先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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協調会作成「共同印刷株式会社労働争議顛末」 1926年の労働争議(読書メモ)

2023年02月06日 07時00分00秒 | 1926年の労働運動

協調会史料より
㊙共同印刷株式会社労働争議顛末(協調会情報課作成1926年5月)
(はしがき)
資本萎縮の影響はすなわち労働に対する資本側の意識的攻撃となり、最近の経済界の不況と共に労働争議はますます増加の傾向にある。・・・共同印刷株式会社の労資間の確執も会社の経営難に対する挽回作として労働組合員の淘汰運動と思わるる。
出版労働組合第一支部は1月19日の交渉決裂より同盟罷業を開始し苦戦実に2ヵ月、3月18日に至りようやく終息した。この2ヵ月にわたる盟休は労働者側の惨敗をもって局を結び、為に出版労働組合とその母体たる日本労働組合評議会との受けたる影響の甚だ深かりしは組合自体としても痛苦に堪えざるところであろう。
すなわちここに真の真相を録し、あわせて現在労働運動の外相とその心理とを明らかにせんとするものである。 
(目次)
一、会社合併事情
二、出版労働組合
三、争議の発端
四、罷業問題
五、十社聯盟の態度
六、争議団の行動
七、軟派切り崩しと作業開始
八、友誼団体の応援
九、調停者の奔走
十、妥協成立
十一、逆転
十二、評議会遂に決起す
十三、硬軟幹部の衝突
十四、解決
附 争議経過一覧

一、会社合併事情
東京都小石川区久堅町108番地、株式会社博文館印刷所は帝都屈指の印刷所で昨年12月26日精美堂と合併し、大橋光吉を社長として共同印刷株式会社と改称し、労働者は男1,797名、女345名であった。
二、出版労働組合
出版労働組合は、HP倶楽部の後身であり、HP倶楽部は大正13年(1924年)に旧博文館の職工により協調的組合として成立したが、まもなく闘争的組合に変化し、大正14年(1925年)4月出版労働組合と改称し、今年(1926年)8月評議会系の関東印刷労働組合と合同して急進的色彩を鮮明にして、9月に各印刷工場を単位とする支部を組織した。すなわち、出版労働組合第一支部(博文館)、第二支部(精美堂)、第三支部(日本書籍)であるが、会社合併に伴い、第一と第二は合併した。大正14年度末には全組合の加盟者は約4千名にして、共同印刷は1900名であった。組合は勢威軒昂たるものであった。
三、争議の発端
大正15年(1926年)1月8日、会社は経営難を理由とした大幅時間短縮案を発表したが、これに伴う収入減に対する対策はなかった。組合はただちに会社と交渉を開始したが職場ではサボタージュ闘争状態となった。従業員大会が開催され、出版労働組合と無産青年同盟は決議文と檄文がだされた。形勢はいよいよ険悪な状況となった。19日には職工代表(出版労働組合長)高田幸松が譲歩案として「従来の10時間勤務を9時間勤務として、夜業・深夜割増金を3割から2割に減らす」を提案し要求したが、会社はこの提案を拒絶してきた。
四、罷業問題
交渉決裂でただちにストライキに突入し、20日には旧精美堂工場にもストライキが波及した。会社はすぐに臨時休業を宣し、写真技工と徒弟215名に対しストに参加させない目的で一時帰郷を命じてきた。

全面ストライキに突入した争議団は7カ所の集合に分散し、10か条要求書を提出した。
要求書
一、従来通り作業させること
二、部長4名の排斥
三、旧精美堂の4名解雇の撤回
四、新共済会規約の実施
五、賃金は毎月末一日前に支払うこと
六、忌引き期間中の日給全額支給
七、工場規約作成に工員代表の参加
八、産前産後4週間の日給全額支給
九、本争議中の日給全額支給
十、本争議で絶対犠牲者を出さない事

21日、会社は「工場閉鎖、全員解雇」を通告し、出版労働組合員の一掃をするという強硬な態度で、1800名全員に解雇通告を発送してきた。

五、十社聯盟の態度
十社聯盟(日清印刷、博文館、精美堂、秀英、凸版など)は、「労働組合の赤化防止、労働争議の根本的解決」を標榜して成立した企業主の団体であった。
六、争議団の行動
ストライキ労働者は、連日各集合所に参集し、購買組合博文館共働社よりの供給による炊き出しの配給を受けつつ、演芸会、娯楽会、運動会、上野動物園への示威行動等団結の維持に腐心し、一方警備隊を組織し、裏切り防止、家庭訪問、工場出入り口の監視などに努め、また行商隊を組織し市郡内で活動し、連日50円から10円の収益をあげた。

