私はいったいいつ死ぬのだろう、と思い始めたのは妹が突然死してからである。
10才はなれた者が、ある日わけもなく、死んだ。
元気で、障害はあっても医師とも無縁であった者が、ちょいと財布を握って、ツッカケのままでかけて、倒れ、なくなったのである。
妹が亡くなって私は、死についての本を読むようになった。
大抵の本は、人は死を恐れている、という設定で書かれている。
行き着く先が死であることを、日本人は忘れようとしているという。
なるほど毎日死を考えるのはうっとおしい。
妹が居たころには、障害のある妹を残して死ぬのが辛かった。
その妹が先に逝ってしまうと、年長のわわたしが、頑張る理由はないと思うようになる。
ではどうするか、という所から私の新しい生活が始まっている。
結構苦しいものである。が、さっさと死のうとは思わない。
生き残ってみて、今迄気づかなかったことがわかるようになっているからだ。
死後にはなにもない。生きている時がすべて、と私は思う。
が妹を亡くした後、私の中に妹が残っていることに気が付く。
妹が私のなかで笑い、私の方を見ていることにきがついた。
親がなくなった時にかんじなかったのに、である。
それだけ私は年をとり、世界がせまくなり、過去だけがすべてになってしまったからだろう。
最期が近づいた時に、私がそれを察知できるのだろうか。
妹は夢にも思わなかっただろうが、それでも後からかんがえると、死をどこかで知らされていたのではないか、と思うことがあった。
何者かが、ひそかに、寝耳にささやいていたのではないか、と思われるこが思い返される。
そして私も、何者かがささやくのだろうか。
そうなのか。そういう存在を私はまだ信じないけど。