茂原駅。右にモニュメント。
11月18日(土)曇り時々晴れ。強風。
降りたとたん、強い風が。雲行きも怪しい。果たして「上総一ノ宮駅」まで歩けるか?
本来なら前回のところまで戻って歩くのですが、旧市街地歩きをショートカットし、駅正面の広い道を進みます。
※茂原という地名は、平安時代に藤原黒麻呂(貴族)によって拓かれた荘園(藻原荘)に由来しているとされ、字の通り湿地が多く「藻原」が、江戸時代に現在の「茂原」という文字に変わったと言われている。
北西にある「藻原寺」は、「そうげんじ」と読みます。
「房総横断道路」との標示。ここを左折します。
「国道128号」となっています。
しばらく行くと、「野巻戸」交差点。
野馬の放牧場があったのか?
正面の大きな建物は、ソニー、東芝、日立が中・小型のLCDの事業を統合したジャパンディスプレイ(JDI)の茂原工場。
「大多喜ガス」。
隣には、「関東天然瓦斯開発株式会社」。
「七夕飾り」のガスタンクが印象的。
「落合橋」からの「阿久川」。上流方向。
「一宮川」との間に、
「川中島下水処理場」。
「伊南房州通往還(房総東往還)」となる「国道128号」を進みます。
バス停「早野新田」。平日夕方に2本のみ。他は運休! 「茂原」~「一宮駅」。
農家の庭先に、花の名は?
槙の垣根。
「農水・両総」と記されたマンホール。
両総用水
千葉県香取市佐原の第1揚水機場で利根川から取水し、香取市伊地山で栗山川に流し込み、栗山川下流の山武郡横芝光町寺方の第2揚水機場で再度取水し、東金市や茂原市などの九十九里平野南部まで農業用水を供給している。全取水量は14.47m3/s、用水を供給している受益面積は約20,000ヘクタールになる。
幹線は、第1揚水機場から栗山川源流までの北部幹線と、第2揚水機場までの栗山川部分、第2揚水機場からの南部幹線により成り立っており、北部幹線と栗山川部分を房総導水路と共用している。
両総用水の事業はその後に着工された愛知用水の事業などでも参考にされた。
《沿革》
かつて、九十九里平野は海岸線に平行に砂堆とその間の低地が列をなし、低地には縄文時代のラグーンが湖沼群として残されていたが、明治以降の開発により湖沼群は姿を消した。そのため大きな川が無い南部の地域では、良港に恵まれず漁業が衰退して農業に移行したこともあって、用水不足が常態化していた。一方利根川東遷事業などのため、香取市佐原一帯の大須賀川及び小野川流域は排水不良地域となっていて、度重なる水害に悩まされていた[2]。このような状況の中で1933年(昭和8年)、1934年(昭和9年)、1940年(昭和15年)と大旱魃となり、九十九里平野中央部では、大正時代から山武郡東部連合耕地整理組合の用水事業が行われていたこともあって、1943年(昭和18年)戦時の食料増産計画の一環として、用水不足解消と排水の改良を同時に考えた両総用水事業が計画、施工された。
(この項、「Wikipedia」より)
見事に剪定された槙。
幹線道路とあって、大型ダンプ等けっこう交通量が多い。
沿道には大きい農家。
この付近の今昔。
1880年代のようす。 現在のようす。古今の道筋にはほとんど変化がない。
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