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conscience

my diary

人と欲望

2023年04月08日 | 日記
 K県の知事選挙に立候補中のK候補について、文春砲で異性関係のトラブルが明らかになった。十年前の出来事が今になって何故問題となっているのかは判らないし、個人的なトラブルと、知事としての能力や信頼度は別だとも思えるが、間違っているだろうか。そもそも、人は未だに動物的な欲望や本能を捨て去っている訳でもないし、性的欲望を無くしてしまえば子供が生まれることも無くなるだろう。性欲は極めて個人的なものでもあり、淫靡なものでもある。彼の候補者が、特別に変な趣味・嗜好を持っているということでもなかろう。問題があるとすれば、妻がいるのに不倫をしていたことだろう。しかし、それすらも個人的な問題だと言えはしないだろうか。フランスなどでは婚外子の割が全体の6割にも及ぶというが、単に文化の違いと言い切ってしまって良いのだろうか。人の欲望には、そんなに差があるはずもない。そうであるなら、日本でも社会制度さえ同じであれば同様の事が起こるかもしれない。日本で、そのような倫理道徳が強調されるようになったのは、せいぜいが明治に入って以降ではなかったのではないか。もちろん、性欲におぼれて自らの職責を忘れてしまうようであれば問題だし、他人に対するセクハラやパワハラも問題である。しかし、彼の候補者がそのような事をしたという報道は無い。
 昔から、財欲、性欲、飲食欲、名誉欲、睡眠欲の五つを五欲というが、生・老・病・死の不安も、これらの欲望を失いたくないことに起因すると言えるかもしれない。色即是空とは良く言ったもので、物質的な存在は固定的な本質は無く、五欲も、生老病死に対する不安も、我々の脳が感覚器官などで得たものを神経伝達物質などを通じて認識し、意識というフィルターを通して感じることによって生じているものと言えるだろう。古来インドでは、修行僧は、禅やヨガなどを行い、自らの脳での認識をコントロールすることで欲や不安を滅却しようと修行したのだろう。しかし、規律を厳格に守った本物の仏教は消滅し、大乗仏教など、弟子達が自らの勝手な解釈を加えたものや、葬式仏教などは今も残っている。
 ともあれ、人が欲望を持つことは当然な事であり、それを週刊誌などが面白おかしく書き、その読者も下種的な詮索をして喜んでいる。それが実体であり、彼の知事も、妻に対する責任以外には、世間に対して何等恥じ入ることは無いのではないか。

※ 「リンリ・ドウトク」を唱える人の己の行いは清いのか。昔から、行動力のある人ほど、押しなべて性欲も激しいことが常識だ。
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