本当は今日帰省予定だったのに帰れなくてごめんねと朝焼けの美しい写真を送ってくれました。
大学生の息子も娘も関東にいます。
帰省したかっただろうけど、今は流石に動けなくて帰省を二人とも取りやめました。
今、高知に帰ってきても、友達と会ったり、外で会食したり出来ないよと話したから、飛行機も取ってたけど二人とも帰省を諦めました。
娘はあまり勉強が好きでなかったけど、息子は親の期待に応えようと努力出来る子でした。
嫌いなものは嫌いと断固として勉強をあまりしない娘に、期待する事もなくなり、だんだん勉強しなさいともいわなくなりました。
一方で息子は期待に応えようと頑張ります。可哀想なくらい期待に応えようとして何もかも我慢して自分を追い込んでました。
息子は浪人して、期待に応えてくれました。でもそこが合わなくて、またやり直して、とてもしんどい道を歩ませてしましました。私の期待が執着に変わり、今となっては本当に可哀想な事をさせてしまったと思います。
執着を手放す事を息子が教えてくれたと思ってます。私も人の親なのだけれど未熟な人間です。子供から教えてもらうことが沢山あります。ある時、息子が私に執着を手放すという修行をさせる為に、しんどい事を背負ってくれたと気付いたのです。
自分の未熟さに気付き、息子に申し訳なかったと反省しました。ごめんねと謝り、親の思う事でなく自分の好きな事をしなさいと伝えました。
今は二人の子供に、ただ自分の好きな事をみつけて、自分の幸せを自分で感じられる人になって貰いたいと願い、遠くから見守っている感じです。
勉強嫌いだった娘が、今頃になって自分から勉強して資格取ろうかなと言ってみたり面白いなぁと思います。
地位とか名誉とか学歴とか、もっともっとはしんどいです。競争社会がもたらす弊害かもしれません。
どんな遠回りをしようとも自分の今が自分で感じて幸せなら、誰が何を言おうと幸せであり、人との比較でなく、幸せは自分の中にあるのです。
だから幸せはやっぱり自分の中にあると私は思います。