「美しさ」といえば、柔道男子73キロ級の金メダリスト大野将平選手も見事だった。
全5試合のうち4試合で一本勝ちした内容もさることながら、鋭い小内刈(こうちが)りの一本で優勝を決めてもガッツポーズなどはせず、深く礼をし、畳を下りるまで笑顔一つ見せなかった態度が美しかった。
大野は「柔道は相手への尊敬や敬意、日本の心を見せられる場です。気持ちを抑え、冷静に綺麗(きれい)な礼ができた」と述べたが、大野選手の柔道は、「JUDO」ではない「柔道」の美しさと強さを改めて見せてくれた。
柔道男子は前回のロンドン大会で、五輪史上初の金メダルなしに終わった。その後も連盟の不祥事などが続き、いわば背水の陣で臨んだリオ五輪だった。
大野の優勝は、金メダルを取った以上に「柔道」の復権に意味がある。日本柔道の理念は、世界JUDOの、ある種の商業主義やスポーツ化に迎合(げいごう)しすぎてきたのではないか。
「自他共栄」は、嘉納治五郎(かのうじごろう)が柔道の精神として教えたことで、勝つことのみに意味があるのではない。だが、負けては日本の精神や価値観は伝わらない。大野は勝つと同時に日本の精神を示した。
こうした体操男子団体や柔道の大野選手の活躍は、日本の国柄(くにがら)の本質を「新しい日本人」が示してみせたのである。
---owari---
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