どこまで行けるか80歳

崖から突き落とし。這い上がれるのか

〇死について思いはじめ

2024年07月28日 | 90を目指すには

私はいったいいつ死ぬのだろう、と思い始めたのは妹が突然死してからである。

10才はなれた者が、ある日わけもなく、死んだ。

元気で、障害はあっても医師とも無縁であった者が、ちょいと財布を握って、ツッカケのままでかけて、倒れ、なくなったのである。

妹が亡くなって私は、死についての本を読むようになった。

大抵の本は、人は死を恐れている、という設定で書かれている。

行き着く先が死であることを、日本人は忘れようとしているという。

なるほど毎日死を考えるのはうっとおしい。

妹が居たころには、障害のある妹を残して死ぬのが辛かった。

その妹が先に逝ってしまうと、年長のわわたしが、頑張る理由はないと思うようになる。

ではどうするか、という所から私の新しい生活が始まっている。

結構苦しいものである。が、さっさと死のうとは思わない。

生き残ってみて、今迄気づかなかったことがわかるようになっているからだ。

死後にはなにもない。生きている時がすべて、と私は思う。

が妹を亡くした後、私の中に妹が残っていることに気が付く。

妹が私のなかで笑い、私の方を見ていることにきがついた。

親がなくなった時にかんじなかったのに、である。

それだけ私は年をとり、世界がせまくなり、過去だけがすべてになってしまったからだろう。

最期が近づいた時に、私がそれを察知できるのだろうか。

妹は夢にも思わなかっただろうが、それでも後からかんがえると、死をどこかで知らされていたのではないか、と思うことがあった。

何者かが、ひそかに、寝耳にささやいていたのではないか、と思われるこが思い返される。

そして私も、何者かがささやくのだろうか。

そうなのか。そういう存在を私はまだ信じないけど。

 


〇逝ったひとたち

2024年07月22日 | 90を目指すには

今日もまた、知人の訃報がとどく。

特に親しくしていたわけではないが、心に残るひとであった。

こうして身の回りから、親しい人、特にそうでもないけど知りあえてよかった人、もっと一緒にいてほしかった人たちが逝ってしまう。

逝ってしまってのち、何時までも心に残るひと、そうでもなく忘れるひと、それぞれである。

これは生前のお付き合いの濃さにはあまり関係ない。

薄い関わりであっても、いつまでも心にのこるひと、結構いざこざとあったのに、あっさっりと忘れていくひと。

最近おもう。

私は、いったいいつ、死ぬのだろうか、と。


〇一日何もない日の恐怖

2024年07月15日 | 90を目指すには

 

 日曜日。訪ねて来る人はない。行く所もない。

無理に出かける気にもならない。

家の中にも仕事はない。何もする気にならない一日である。

こんな日に、ふと恐ろしくなる。

このまま何もしたくない、何もしない、何も興味のない、どこにもいかない人になってしまうのではないかと。

老いるためのアドバイス、などという本が最近はどんどこ出る。

その中には「仕事をやめ、やっと何をしてもいい時間が手に入ったのに、せっせと手帳にスケジュールを書き込むバカがいる」とかいている人がいた。年齢を見ると60代であった。

60代なら何もすることのない一日は上等の一日におもうだろう。

それは老人ではないからだ。老いていないからなのである。

80を超えればわかる。

何もすることのない日々が続く恐怖が。必要がなくなった人という怖さ。

それは生きる上でやっぱり怖い。

 


〇若い人の未来力 2

2024年07月11日 | 90を目指すには

私は今年、ドラムを始めた。仲間は7人。

みなろくに歩行も満足ではない、よたよたの高齢者である。

指導者は若い女性。美人で、優しく、辛抱強い。

この年まで音楽とは無縁、家で邪魔になっていた年寄りを集め、スティックの持ち方から教えるのである。

しかも、年末には客を呼んで発表会をやるという前提だ。

発表曲が「ウエストサイド物語」の主題曲ときいて、みな沈黙。

横の男性がボソッといった。「ついて行けないなあ」

が、先生はかるく、大丈夫ですとにっこり。

手段は、いかにして7人でこのリズムに合わせ、太鼓をたたくかであった。

主目的は脳と体を連動させて、脳の更新をさせること。

音楽はそれらしく聞こえればいいと先生はいう。

やり方は曲をばらばらにして、各自に担当部分を練習させる。

一つのリズムを二組に分け。協力して一つにする。

太鼓だけのオーケストラだ。うーん。考えたなあ。

この人もまた、昔なら考えられない仕事をこなしている。

根気よく、優しく、適当なところできりあげつつ、出来る人をふやしてゆく。

この熱意について行けば何かがあるだろうと私はおもっている。

となりの男性に言った。

ついて行けないのはあなただけじゃない。だからみんなでついて行こうよ。


〇若い人の未来力

2024年07月04日 | 90を目指すには

私にはスマホ、パソコンの先生がいる。

私の希望で成年後見人事務所が着けてくれた。

この人、本業は音楽療法士である。 

私はこの若くて美人で歯切れのいい先生の専門分野に興味をもった。

音楽療法。いったいそれはいかなるものぞ。

というわけで、先生が音楽療法として高齢者むけのパフォーマンスをするときに、行ってみることにした。

参加者は約30名。

1時間半の持ち時間を一人で、歌わせ、動かせ、楽しませ、脳トレの教育をするのである。

こういう若い、有能な、しかも明るくて感じのいいひとが、障害者や老人の生活をサポートするために活躍している。

時代は変わっていくなあとしみじみ思う。

私の時代の女の仕事といえば、お手伝いであり、時にはお飾り、付属物であった。

が、今は違う。

自分で企画し、仕事を取り、引きうけ、責任をもって次のしごとにつなげていく。

見ていてそのかっこよさに参るとともに、ほっとした。

未来は暗くない。

 


