今回は台東市區から少し離れたところにある廃駅を紹介します
馬蘭火車站かと思った?残念!檳榔火車站でした!
檳榔(びんらん)火車站は台湾鐵路管理局台東線に所属していたスイッチバック駅です。駅名は檳榔ですが周りの住所や地名では賓朗と書いてあったりしますがどちらも同じ場所です
御託はいい!写真だ!写真を出せ!という人は下まで飛ばしてください
現在の台鐵の路線図を見てもひょっとしたら台東線という路線は見当たらないかもしれません
路線図によっては台東線と表記してあったりそうでなかったり。日式台湾時刻表ではその路線は台東線と書いてあります
ちなみにウィキペディアの記事名は「台東線」になっています。花東線で検索すると台東線の記事が検索結果上位に出てきます
台東線は現在の花東線のことだと思っていただければとりあえず大丈夫です。現在では台鐵も案内放送などでは花東線を使用していることが多いです
台東線は1926年に現在の花蓮港と台東舊站を結ぶ全線が開通しました。檳榔車站は1922年に日奈敷という名前で開業しています。当時は日本統治時代でした
台東線は軌間が762ミリの所謂ナローゲージでした。その為、台北方面から花蓮まで1067ミリの線路が延びてきても軌間が違ったので直通ができなかったのです
運転系統は花蓮で分断され、台東線は台鐵の路線の中でも一風変わった路線として独自の道を歩んでいきます
今でもナローゲージ時代の台東線の気動車が客車に改造されてイベント列車などで使用されています。また、台東舊站にはDR2050型が静態保存されています
戦後になって日奈敷という駅名が檳榔に変わります。戦後もしばらくはナローゲージのままでした
やがてナローゲージでは輸送力に限りがあるということで1978年から1982年にかけて、軌間を1067ミリに改軌する工事が行われました
この工事は計画名を省略して「東拓」と呼んだりします。東拓前と後では台東線は大きく変わりました。新線へ切り替えた区間もかなりあります
私は便宜上、東拓前の花蓮~台東間の路線を台東線と呼び、東拓後のそれを花東線と呼んでいます
いつ頃から台鐵が案内で花東線を使い始めたのかよくわかりませんのであくまで個人的な呼び方です
改軌されても花東線は西部幹線の路線とは違ってのどかな路線のままでした。2003年まで主要幹線ながらタブレット閉塞が採用されていてそれはそれは見事な通過収受が行われていたそうです
そんな花東線でしたが今年末までに全線電化する予定で工事が進められています。新線に切り替えるところも多く、一部は既に切り替えられ駅が廃止されたりしています
電化と一緒に駅舎も新しくするところが多いようで東拓時代から使っている駅舎も時間の問題かもしれません。花東線らしさがどんどん過去のものになっていきます
東拓によって新線に切り替えられた区間も多いと書きましたが檳榔車站付近の区間もその中に入っていました
1982年6月27日、檳榔車站は新線切り替えに伴い廃駅となりました。檳榔車站の他にも新線切り替えに伴って廃止された駅はかなりあります
廃止後もしばらく駅舎などの設備が良好な状態で放置されていたようですが、近年綺麗に整備されたようです
さて、長々とどこかで仕入れた浅はかな知識を書き連ねましたがここからが本番です

道路から駅舎側を向いています。駅舎の向かいに石積みのホームが残されています。線路は全て剥がされています

ホームの奥には説明版があり、中国語と英語で檳榔車站の歴史が詳しく書かれています。当時の配線図や白黒写真もありました





この写っている女性は当時有名なアイドルとかだったんでしょうかね?


