(感謝の祈り)
主よ、
きょうも私に一日を下さいまして、ありがとうございます。
きょう、あなたから頂きました、この一日を、
大切に使ってゆきたいと思います。
この一日を、金貨のように大事なものとして、
扱ってゆきたいと思います。
この一日は、もはや二度とは返ってこない時間だと思います。
この一日を大切にし、
あなたの願いが、いま、どこにあるかを深く知って、
生きてゆきたいと思います。
主よ、
私は、きょう一日を、
いかに生きてゆくのがよいのでしょうか。
どのように生きることが、
素晴らしいのでしょうか。
どのように生きることが,
あなたのお心に適うこととなるのでしょうか。
主よ、
私を正しくお導きください。
私に正しい方向をお示しください。
そして、私の生き方に、もし間違ったところがあるならば、
それを気付かせてください。
私は、あなたの心を心として、
優しく風の如き人格として、
世を吹き渡ってゆきたいと願っています。
主よ、
きょう一日の日が、黄金の日となりますように、
主よ、
きょう一日が、きらめきのうちに終わりますように。
そして、一日が終わったときに、
素晴らしい一日であったと言えますように。
以上の祈りの言葉からも感じられると思いますが、祈りは、これから時を過ごしていこうとするときにこそ、最大の効果を発揮するものなのです。
反省と祈りをどのように使い分けたらよいのか、みなさんは分からないかもしれません。それをごく簡単に述べるならば、朝起きて、「これから働こう」「これから何かをやっていこう」と思うときに、祈りをするとよいでしょう。そして、夜、一日が終わるときに、その日のことを反省するとよいでしょう。
「『反省→瞑想→祈り』という順序が大事である」と言う人もいますが、それは、「心の浄化を済ませた上で祈りに入っていくのが適切だ」というアドバイスなのです。
一日を考えてみると、いちばん邪念が少ないのは朝です。朝には心に曇りがありません。朝には心に欲望がありません。朝には疲れがありません。朝の精神状態、魂の状態は、純粋で無垢です。きのうまでの悩みや心配事、疲れが、睡眠によって取り去られています。雨が降ったあと、大地と大気が清浄になるように、一晩の眠りのあとで、健やかな精神状態になっています。
それゆえに、このときに祈りをするのは、ほんとうに素晴らしいことなのです。
朝一番に、主に感謝をし、「自分を導いてください」と祈ることです。
さまざまな欲望の対象を設けて祈った場合、それは、叶えられることもあれば、叶えられないこともあり、正しいこともあれば、正しくないこともあります。しかし、この感謝の祈りによって間違うことは決してないのです。
毎朝、主への感謝を捧げ、「きょう一日を素晴らしいものにできますように」と祈ることは、一日を豊かにしていくために、どうしても必要なことなのです。
このような祈りによって、一日をスタートさせ、その日のうちに、何度か、朝の祈りを振り返る瞬間を持つことができたならば、そのときにこそ、潤いというものを感じ取ることができるでしょう。
朝の静寂な時間のなかで祈りをし、豊かさを味わったならば、一日の忙しい生活のなかで、ときおり、その朝の祈りのことを思い起こすことによって、心のなかに静寂な気持ちが戻り、そこに潤いが生まれてくるでしょう。
その潤いに、一瞬、浸っているあなたの姿を見て、あなたに底知れない徳の光を感じ取る人も、おそらくは、数多くいるに違いありません。
---owari---
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