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2013-06-26 22:27:18 | 日記
目の前を、ふわふわと飛んでいました。「あれ、何だ?」追いかけて、捕まえた。「あなたはだれ?」たんぽぽの種ではありません。種ではないのでしょうか。ふわふわと、ふわふわと飛んでいました。春はたんぽぽのわたぼうしがいっぱい並んでいましたっけ。私はたんぽぽの花が好き。元気のでる黄色、そして何よりも、道端に生える強さがまぶしい。小さな地上の太陽という言葉がぴったりします。花占い、たんぽぽを摘んで、占った。「愛してる、愛してない、愛してる、愛してない」 幼い私は、いつも迷っていました。花びらはこれでおしまい、手に残された茎はどうするのだろう?手の中のもの、全てが無くなるときが、神さまがそれを教えてくれるとき、それとも花びらが無くなったときが、花占いの教えてくれることなのかと。「愛してる、愛してない」単純な2つに1つの答え、それが知りたかった。愛すということがどういうことか知らずに、ただ、かっこいいその男の子と一緒に遊びたかった。たんぽぽは、公園で遊んでいた私を思い出す花、そして、そのわたぼうしはどこまでも、遠くに行きたい私の心。…ところで、今日飛んでいるあなたはだれ?

クチナシの花

2013-06-25 23:25:41 | 日記
6月、外を歩くといい香りがする。雨に濡れ、クチナシの香りが空気に溶け込むのでしょうか、夏の訪れを告げてくれる。季節を運ぶ香り、春は冷たい闇の中の沈丁花(ちんちょうげ)に運ばれ、夏は山梔子(くちなし)、秋は金木犀(きんもくせい)が運んでくる。ふと、考える。冬は誰が運ぶのだろうかと。冬は、木々など燃やす、焚き火と共にやってくる。田んぼの稲刈りの後、田んぼで燃える藁、落ち葉を燃やすぱちぱちいう音。煙があがり、人が一年の自然の恵みとおのれの働きのしるしに感謝する心静かな時間に、冬は密やかに運ばれてくる。冬、炎の周りで人は暖をとり、語り合う。

おかげ横丁(伊勢)

2013-06-24 23:13:06 | 日記
伊勢、おはらい通り、おかげ横丁を歩く。6月、あじさいの鉢が飾られている。伊勢盆栽の店には、柔らかな若葉をつける鉢が並ぶ。若葉の小さな宇宙が時季を刻む。食べ歩き、なんといっても、まずは伊勢うどん。濃い醤油の色に、一瞬とまどうが、程よいだしが効いていて、おいしい!何百年、このうどんを此処で食べる人がいた、と考えれば不思議な感じ。お江戸からきた江戸っ子も、ちょんまげ結ったお侍も、此処に腰掛け、うどんを食べたのだろうか?生姜糖を味見して、冷えたキュウリ棒をかじり、トリの唐揚げをかじり、そうそう、お饅頭の試食もさせてもらった。気取らず過ごせる街がうれしい。

夫婦石(伊勢)

2013-06-24 00:08:40 | 日記
夫婦石(伊勢)行った。夏の間は、2つの岩の間から太陽が昇るのだという。初めてここに来たのは、小学校の修学旅行のときだった。何も覚えていないが、なぜか、土産物屋で四角の樹脂の中に、小さな真珠がアコヤ貝風の貝にのせたのが入っているのを買ったことは覚えている。買った店は大きな店で、いっぱい、小さな樹脂の中にいろいろな風景が入れてあった。修学旅行では、持っていける小遣いが決まっていて、さいふを握り締めて、あの真珠の入った土産を、そう、一番いいものを選びたくて、見比べした私だった。子どもだったのに、真珠をみて、きれいだと思ったのか、とても惹かれたのでしょうか。大人になり、どこからかこの土産が出てきたとき、樹脂はひび割れ、真珠もくもっていた。でも捨ててられないので、机の中に投げ込んだ?「まだ、あるかな。」と、ふと思い出す。

ジャガイモの花を見て

2013-06-22 22:34:39 | 日記
畑にジャガイモの花が咲いています。ジャガイモといえば、うん、ポテトサラダが好き。母の作ったポテトサラダには、チーズが入っていた。冷蔵庫の中に、三角チーズがいつもあって、それを刻んで入れていた。ハムとキュウリとチーズとリンゴ、いつも、そうだだった。ボールに入った材料を長い菜箸でマヨネーズで混ぜるお手伝いが好きだった。マヨネーズを入れる量を加減しながら、こっそり味見したサラダは本当においしかった。今、私がポテトサラダを作るとき、やはり、中に入れるのはこれに同じ。茹で温かなイモをなべを振って粉ふきいもを作るとき、湯気が幸せと共に立ち込める。