現役当時の写真を見ると白塗りでもっとカラフルな駅舎だったみたいですが整備したときに日本統治時代風にしたのでしょうか。木の色そのものです


どこから持ってきたのかわかりませんが信号テコや転轍器標識が並んでいます。一部は写真みたいに動かせました


駅舎の中には入れませんが出札窓口らしき窓や駅舎の裏にある鉄道官舎に続く扉が見えます



駅舎の横にはトイレやコンクリートで出来た建物があります。こっちは何の建物だったかな

中を覗くとまだ色々転がってますよ
駅舎の裏には鉄道官舎があります。日本統治時代に作られたものだそうで、確かに日本っぽいですね


他に給水塔が残ってるらしいのですが自分は見つけられませんでした。道路の反対側に草がたくさん生えているところがあったのでそっちかもしれません
檳榔車站には台東に到着した日の夜にポンポンさんの知り合いの方に連れて行ってもらいました
近くの山に夜景を見に行く途中に私が鉄道が好きだと知ったので行程に組み込んでくれました
全く下調べをしていなかったので突然現れた廃駅に驚きました。夜だったので暗くて全体がよくわかりませんでしたが、翌日の昼間にまたポンポンさんに連れて行ってもらえました
1回目は車で、2回目はバイクで2人乗りしていったので檳榔車站の位置を把握するのに時間がかかりました
というのもウィキペディアに書いてある「臺東縣卑南鄉賓朗村20鄰42號」という住所で地図検索しても賓朗村という大雑把な集落の枠しか出てこないのです
2回とも公共交通を使わずに行ってしまいましたがすぐ近くの台9線という道路をバスが走っているのでそちらを利用すると便利です
鼎東客運(山線)の賓朗という停留所で降りてください。運賃は台東總站から28元です
關山、池上、富里方面に行くバスが通ります。台東總站から乗る場合は第一月台から発車するバスに乗ってください。大体1時間に1本くらいあります
台東からバスに乗って賓朗で降りたら、バスが進む方向に少し歩くと交差点があります。似たような交差点があるので気をつけてください
左手に「賓朗路517巷」と書かれた緑色の看板が見えたらその交差点を右に曲がってください
グーグルマップを見ると賓朗國小から北に200mほどのあたりに台9線と賓朗路517巷が交わる交差点があります
マップではT字路になっていますが実際には十字路になっています。マップには書いてない道路ですがごく普通の道路ですからそこを通ってください
マップにない道路を30m進むと右手に檳榔車站が見えてきます。はい、到着
グーグルマップをブログに貼り付けるやり方がわからないのですごくわかりづらい説明で申し訳ありませんがこんな感じです
ストリートビューで檳榔車站の写真を見ることができるのでそれを目印にする方が楽だと思います
帰りは全てのバスが台東總站に行きますからバス停で帰りの時刻を見ておけば安心です
台湾は右側通行ですから反対方向のバス停でいつまでもバスを待たないように気をつけてください

それではさよなら~
「・w・「きしゃー
馬蘭火車站かと思った?残念!檳榔火車站でした!
檳榔(びんらん)火車站は台湾鐵路管理局台東線に所属していたスイッチバック駅です。駅名は檳榔ですが周りの住所や地名では賓朗と書いてあったりしますがどちらも同じ場所です
御託はいい!写真だ!写真を出せ!という人は下まで飛ばしてください
現在の台鐵の路線図を見てもひょっとしたら台東線という路線は見当たらないかもしれません
路線図によっては台東線と表記してあったりそうでなかったり。日式台湾時刻表ではその路線は台東線と書いてあります
ちなみにウィキペディアの記事名は「台東線」になっています。花東線で検索すると台東線の記事が検索結果上位に出てきます
台東線は現在の花東線のことだと思っていただければとりあえず大丈夫です。現在では台鐵も案内放送などでは花東線を使用していることが多いです
台東線は1926年に現在の花蓮港と台東舊站を結ぶ全線が開通しました。檳榔車站は1922年に日奈敷という名前で開業しています。当時は日本統治時代でした
台東線は軌間が762ミリの所謂ナローゲージでした。その為、台北方面から花蓮まで1067ミリの線路が延びてきても軌間が違ったので直通ができなかったのです
運転系統は花蓮で分断され、台東線は台鐵の路線の中でも一風変わった路線として独自の道を歩んでいきます
今でもナローゲージ時代の台東線の気動車が客車に改造されてイベント列車などで使用されています。また、台東舊站にはDR2050型が静態保存されています
戦後になって日奈敷という駅名が檳榔に変わります。戦後もしばらくはナローゲージのままでした
やがてナローゲージでは輸送力に限りがあるということで1978年から1982年にかけて、軌間を1067ミリに改軌する工事が行われました
この工事は計画名を省略して「東拓」と呼んだりします。東拓前と後では台東線は大きく変わりました。新線へ切り替えた区間もかなりあります
私は便宜上、東拓前の花蓮~台東間の路線を台東線と呼び、東拓後のそれを花東線と呼んでいます
いつ頃から台鐵が案内で花東線を使い始めたのかよくわかりませんのであくまで個人的な呼び方です
改軌されても花東線は西部幹線の路線とは違ってのどかな路線のままでした。2003年まで主要幹線ながらタブレット閉塞が採用されていてそれはそれは見事な通過収受が行われていたそうです
そんな花東線でしたが今年末までに全線電化する予定で工事が進められています。新線に切り替えるところも多く、一部は既に切り替えられ駅が廃止されたりしています
電化と一緒に駅舎も新しくするところが多いようで東拓時代から使っている駅舎も時間の問題かもしれません。花東線らしさがどんどん過去のものになっていきます
東拓によって新線に切り替えられた区間も多いと書きましたが檳榔車站付近の区間もその中に入っていました
1982年6月27日、檳榔車站は新線切り替えに伴い廃駅となりました。檳榔車站の他にも新線切り替えに伴って廃止された駅はかなりあります
廃止後もしばらく駅舎などの設備が良好な状態で放置されていたようですが、近年綺麗に整備されたようです
さて、長々とどこかで仕入れた浅はかな知識を書き連ねましたがここからが本番です

