おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

京急本線「六郷土手駅」~大師線「小島新田駅」。その4。海から2K。ねずみ島。羽田第一水門。五十間鼻・無縁仏堂。海老取川。

2023-05-17 18:48:11 | 都県境を探る

ますます川幅が広くなって、

                   対岸は、川崎市川崎区殿町付近。

     遠く河口付近に見える橋は、「多摩川スカイブリッジ」。

「多摩川羽田地区自然環境保護指定区域」の標示。

「海から2K」。

川面にほんの少し見えるのは、「ねずみ島」? 

右奥に見えるようですが。

                                (「今昔マップ」より。

昭和の初期まではこの島まで河川敷で畑があったそうです。河川改修で川幅を広げる際、畑の持ち主が買収に応じなかったため、とり残されたと言われています。今も標高3mで、川崎市に属しています。

※都県境は、かつては川崎市寄りになっていたようです。

                     1970年代のようす。顕著な島の姿。

                     2010年代のようす。小さく、中洲のよう。

大田区側の羽田第一水門。

水門に通じる舟だまり。

       

今も漁船や船宿があります。

案内板。海老取川と多摩川の合流点付近。

「五十間鼻無縁仏堂の由来」。

創建年代は、不明でありますが、多摩川、又、関東大震災、先の第二次世界大戦の、昭和二十年三月十日の東京大空襲の
折には、かなりの数の水難者が漂着致しました。その方々を、お祀りしていると言われております。
元は、多摩川河口寄りの川の中に、角塔婆が一本立っているだけで有りましたが 初代 漁業組合長 故 伊東久義氏が
管理し毎年お盆には、盆棚を作り、有縁無縁の御霊供養をしていました。昭和五十三年護岸工事に伴い、現在地に移転しました。その後荒廃著しく、仲七町会 小峰守之氏 故 伊東米次郎氏 大東町会 故 伊東秀雄氏 が、私財を持ち寄り復興致しました。
又、平成十六年に、村石工業、北浦工業、羽田葬祭スミヤ、中山美装、中山機設、の協力により新たに、ブロック塀、角塔婆、桟橋、などを修理、増設、現在に至ります。
又、新年の水難祈願として、初日の出と共に、羽田本町日蓮宗 長照寺 住職 並びに信者の方々が、水難者への供養を、毎年行っています。

                                              

※五十間鼻(ごじゅっけんばな]

東京都大田区羽田六丁目の、多摩川海老取川の分流点に所在する石積みの沈床。その名称は、増水時の急流に対する護岸のため、水中に長さ五十(約90m)に渡って石を敷き詰めたことに由来する。遠景に多摩川河口東京国際空港(羽田空港)を眺望でき、釣りスポットや初日の出スポットとしても知られる

・・・周辺は東京湾の干満の影響を受ける汽水域で、干潮時には石積みの上を歩くことが可能だが、満潮時には全体が川底に沈む。接続する羽田六丁目の河岸はコンクリートで護岸されているが、岸のすぐ下には干潟が存在し、干潮時には岸から降りることができる。

(この項、「Wikipedia」より)

辨(弁)天橋。             


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