katsuoと輸快な仲間たち

台湾と鉄道とバスと温泉が大好きな埼玉県民。音鉄をしたり何の変哲も無い切符を集めています

【第三次台湾遠征】莒光號に揺られて台東へ

2013年09月17日 | 【第三次台湾遠征】
7月2日(火)

今日は台北から台東に移動する日です。台北を6時14分に発車する莒光51次に乗って約7時間かけて台東を目指します

莒光51次の客車は電源車を含めて7両編成です。台北から新左營までは電気機関車が、新左營から先はディーゼル機関車が牽引します

花蓮でもう1回電気機関車に交換すると思いますがそこまで実際に見てないのでなんとも

ところでこの莒光51次という列車なんですが駅で発車案内標を見ても莒光51次とは表示されてなかったりします



これは1年前に初めて台湾を訪れたときの台北車站の写真ですがちょうど莒光51次が発車する直前の1階切符売り場の案内表示機です。あのパタパタ動く懐かしいやつですね

この写真を見る限りではどこにも莒光51次の文字はありません。でもよく見ると莒光51次の発車時間と同じ6時14分に南下する觀光と表示された列車があるのがわかります

台北站付近は複線なので同時に2本の列車が同じ方面に発車することはできません。そうです。この觀光と表示された列車こそが莒光51次でもあるのです

觀光という種別は觀光列車(かんぐわんりえちゃー)という文字通り観光向けの列車です。制度上は觀光列車は莒光號ということになっています

つまり、これから私が乗る列車には2つの列車番号がついていることになります。莒光1次と莒光51次です

莒光1次なんて実質「觀光」という莒光號とは別の種別みたいなものですから異なる種別が1つの列車にまとまっていると考えてもあながち間違いではないような気がします

この日は1両目が電源車、2両目から4両目が莒光1次で5両目から7両目が莒光51次となっていました

莒光1次の乗車券は駅では買えないそうです。旅行会社などで買えるそうですが中国語喋れないとちょっと敷居が高いですね。莒光51次の乗車券は駅で買うことができます

列車は台北始発です。西部幹線を南下して、樹林、台中、台南、高雄、枋寮、台東、花蓮を経由して夜に台北に戻ってきます

台湾をぐるっと1周するわけですね。しかし実際に1周するのは莒光1次だけで時刻表上は莒光51次は花蓮止まりです。多分花蓮に到着しても後ろの車両を切り離すって事はしないと思います。締め切るだけでしょう



この写真を見ればわかりやすいと思います。後日太麻里付近で撮りました。ラッピングされている部分が1次で後ろのオレンジ色の部分が51次です

中ほどのピンク色のラッピングの車両は売店がついているそうです

さて、朝早く起きて余裕を持って宿を出たつもりでしたが荷物が重かったので予想以上に時間がかかってしまいました

有人改札をものすごい勢いで通り抜けてなんとか飛び乗ることに成功。改札口では乗車券を一瞬だけ見せてそのまま通過したので入鋏されませんでした

なんとか乗ったのはいいものの、スーツケースが大きすぎて置き場所に困りました。後方のデッキと客室を隔てる壁と座席の隙間に無理やり押し込もうとしましたが分厚すぎて入らず

結局後方のデッキが広かったのでそこにくくりつけて放置しておきました。時々様子を見に行ったりしながら

朝早く起きたので座ってしばらくすれば寝れるだろうと考えていましたが全然寝れませんでした。携帯ばかりいじっていても電池がなくなってしまうので途中から本当にやること無くなります

途中で乗っている車両のトイレが故障したらしく、駅で整備員が乗ってきましたが修理できないようなので張り紙が貼られて使用停止となりました

台北を発車してから5時間で新左營に到着しました。新左營に着いてからしばらくしてからやっと機関車交換があることを思い出します

それならばまだ先は長いし何か買っておこうと思って改札口で交渉して出してもらい、構内のセブンイレブンで色々買い物を済ませました

次の停車駅の高雄で乗車券を分割した都合上座席が変わります。まあ同じ車両で移動するだけなので大したことではありませんが

屏東あたりになると車内販売がやってきました。お昼時なのでみなさん便當を買い求めています。べんた~ん♪べんた~ん♪

屏東線の一部区間は今年の6月に高架になりました。個人的には地上をトロトロ走るのが屏東線らしくていいなと思っていたので高架化は残念に思っていました

しかし実際に乗って車窓を眺めてみると高架になったことで今まで見えなかった周りの景色が見えるようになったのであながち悪くないなと思ってしまいましたよ

南迴線に入り、枋野號誌站で普快3671次を追い抜かしてどんどん列車は進んでいきます

太麻里に普快車と冷氣平快の廃車体が何両か置いてあることに気付きました。昨年12月にはいなかったので知り合いに聞いてみたところ、いよ割と最近留置されたと教えてもらいました