道路から駅舎側を向いています。駅舎の向かいに石積みのホームが残されています。線路は全て剥がされています

ホームの奥には説明版があり、中国語と英語で檳榔車站の歴史が詳しく書かれています。当時の配線図や白黒写真もありました





この写っている女性は当時有名なアイドルとかだったんでしょうかね?


現役当時の写真を見ると白塗りでもっとカラフルな駅舎だったみたいですが整備したときに日本統治時代風にしたのでしょうか。木の色そのものです


どこから持ってきたのかわかりませんが信号テコや転轍器標識が並んでいます。一部は写真みたいに動かせました


駅舎の中には入れませんが出札窓口らしき窓や駅舎の裏にある鉄道官舎に続く扉が見えます



駅舎の横にはトイレやコンクリートで出来た建物があります。こっちは何の建物だったかな

中を覗くとまだ色々転がってますよ
駅舎の裏には鉄道官舎があります。日本統治時代に作られたものだそうで、確かに日本っぽいですね


他に給水塔が残ってるらしいのですが自分は見つけられませんでした。道路の反対側に草がたくさん生えているところがあったのでそっちかもしれません
檳榔車站には台東に到着した日の夜にポンポンさんの知り合いの方に連れて行ってもらいました
近くの山に夜景を見に行く途中に私が鉄道が好きだと知ったので行程に組み込んでくれました
全く下調べをしていなかったので突然現れた廃駅に驚きました。夜だったので暗くて全体がよくわかりませんでしたが、翌日の昼間にまたポンポンさんに連れて行ってもらえました
1回目は車で、2回目はバイクで2人乗りしていったので檳榔車站の位置を把握するのに時間がかかりました
というのもウィキペディアに書いてある「臺東縣卑南鄉賓朗村20鄰42號」という住所で地図検索しても賓朗村という大雑把な集落の枠しか出てこないのです
2回とも公共交通を使わずに行ってしまいましたがすぐ近くの台9線という道路をバスが走っているのでそちらを利用すると便利です
鼎東客運(山線)の賓朗という停留所で降りてください。運賃は台東總站から28元です
關山、池上、富里方面に行くバスが通ります。台東總站から乗る場合は第一月台から発車するバスに乗ってください。大体1時間に1本くらいあります
台東からバスに乗って賓朗で降りたら、バスが進む方向に少し歩くと交差点があります。似たような交差点があるので気をつけてください
左手に「賓朗路517巷」と書かれた緑色の看板が見えたらその交差点を右に曲がってください
グーグルマップを見ると賓朗國小から北に200mほどのあたりに台9線と賓朗路517巷が交わる交差点があります
マップではT字路になっていますが実際には十字路になっています。マップには書いてない道路ですがごく普通の道路ですからそこを通ってください
マップにない道路を30m進むと右手に檳榔車站が見えてきます。はい、到着
グーグルマップをブログに貼り付けるやり方がわからないのですごくわかりづらい説明で申し訳ありませんがこんな感じです
ストリートビューで檳榔車站の写真を見ることができるのでそれを目印にする方が楽だと思います
帰りは全てのバスが台東總站に行きますからバス停で帰りの時刻を見ておけば安心です
台湾は右側通行ですから反対方向のバス停でいつまでもバスを待たないように気をつけてください

それではさよなら~
「・w・「きしゃー
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