海員組合歌―「 . . . 本文を読む
上・帝大セツルメント労働学校生徒募集ポスター
1928年度労働争議統計―1928年の労働争議(読書メモ)参照・日本労働年鑑第10集/1929年版(大原社研編)(労働争議の大勢) 「1928年度に入って不景気の度を増した経済界の状況は、労働運動界をますます沈滞に導き、労働争議の件数を著しく減少せしめた。・・・官憲の資本主側との抱合、その呵責するところなき弾圧的態度の興って力あることも勿論である。」 . . . 本文を読む
上・日本初の普選総選挙時の労農党大山郁夫の選挙ポスター(1928年)上・「争議団の決議文」
内閣印刷局1300名ストライキの悲壮な敗北―1928年の労働争議(読書メモ)参照・日本労働年鑑第10集/1929版(大原社会問題研究所編)
内閣印刷局證券課労働者のストライキ(1928年4月6日から5月25日まで)(大山郁夫を東京駅に出迎えに行って検束、解雇) 證券局内部には以前から評議会の関東印刷工組 . . . 本文を読む
参照・労働争議野田血戦記(日本社会問題研究所編) ・野田大労働争議(松岡駒吉著) ・野田争議の真因経過及現状(日本労働総同盟関東労働同盟会) ・野田争議の顛末(野田醤油株式会社) ・野田争議の経過目録(野田醤油株式会社) 野田醤油争議1928年の略史―1928年の労働争議(読書メモ)戦前最長の216日間ストライキ(1927年9月16日~1 . . . 本文を読む
上・暴力団襲撃に立ち向かう野田醤油争議団のデモ行進
上・1928年初頭「父と共に闘いに起つ」児童同盟休校
上・1927年争議の発端となった丸木運送店上・会社の参謀本部の工場課、警察と頻繁に電話している上・1927年会社の暴力団に破壊された行徳争議団出張所を臨検する検事一行上・1927年9月30日「竹槍事件」を大げさにでっちあげた会社は争議団員46名を解雇してきた上・1927年9月27日スト破り . . . 本文を読む
上写真 1928年4月10日の新聞記事
参照 社会・労働大年表Ⅰ(大原社会問題研究所遍)
暴虐の嵐が吹き荒れた1928年1、野田醤油争議敗北と3.15事件 1927年9月16日から始まった216日間の戦前最長の大ストライキの野田醤油争議が敗北(747名の大量解雇、わずか300名の復職)したのは1928年4月20日であった。この野田醤油争議が敗北する約一ヶ月前の3月15日、政府は治安維持法違反で . . . 本文を読む
体調を崩してできなかった戦前労働運動の学習。1月24日以来ほぼ9ヶ月ぶりに今日から再開します。1928年からです。日本労働年鑑第10集/1929年版の「緒言」について参照・ 日本労働年鑑第10集/1929年版(大原社研編) ・ 社会・労働運動大年表Ⅰ(大原社研編 旬報社)
(感想) 1928年の労働争議は全国で393件、スト参加者43,337人。小作争議件数は1,866件、参加農民数は75,1 . . . 本文を読む