台東に着く直前に自動放送の後、車掌さんがカタコトの日本語で車内放送をしていました。「ミナサマ、タイトウニトウチャクデス」と言っていたかな確か



7ヶ月ぶりの台東站です。ホームの屋根の上には架線を支える柱を設置する場所ができていたり、側線には架線柱が立っていたりと電化工事が着々と進んでいるのが嫌でもわかりました

台東では知り合いの知り合いの知り合いを通じてその方の家の部屋を間借りすることになっています

駅からはタクシーで家まで向かいます。乗ったら電話してくださいと言われていたので電話をしてタクシーの運転手にかわります

家主さんと運転手が住所のやりとりをしてるみたいですがどうも運転手は場所がよくわからないのかなかなか電話が終わりません

しばらく走り続けてある交差点に着くとバイクに乗った2人の人がタクシーを先導するように走って行きます

そのままタクシーがついていくと目的地に到着しました。ちょうど台東の市街地の真ん中あたりです

家主さんはポンポンさんという女の方でお母さんと一軒家で2人暮らしをしているそうです。時々知人からの紹介で部屋を貸したりしてるんだとか

もう1人の方は知り合いの方に紹介してもらったTさんです。彼は太麻里の中学校で先生をしています。日本語が昔からペラペラで何故か博多弁が混じっています

私の知り合いが横浜に住んでるMさんで、その知り合いが台東在住のTさんで、その知り合いがポンポンさんです。ややこしい

借りた部屋は2階の1室でしばらくは他にお客さんはいないから自由に過ごしてもらって構わないとの事でした

部屋はフローリングで扇風機と机とクローゼットと畳が1畳分ありました。畳は敷布団のかわりです。フローリングに直接雑魚寝するよりはマシですがやっぱりゴツゴツします

トイレと風呂は隣の部屋に一緒になっています。浴槽は台湾でよく見るタイル張りの浅いタイプのものです

最初は冷房があると聞いていたのですがそれらしきものはどこにも見当たりません。1階のリビングには確かにあったのですが見た目がすごく古く、全く使ってないみたいでした

しかし冷房はなくても扇風機だけで十分でした。日本よりはるか南ですが暑さの質がどうも違います。カラッとしていて気温ほど暑さを感じないのです

帰国してから正直東京の方が暑いと感じました。なんか蒸し暑いんですよね

荷物を置いてしばらくしたらポンポンさんがバナナを振舞ってくれました。なんでも自分の畑で作った自信作なのだとか

リビングで少し話をしていると、Tさんがバイクで台東の街を案内してくれることになりました

Tさんの後ろに乗って2人乗りしながら台東市内を少し走ります。タンデムするのは初めてなんですが低速でも怖かったです

Tさんは「速過ぎたら言ってね」と言ってくれましたがあんまり怖い怖い言ってると自転車並みの速度でしか進めなくなってしまうので我慢します

近くの自転車屋さんで「修理や点検ならここね」とか「この通りはメインストリートだからよく覚えておいて」とか「この家は日本統治時代からの家で政府が買い取って保存している」とか

途中でTさんいきつけの甘味処に寄って緑豆のおしるこみたいなものを食べました。素朴な味でなかなかおいしいもんです

Tさんはつい最近台東車站の近くに家を買ったらしいのですがまだリフォームとかが済んでないので引っ越せないんだとか

今Tさんは台東市内の一軒家を間借りして住んでるそうです。バイクでそこまで行って自転車をお借りしました

Tさんが使ってない自転車をわざわざ整備してくださったそうです。この自転車には台東滞在中すごくお世話になりました。ありがとうございます

自転車を借りても家までの帰り道がわからないのでTさんのバイクに先導されて自転車を必死にこぎながらついていきます

途中の交差点で停止線のかなり手前で信号待ちをしている人たちがいたのに気付くとTさんが「あれは暑いから日陰で待ってるんだよ。みんな適当でしょ?」と

少し走っただけなのでまだ頭の中に地図が入っていませんがともかくこれから1ヶ月におよぶ台東での生活が始まります

これからしばらくは私が台東で暮らしたお気楽な1ヶ月間のネタを少しずつ綴っていきます

それではさよなら~

「・w・「きしゃー


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