goo blog サービス終了のお知らせ 

conscience

my diary

自由とは?

2022年04月25日 | 日記
 ウクライナ戦争は、現在、今後の両国の運命を決するような局面にあるようだが、両国の戦いは、ある意味では、この21世紀に、再び生じた、専制と自由との争いであるとも言われており、独裁者と、その独裁者が決めたルールに従順に従うことに安逸を見出すロシアの人々と、自分自身やその他多数の国民が犠牲になろうが、自分達で決めることの出来る世の中を守ろうとするウクライナの人々との争いであるかもしれない。残念ながら、我が日本には、そのような争いは歴史の記録を見てもあまりなかったようだ。敢て言えば、戦国時代に、信仰する自由を求めて戦った一向宗徒の戦いとか、キリシタン農民が、大名や幕府軍と戦った島原の乱であろうか。我が国は、敗戦時でも、民主主義や自由は占領軍から押し付けられたものであったし、それを求めた闘争をしたと自称する一部の左翼人士においては、当時のソビエトなどが唱えていた共産主義に理想的世界という幻想を見ていたに過ぎないとも言われている。
 しかも、現代の日本社会は、バブル全盛期において、金や出世欲、名声欲、権力欲を持つ人に憧れを抱くのが普通で、現在に至っても、偏差値至上主義や出身大学で人の価値を評価しようという雰囲気が世の中の大勢を占めており、前例踏襲、横並びは、何も官僚制度のみではなく、変化を嫌う日本社会が世界の中でガラパゴス化し、ひいては、冷戦終結後の30年余にわたって、経済成長もせず、所得も伸びないという社会の元凶でもあろう。
 ウクライナ戦争は、平和憲法至上主義が幻想であることを明確にしたし、交渉で北方四島の返還交渉をすることの馬鹿らしさを日本社会に突き付けることとなっている。
 変化を嫌うということは、例えば、コロナ禍で、鎖国状態にしたり、飲食観光業に困難を押し付けたりという状況にも通じるものがある。コロナは、主に空気感染が感染源であると、三年にしてようやく感染研や政府も認めたようであるが、そうであるとするなら、換気を徹底することで防げる場合もあるだろうし、コロナ治療薬についても、インフルエンザに対するタミフル程度の薬効が保障されるものであれば、直ちに承認手続きを迅速に行うべきものであろう。それを妨げているのは、旧態依然とした厚労省の医系技官なのか、それとも、利権まみれの業界や政治家なんだろうか。私にはわからない。

  If nothing ever changed there would be no butterflies.

コメント