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conscience

my diary

忘れることについて

2022年04月07日 | 日記
 昨日、新しくできた吉野川サンライズ大橋を通って、鳴門市にある「心の手紙館」に行ってきた。生憎、手紙館はコロナの為に暫く休館中とのことであったが、手紙山の枝垂れ桜は満開で、鳴門大橋も見え、平日にも関わらず花見客が大勢いた。
 手紙館では、未来への手紙を預かってくれて、1年先、3年先、5年先に手紙を届けてくれるというサービスがあるそうだが、何年か後で自分が書いた手紙が届いたとしたら、その頃には、そのこと自体を忘れてしまっているだろうか。そんなことを考えた。
 忘れるということでは、私は、今、ラジオ英会話を毎日聞いているが、年齢もあって、ひと月前に習ったことでも直ぐに忘れてしまう。その時に覚えたつもりにはなっていても後で出てこない。想起力の衰えが顕著だと思う。テキストを百回読めと言うが、英語などは、日常生活で使わないので、それでもダメかもしれないと考えるが、例えば、ウクライナ戦争で国外に避難している人達は、言葉も通じない外国に避難した場合に、たちまち生活に困っているだろう。日本に住む我々は、普段は、そんなことを考えもしないが、仮に、日本沈没のようなことが起こったり、海を挟んだ隣国である中国やロシアが侵攻してきた場合に外国に逃げることが出来たとしても、言葉が出来ないということが大きな壁となるだろう。また、そんなことが無くても、小学生からの英語教育が行われるようになっている現在、やたらと和製英語で発信する人が多くなっていて、小説など読んでいても、横文字がやたらと出てきて、その度に辞書やsnsで検索している。やたらと横文字を使う人は、何か人よりも目立ちたいとかの意図があるのかもわからないので迷惑な話だが、かといって、飛行機に乗っても、都会で電車に乗っても、英語でアナウンスが聞こえてくるし、英語を知っているのが都合が良いのではと思うので、敢て、この歳になっても勉強している。

          
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