かつて私の苦しんだ病、脳脊髄液減少症。
こんなに若くて可愛くて
寝たきりでピアノを弾くこの女性のブログを、魂の父である竪山勲さんから教えてもらいました。
もし病が治ったら、同病で苦しむ方々に寄り添いたいと思っていたのに、
この病の悲しみの深さを知ったが故に、治ったら、自分だけそこから抜けたんだと、この病で苦しむ方に申し訳ないような気持ちになり、人の悲しみ苦しみは、とても抱えきれないと、離れていた自分がいます。
魂の父から
〇〇(私の名前)、この病気の人はピアノなど弾けるのだろうか、お前ならわかると思って、教えてくれ。。
と質問されました。
ハンセン病で40年隔離をされ、壮絶な人生を生き抜いた竪山勲さんは、未だにこの病の認知をあげる普及をし、病の方々に寄り添ってくれています。
この病気は身体の苦痛が極限になって起きていられなくなり、その結果、寝たきりになるので、直ぐに手足が動かなくなるわけではないんです。
ただ、感覚が辛すぎて、少しずつ何もできなくなるので、エネルギーが残っていて、手が動く限りはピアノは弾けると思います。。
とお答えしました。
私は治ったけれど、15年前、同病で繋がった方は、未だに車椅子で苦痛の日々を送っていたりしていて、
その方のInstagramや Facebookの投稿を見るたびに、
何もできない自分のことを、微力にもなれていないと、反省とは少し違った、悲しいといったやるせない感覚を覚えます。
病の時、こんな苦しみが世の中にあるんだと知りました。もう生きられないと。
このピアノを弾く美しい女性の笑顔の裏に、沢山の涙がある事も、容易に想像出来ます。
もしかしたら聴覚障害があって、音もしんどいかもしれないけど、ピアノが大好きで、人と繋がっていたくて、こうして彼女なりに出来ることをブログやYouTubeで発信しているのかもしれないと思いました。
写真の書は、15年前に同病の女性が寝たきりで書かれたものを、当時、写真で送って頂いたものです。
その女性も、とても美しい方でした。
随分連絡もしてなくて、今は繋がってないけど、彼女は今どうしてるのかなと思います。
私のように治って元気になった人は、
病の事を忘れてしまう人もいるでしょうし、
悲しみが深いことを知っているから、自分を守るために、治ったことを言わないように、声をひそめている人もいると思います。
私自身、私の治った道が、この病の人全ての人が治る道でないかもしれないし、治療費のこともあり、安易に伝えて良いものかと考えた事もありました。
でも、西洋医学、東洋医学、心、全てを取り入れて、それらを循環させて治した私の方法が誰かの役に立つなら、今でも力になりたいと思います。
脳と脊髄を循環している、髄液という大切な水を、骨格を整え、自らつくり出し、そして循環させてあげることの大切さを感じています。
髄液漏れを止める外科手術は応急処置で、それだけで完治は難しくて、循環システムを整える東洋医学も欠かせないと思っています。
そして病に向き合う心も大切です。
この病の方に、大変な道だけど元気になれるんだよと教えてあげたい。
どんな道もまずは一歩から。
縁があればだけど、私で良ければ寄り添いたいと改めて思いました。