先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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健康保険スト―浅野セメント争議  1926年の労働争議(読書メモ)

2023年03月08日 07時00分00秒 | 1926年の労働運動

健康保険スト―浅野セメント争議  1926年の労働争議(読書メモ)
参照 「協調会史料」

浅野セメント女性労働者一同から全国同志諸姉妹への檄文
全国の同志諸姉妹!!
私達浅野セメント東京深川工場全従業員は28日を期して一斉に決起した。
私達は今迄工場主の悪虐非道な搾取にも、私達の無自覚な団結の無いために泪を忍んで屈従していなければならなかったのです。工場主は私達の団結がない事を幸いとして、益々私達に冷酷な搾取の鞭を加えてきたのです。

今度の健康保険法の料率においても、工場主は自己の工場設備が不完全であるにもかかわらず危険工場なりと称し、私達の生活をおびやかす事によって不当な利益を得んとたくらんでいるのである。
私達はこれ以上の賃金の低下は、私達にとって飢餓を意味するもので、これ以上一歩も引く事ができないのです。私達はセッパ詰まって、私達の唯一の力は団結にあることを悟ったのです。私達は敢然と立って男子従業員と共に、私達自身の団結力をもって非道なる工場主と決定的な闘争すべく立ったのです。

全国の同志諸姉妹!!
私達の今度の争議は、健康保険法という政治的な意味を含み、さらには健康保険法における争議の皮切りであるだけに、重要な全無産階級の問題なのであります。

全国の同志諸姉妹!!
私達は今全無産階級のために汗みどろになって工場主と闘っているのです。

全国の同志諸姉妹よ!
私達のこの全労働者の闘いに、直ちにあらゆる援助を與へ、しかして私達の闘いを有利に解決せしめよ! 

応援に!  激電に!  争議基金に!  

浅野セメント東京工場争議団女工一同
東京深川区大工町1-15 松村情方
 
大正15年11月28日

健康保険スト―浅野セメント争議 1926年の労働争議(読書メモ)
東京深川区住町の浅野セメント株式会社工場の労働者450名は、健康保険法実施による保険掛け金問題で闘いを開始した。

1926年(大正15年)11月、浅野セメント株式会社は次年1月からの健康保険法実施による保険掛け金に関し、「我が工場は特殊産業のため、職工の負傷・疾病率が多く、職工の負担する保険掛け金も他の工場に比べ高率になる」と労働者負担の保険料を「一銭9厘にする」と発表してきた。11月10日、関東地方評議会「東京合同労働組合」の組合員らは健康保険法についての研究会を開き、掛け金の全額を会社が負担することを要求する嘆願書を労働者350名の署名と共に提出した。会社は署名した労働者ひとりひとりを呼び出し、強制的に署名の取り消しを求めてきた。労働者側は、会社の署名取り消し強要に怒り、ビラを配布し労働者大会を開き、今後の態度を決定する事となった。
11月21日午後3時より深川区西平野町貸席小松倶楽部において労働者大会と演説会を開催し、会社と交渉する労働者代表8名を選んだ。演説会では東京合同労組の役員ら5名の演説があった。

(会社)
会社は、この問題は一般産業界に及ぼす影響が大なりとして徹頭徹尾強硬な態度を示してきた。

(450名ストライキ決行)
11月28日出勤した全労働者はそのまま職工大会場に移動し、その場で450名全員のストライキが決議され、会社に決議文を再び提出しストライキの決行を告げた。11月29日、全労働者は出勤せず争議団本部にて東京合同労働組合らから激励演説があった。11月30日争議団本部を深川区の演舞場東陽館にし、連日、演説会、労働講座などを開催した。

(浅野スレート工場でも労働者決起)
浅野セメント直営の浅野スレートの労働者136名も同様の行動を起こす動きを見せて来た。

浅野スレート工場労働者向けのビラ
浅野セメント男女四百五十名の従業員は今全力をあげて闘っている。
スレートの兄弟労働者諸君 スグに我らと共に立て!
健康保険法は労働者が怪我した時、病気した時、お産した時、死んだ時に法律(おかみ)の力で手当がもらえると言うような、うわべばかりは大変結構な法律だが、実際は労働者のふところの血で出る金で払わされるのだから何にもならない。改正工場法では全額を資本家が負担する筈になっているのだ。これでは一切がぶち壊した。