この間、会社は軟派組合員を切り崩して工場の作業を開始しようとした。これを阻止せんとする争議団の警備隊員約200名は2月1日、裏切り職工を弾劾すべく工場寄宿舎に殺到し、その結果約150名もの検束者をだした。さらに3月15日には無産青年同盟に属するスト参加労働者約150名が工場を襲撃し、約30名が検束された。その他放火、殴打、器物破損等の暴行随所に起きた。
七、軟派切り崩しと作業開始
会社は1月24日、軟派とねらいをつけた1,300名に、往復郵便で復職勧告書を郵送した。返答が来たのはわずか約30名にすぎなかった。その後会社は職制などを使い組合切り崩しを続け、29日には、自動車三台を使い、軟派労働者の狩りだしを行い、組合を裏切った労働者を工場寄宿舎に収容した。こうして30日までに争議団員約80名を切り崩した。職工長らと合わせて135名でようやく作業を開始した。
八、友誼団体の応援
日本労働組合評議会拡大中央委員会と上京してきた関西の評議会本部役員が争議団を全力で応援した。
九、調停者の奔走
小石川区会議員数名が争議解決協調委員会を組織し両者に争議解決に向け調停を求めたが会社はこれを拒否した。
十、いったん妥協成立
十一、逆転
スト破りをして工場内で作業についていた軟派職工と職工長ら約620名が、この「妥協案」に反対し、19日朝から作業を放棄しストを始めた。会社はこれを理由に調印の延期を決め、妥協案も撤回した。
十二、評議会遂に決起す
2月26日、評議会本部はストライキ統制権を自己の手に移し、大阪本部より野田律太中央委員長が上京し、東奔西走、あるいは警視庁に、あるいは協調会に調停斡旋を依頼した。
十三、硬軟幹部の衝突
野田律太は、調停者の妥協案(1,200名争議団全員解雇、一人平均100円手当の支給)を受け入れた。南喜一、高田幸松ら硬派は納得せず、ついに乱闘を演じ野田は一時行方がわからなくなった。
3月14日争議団約50名が東西通用門を破壊し工場に侵入し、投石等の暴行をして23名が検束された。もはや自暴自棄の状態となった。
十四、解決
3月18日午後6時労資協定
協定書
一、双方事情止むを得ず大正15年3月19日をもって争議団を解散すること。
二、会社は総計金12万円を争議団に交付すること。
大正15年3月18日

会社側 大橋光吉 吉谷専吉
立会人 藤原銀次郎 石山賢吉
争議団 高田幸松 野田律太 渡辺政之輔等11名

覚書①
立会人石山賢吉は争議団に金壱万円を支払う

覚書②
会社は半年間に約200名を復帰させると石山に内示した
石山賢吉

附 争議経過一覧
(*協調会が作成したものなので、「3月14日の野田律太殴打事件」など真偽が疑われているものがあるので注意が必要)
1月8日会社操業短縮を発表
1月10日組合側協議
1月11日組合内外に檄文配布
1月12日出版労組第一支部大会開催
1月13日全日本無産青年同盟工場班示威的決議文を会社に提出
1月16日職場ではサボタージュ気分が高まる
1月18日組合時間短縮の撤回要求
1月19日博文館工場全面ストライキ突入
1月20日精美堂工場にもストライキ波及
1月21日会社1,800余名全員即時解雇を通告、争議団7カ所の集合所で結束を誓う
1月22日出版労働組合長高田幸松決議文提出、争議団警備隊を組織
1月23日争議団約400名、評議会拡大中央委員会を傍聴
1月24日会社1,300名に切り崩しの手紙郵送
1月25日職工長が争議団員切り崩し行動。争議団行商隊を組織、炊き出しを開始
1月26日評議会本部野田律太各集合所を激励訪問
1月29日自動車で軟派スト破りの狩出し。会社糾弾演説会600名
1月30日38名が切り崩されて争議団を裏切る。ほかに徒弟27名、職工長15名合計80名は工場寄宿舎に収容される。争議団演説会開催。
1月31日復職申し込みの裏切り112名
2月1日135名が就業。争議団警備隊約200名が工場寄宿舎を襲撃しようとする。約千名が上野動物園で示威行動の散策。
2月2日第一回労資交渉、決裂
2月4日約200名工場寄宿舎を襲撃しようとする。
2月10日就業者約500名に達す。演説会約400名
2月13日演説会約500名。役員宅を放火したものあり。
2月14日復職者約575名に達す。
2月18日一旦妥協成立
2月19日スト破り労働者、妥協案に反発してストライキ。会社妥協案調印中止の声明。
2月22日職工長、争議団員に殴打される
2月23日役員宅に投石あり
2月24日争議団行商活動再開
2月25日護国寺境内で争議団の運動会開催、演説会約千名。
2月28日工務課長宅に投石
3月2日重役宅に3名の争議団員乱入し、窓、硝子、襖など破壊
3月3日野田律太上京、協調会や大手印刷会社に連日調停依頼
3月10日野田律太、石山賢吉を訪問、石山調停はじめる
3月13日交渉成立
3月14日硬派幹部南喜一や渡辺政之輔らは妥協案に反対し野田ら幹部を殴打。野田律太行方不明となる
3月15日約50名工場襲撃
3月18日協定締結
3月20日争議団解散式



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