〇老いに備えない人 

2024年06月27日 | 90を目指すには

高齢で一人暮らし、親族はいないのに、現在にも未来にも備えない人もいるらしい。

友人から相談を受けたのだが。

隣の人が「医師から検査結果を一緒に聞く人を連れて来いといわれた。一緒に来てもらえまいか」と頼まれたらしい。

この人はいろいろな病気の保持者で、かなり弱っていて、どんな話になるのかわからないと友人は困惑している。

友人は「話を聞いた後、私は責任を持ったり世話をする立場になるのだろうか」と心配をする。

この友人。こんな話ははじめてではない。 

数年前にも隣人が施設に移る手続き、引っ越しの手伝い、住まいの後の整理。施設に入ってからの世話。

限りなく隣人の世話をして、最後にお金のことでもめまくって、いたく傷ついていた。

今回もまた…。

世の中って、うまくできているのかも。

 


〇85歳の認知度

2024年06月20日 | 90を目指すには

80代では相当の認知障害が出ていて普通という説は、納得できる。

85歳の私は、ある日突然、毎日普通にできていたことが出来ない。

パタっと行動が止まるということが、短い間に2回あった。

が、すぐ何事もなかったように元の生活にもどれる間はふつうのことらしい。

85歳の脳はそういうこともあってもおかしくないのだろう。

まして細かい生活の出来事を、頻繁に忘れたり、探し物で半日を過ごすことに不安を抱いてはしんどいだけのようだ。

そんなことは大事なものは首から紐でぶらさげたり、そこらへんはメモだらけ、スマホのメモ欄に予定をいれて、音声、ベル、警告音など様々な注意警告をしてもらっている。

探し物にそなえ、家の中に余計なものを置かない。

大事なものは透明ないれものにいれたり、派手な色のグッズに入れる。

など、日日アイデアであふれている。

そういう生活もまたおもしろい。


〇ボケに備える

2024年06月13日 | 90を目指すには

認知症の当事者が書いた本を読んだ私は、著者の提案に従って、早速ボケにそなえることにした。

まずは、自分の今の脳を調べることにする。

家から近い脳神経クリニックに予約。

ここは人気スポットで、お客がわんさかとの噂であるが、いいところらしい。

結果は…。

個人のクリニックだったが、余計なことはせず、医師がすぐに患者と対面し、患者をあちこち移動させないところがいい。

医師の問診をうけたあと、その場でCTがとれる。

画像を見ながら医師から結論をきくことができる。すばらしい速さだ。無駄がない。

医師に会うまでにあちこち引き回し、いっぱいアンケートに答え、何やらテストをし、医師との対話は検査結果の説明のみでおわるということはなかった。

私の場合は30分ほどで、結論が出、私の不安も解消であった。

診断は、高年齢で一人暮らしの女性におおい不安から来るもので、認知症には繋がっていないとのこと。

今後の対策は社会への関心をもち、外に向かって行動すること、とのことであった。

ああ、そうなんだ。肩の力がぬける。

空は雲っていたが心は晴れ。

認知の第一歩は〇でした。ヤッホー。ふるいなあ。

 


〇100歳時代と銀行はいう

2024年06月06日 | 90を目指すには

誕生日の前後、銀行からの電話がおおかった。

銀行が言うには、これからは人生100歳の時代である。

今ある財産を安全、そして定期的にお金が入ってくる商品に切り替えよ、とのたまう。

嘘でしょ。そんな結構な商品があるの?

それにしても今85歳の人間に100迄生きるぞ、というのは脅しか、警告か、やさしさなのか。お節介か。

あのね、そういう話は今40歳か、せいぜい60歳の人にいいなさい。

彼らは多分100歳まで生きるでしょう。

私たち戦前生まれは、いいとこ95歳がせいぜいです。

と、お返事しても、銀行は「いえいえ、まだお若い。ですから100歳にそなえて…以下同じ」

頭かたいのはそっちでは?

今あるお金なら、今使おう。

とはいえ、どこに行くか。何をするか。考えるのもしんどいとう人もいる。

そうならぬうちに、あるならばお金は使ったほうが楽しそうだ。


〇自分が認知症になったらと思うとき

2024年05月30日 | 90を目指すには

今は認知症について大きな関心がある。なぜなら周りでふえていくからである。

次は私か!と思えば不安である。

認知症になったら、心はどうなるのか。

自分がわからないとはどういうことなのか。

なかなかそういう疑問に答える専門家はいなかった。

が、最近は認知症の当事者が発信をはじめた。これはすばらしいことだと思う。

が、家族は、介護者は、そしてまだ認知症ではないがやがては、と思う人たちがそういう本をよんでいるのだろうか。

相変わらず、認知症はこわい、なりたくない。

認知症になった人にどのように接していいのかわからなまま、心配ばかりする人がおおいように思う。

そういう人に限って、自分が認知症疑いになった時がややこしい。

認めない、拒否する。そして別の病気に逃げ込んでしまい本当に鬱になったりする。

そういう例が周りでふえていく。

もっと勉強して病気の現状を知っていたほうが安心できないか。