資本家に要求して全額負担させろ!!
我々労働者が働くために天下の浅野などといって威張っていられるんだ。してみれば健康保険法の料金は浅野で全額持つのがあたりまえだ。おまけに今のように安い日給でこんな一銭9厘などという高い、しかもわれらに一言の相談もない負担は絶対に払えるわけではない。こんな高い料金では健康の保険のためにかえってあごが乾上がる。
私たちはこうしてやむにやまれぬ理由によって一致団結して立ったのだ。そして今では区民全体が我々を助けてくれるばかりでなく全国の浅野系の全工場は歩調を合わせて立った。
特に職頭、世話役諸君、君達の立場は苦しかろうが、全国浅野数万の労働者の生命の問題だ。思い切って先頭に立って要求せよ。
スレートの諸君!全員そろってキカイをぶっとめて浅野にぶつかれ。我々セメント四百五十の兄弟を見殺しにするな! 全国の浅野の労働者を見殺しにするな! スレートだけ全国を裏切るな! 
浅野セメント東京工場争議団

(争議資金)
争議団は、全ストライキに参加した労働者から各自の日給一日分と応援労組のカンパから約千円の争議資金を得た。

(東京合同労働組合)
浅野セメント争議は、東京合同労組が主に応援し、深川の地域の各工場にも「健康保険」の闘いを波及させようと奮闘した。

深川地域住民向けの地域ビラ
深川地方の一般工場労働者諸君に訴える!!
 我々は何故争議を敢行したか
 浅野セメント五百名の労働者は、明年1月より実施される健康保険法の負担額があまりにも高いので、その全額を資本家が負担せよと要求した。

 我々は何故に(会社)全額負担を要求したか
 現在の浅野は平均日給一円五十銭という低賃金で、昼夜交替で働かされている。こんな安い賃金ではとても人間らしい生活はおろか満足に妻子すら養うことができない。おまけに俺達は工場で怪我わしたり病気になったりするのは、俺達が好きでなるのではないのだ。安い賃金と深夜業とは俺達の身体を悪くするのだ。浅野が利益を上げるために五百の従業員は血と肉とを浅野の前に捧げているのだ。俺達の病気怪我の場合その費用を全部資本家が負担するのは当たり前なのだ。
しかるに今度実施されんとする「健康保険法」は当然彼らが負うべき責任を俺達労働者に負担させようとする彼らの陰謀である。無茶な暴法の前に我々はだまっていることはできない。

 全労働者階級の利益の為に諸君はただちに起って応援せよ!
したがつてこの闘いの勝敗は一、浅野セメント工場従業員ばかりではなく、健康保険法の適用を受ける全労働者の勝敗なのだ!!!
(略)
 起て深川地方の労働者諸君!!!
 起て健康保険法の改廃を要求せよ!!!
 全労働者の利益を守れ!!!
浅野セメント東京工場争議団

(暴力団)
12月3日早朝、会社が雇った暴力団200名が大挙して争議団本部を襲撃した。暴力団は、暴行、脅迫、器物破損等思う存分あばれ、無抵抗の争議団員に暴行を加えた。その場にいる数十名の警官は暴力団の暴行を見て見ぬふりをするばかりか、逆に抗議する争議団員に向かって「騒げば検束するぞ」と脅してきた。暴徒は争議団員、東京合同労組員など10名に重軽症を負わせ引き上げた。争議団はただちに「警官と暴徒の一団争議団を襲う」と題するビラを各新聞社を訪問し配布した。午後3時、東京合同労働組合幹部と争議団代表が丸の内の浅野セメント本社を訪問し、総務部長らと面会し、「会社が雇った暴力団と暴力」について厳重に抗議した。会社は「暴力団は雇っていない。会社に関係ある者に警備をやらせているにすぎない」ととぼけた。

(12月4日労働者大会決議)
決議
「明年1月1日より実施せんとする健康保険法は名を労働者の保護と称し、その正体は労働者を資本家の利益の為に、一層搾取せんとする悪法である。我々労働者が負傷し、死亡し、病気に悩まされているのは、皆資本家の利益を生みださんが為の犠牲である。百尺の高塔、黄金の殿堂も皆我ら労働者が工場において流した鮮血のかたまりであるまいか。

