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お山にお宮がたちました

四国別格二十霊場 第18番札所 海岸寺

丸亀城を横目に見ながら、次の札所に向かいます。



丸亀城ほとりの池に白鷺発見。

海岸寺、本堂の入口には二力士像が立っていました。




そして、本堂から離れた所にある大師堂に車で向かいます。


こちら、元々は空海さんのお母様の御実家のようで、こちらで空海さんが誕生したとの説もあるようです。


一般的には宝亀5年(774年)に父方出身地である、讃岐の多度郡屏風浦(香川県善通寺市)で生まれたとされています。

江戸時代に弘法大師生誕の場所をめぐって争論が起き、海岸寺が敗訴した結果、善通寺が空海誕生の地として確定されたようです。

江戸時代は、父方の実家で子供を産むのが風習だったようで、争論の結果、父方出身地である善通寺だとされたのかもしれず、平安時代は血を穢れとみなしていた時代なので、里帰り出産がメインだったのかもしれませんけど、真実はわからずです。



海岸寺ですが、空海のお母様の実家のあった場所に建立されたと伝えられており、建立当時も母方の実家で出産をしたであろうということで、この地が空海の実際に誕生した場所とされていました。

玉依御前が空海を産んだ他の場所の説として、仏母院から西へ約2kmの海岸寺御影堂の前に産井があって、そちらではないかという説もあるようです。
一方、善通寺御影堂の横にも産井があるようです。


空海の幼名は真魚です。
父は郡司の佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は玉依御前(阿古屋御前、阿刀大足の娘、または阿刀大足の妹)です。

母方の阿刀氏は水路の要衝の水運業で勢力を持ち、またその姓からも、安曇系海人族に関係した氏族であったことが推理できます。

真魚という名前も海人族ならではなんでしょうかね?




現在も海岸寺には、大師が生れた時、そこの産湯水を産湯をつかったといわれる井戸があり、この水を飲むと眼病に効くといわれています。



また、空海が生まれ育った場所は、多度津の母方の屋敷であり、現在「仏母院」と称する寺院になっており、そこには「えな塚」と呼ばれる、空海のへその緒を埋めた塚もあるそうです。





出生地を巡り江戸時代に争いまであり、地域の人の思いが重いんだなと、空海さんは争いなどしてほしくないだろうに。。。なんて
そんなふうに思いました。





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