第87番札所長尾寺の寺伝によれば、天平11年(739年)行基が当地で楊柳に霊夢を感じその木で聖観音菩薩像を刻み、堂宇に安置したのが始まりとされ、その当時は法相宗とされた。
なお、寂本の『四国偏礼霊場記(1689年刊)』には、聖徳太子が創建し、本尊聖観音菩薩像は空海作で同時に阿弥陀如来を造り当寺を再興したとなっている。
空海(弘法大師)が渡唐前、入唐求法の成功を祈願し年頭七夜の護摩の秘法を修し、その7日目の夜に護摩符を丘の上より人々に投げ与えたとの伝説があり、これは毎年1月7日の「大会陽福奪い」として今に伝わっている。
天長2年(825年)唐より帰朝した空海は大日経を一石に一字写経の万霊供養塔(現存せず)を建立し伽藍を整え真言宗に改宗した。
Wikipediaより
日本三大名門の1つという山門をくぐります。
お決まりの鐘を鳴らします。
大好きな斎藤ひとりさんだ✨
山門をくぐると香川県の保存木のクスノキが迎えてくれます。
御本尊 聖観世音菩薩
本尊真言 おん あろりきゃ そわか
ご詠歌 あしびきの山鳥の尾の長尾寺(ながおでら) 秋の夜すがら御名(みな)をとなえよ
本堂です。
大師堂です。
静御前が源義経と別れた後、母の磯禅師と共に当寺を訪れ、得度したとの言い伝えもあり、静御前の位牌が本堂の左脇陣にある。
平安時代、当長尾寺に明印という名僧がいた。
讃岐国司であった菅原道真公と親交厚く、延喜二(九〇二)年、道真公が九州へ左遷のときに志度浦に出て「不期天上一円月、忽入西方万里雲」の詩を贈って心を慰めた。
公もまた詩と自画像を明印に与え別れを惜しんだが、後にこの古事により、宝永七(一七一〇)年、天満自在天神宮として建立、当山鎮守として祀られている。
長尾寺HPより
こちらが長尾天満自在天満宮です。
開運石なんてものがありました。
ちょっとした隙に主人が甘納豆入りおはぎを買って来ました。
これ、有名らしくて、それほど甘くなくて美味しかったです💖
本堂、太子堂、右横私😆
本堂、太子堂、右横私😆
いよいよお遍路も残すところあと一つになりました。
大きなクスノキにご挨拶して第88番札所大窪寺に向かいます。