工場内において我々が負傷し、死亡し、病気する一切の負担は、資本家が負担すべきが当然である。従って改正工場法はかくのごとき理由によって我々労働者が、資本家に全額負担させるべき戦いとった法律である。しかるに資本家は改正工場法をも蹂躙し、労働者の貧しきふところより負担させようと企てたのである。我々労働者は、かくのごとき労働者の生活を脅かせんとする資本家の企てに対し、徹底的に抗争し、全額を資本家に負担させねばならない。と同時に、我々はこの悪法の改廃を、資本家の政治権力に向かって、断然要求し、抗争し、戦いとらねばならぬ
右決議する
大正15年12月4日
労働者大会」

(会社)
会社は、本争議で譲歩すると産業全体に及ぼす影響が大なるとし、あくまで強硬姿勢を続けていたが、12月5日会社は、いったんは争議解決に向け争議団本部に会見を申し入れてきた。争議団代表唐澤清八ら3名が丸の内本社を訪問したが、話し合いは決裂した。会社は更に労働者宛てにスト破りを促す手紙を郵送するなど争議団切り崩しを行い続けた。会社の圧力に負けた約70名が裏切り、スト破りをして出勤したが、会社によって彼らはそのまま全員寄宿舎に閉じ込められ外出は禁止された。

会社は、争議団を切り崩し、総計160名のスト破り(就業者)が出たとして、もともと争議不参加の労働者150名とあわせて12月13日より本格的な作業を開始した。その後スト破り労働者は増え、15日には240人に増えた。

(官憲の大弾圧)
会社の暴力団によるたびたびの襲撃と、12月10日には官憲が争議団150名もの検束してくる大弾圧をしてきた。翌1927年1月11日、三田警察は、スト破りの労働者に暴行を加えたとして組合員5人を検挙し、拘留15日を命じてきた。

(争議団)
争議団は以下の申し合わせをした。
(イ)、裏切者は発見しだい制裁を加える
(ロ)、警察の暴圧に対してはあくまで対抗し戦う
(ハ)、警備隊30名で家庭訪問隊を組織し不参加の労働者宅を訪問し説得する

(争議団演劇計画)
争議団有志による演劇が計画されたが、所轄警察は許可がないとやらせないと弾圧してきたため実現しなかった。争議団は演説会と労働講座を開催した。

(争議団本部の追い出し)
争議団本部として借りていた東陽館から、「争議団には、昨日限りで今後は貸さない」と通告がきた。移転先と頼んだ小松倶楽部からも断られた。争議団が米を購入していた米屋からも突然代金の取り立てが厳しくなった。全部会社が手をまわした卑怯なやり口であった。

(爆弾投入のうわさ)
争議団が浅野邸と工場に爆弾を投げるとのうわさが突然流された。警察は争議団員を検束して取り調べをしたが全く根も葉もないことであった。

(スト破り)
12月19日スト破り就業者266名、12月21日同283名となり、会社は残っている争議団員に「来たる12月24日までに出勤しないと解雇する」と書面で脅してきた。12月25日にはスト破り就業者は371名と会社は発表した。

(暴力団員、争議団員を襲撃、重症を負わす)
12月20日午後9時、会社に雇われた暴力団員が、争議団本部から出てきた争議団員に喧嘩をふっかけ、小刀で左足膝など7カ所を切り付け重傷を負わせた。評議会は「見よあの浅野の暴圧ぶりを」とする糾弾地域ビラをまいた。

(解雇攻撃)
会社は12月17日に16名に、12月29日には10名の組合員に解雇通告をしてきた。また争議団全員に対し再度出勤に応じない時は、12月30日をもって全員を解雇すると通知してきた。

(争議団行商開始)
12月31日の歳末、1月1日から年始の連日、争議団は浅野邸に押しかけた。1927年(昭和2年)1月20日争議団と応援部隊約230名が集合し、持久戦を決意し、56名の行商隊を作った。行商隊は2名一組となり日用品雑貨販売の行商のため各地に向かった。

(争議解決)
2027年1月17日争議は以下の覚書を取り交わし解決した。

覚書
一、会社は金一封(金200円)を支払う
一、会社は金一封(金1千18円22銭)を支払う(解雇された36名に対する解雇手当として一人につき日給2週間分)
一、会社は金一封(金175円)を支払う(雇用契約者解雇された者への解雇手当一人につき35円)
一、会社は金一封(金1千110円)を支払う(解雇された者への特別手当)



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