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365人の「名作と言えるような人生」が詰まった本

2021年03月21日 | 日本
「人の生き方そのものが名作と言えるような人生もある」、そういう365人の「名作」が詰まった本です。
 『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』から抜粋しました。

本書には稲盛和夫氏、王貞治氏、千玄室氏などの著名人から、世間的にはさほど知られていなくとも自らの人生を真剣に切り拓いてきた人たちが登場している。

一人一ページながらいずれも熱いドラマがあり、尊い教訓に満ちていて、一冊丸ごと仕事と人生の教科書になっている。

365話、いずれのページを開いても心に響く話だが、その中からアトランダムに2話をここに要約、紹介する。
 
―――――――――
川辺清氏は、全国に200店舗を展開し、3,000人の従業員を擁する外食グループの代表である。
川辺氏は子供の頃、病で左足が不自由になり、貧乏ゆえにガリガリに痩せていた。

父親は靴の修理が生業で、家族を引き連れて各地を転々とする生活だった。
だが、氏は足手まといということで、あちこちの親戚に預けられて育った。

足が不自由でよそ者の氏は、どこに行っても恰好の虐(いじ)めの対象だった。
小学3年生の時に預けられたのは姉の嫁ぎ先だったが、
ここでは殊に酷い虐待に遭い、母に連れ戻しに来てもらった。

「堪忍やで、清。堪忍な……」
――泣きながら抱きしめてくれた母の温もり。それが氏を支えるすべてだった。
戻った家に父はいなかった。

父に対面したのは母が病で寝込み、父のところから米をもらってくるように頼まれた時だった。
胸を躍らせて訪れた父の住まいには見知らぬ女性がいた。

「おまえのような者は知らん」。
思いもかけない言葉で追い返された氏は、その帰り道で自らに誓った。

 「あんな男に負けてたまるか。俺は絶対あの男の上にいってやる。
そしてお母ちゃんを楽さしたる」

中学を出ると靴職人のもとに年季奉公に出た。
朝6時半から夜中の12時まで、休みは月2回のみだったが、早く一人前になりたい一心で懸命に働いた。

ところが、二年後に結核を患い、家に追い返される。
俺は本当に駄目な奴だ――絶望した氏は命を絶とうと列車の機関車めがけて飛び込んだ。

だが、気がつくと傍の草むらに倒れていた。
ふと見ると、自分の身代わりになったように、ポケットから転がり出た五円玉が
機関車に踏み潰されて線路に乗っていた。

俺は五円玉や、五円玉なら五円玉の輝きを見せてやる――新たな決意に病魔も退散し、
年季奉公を全うし、二十五歳で会社を創業、その後も数々の困難を乗り越え、今日を築いた。 

―――――――――
もう一つは塩見志満子さん(のらねこ学かん代表)の話。

彼女には四人の子供がいたが、長男を小学2年生の時に白血病で亡くした。
末っ子の次男は健康で元気。
この子は大丈夫だと喜んでいた。

 ところが、この次男が小学3年生になった時、
夏のプールの時間に、プールの底に沈んで
亡くなってしまった。

 近くの高校に勤めていた塩見さんに連絡が入り、
大急ぎで駆けつけたが、次男はもう冷たくなっていた。

子供たちが寄ってきて
「ごめんよ、おばちゃん、ごめんよ」
と口々に言う。

「どうしたんや」と聞くと、
10分の休み時間に誰かに背中を押されてコンクリートに頭を打ちつけ、
沈んでしまったと話してくれた。

「押したのは誰だ。犯人を見つけるまでは、学校も友達も絶対に許さんぞ」

という怒りが込み上げてきた。
新聞社やテレビ局が来て、大騒ぎになった時、
 同じく高校の教師だったご主人が大泣きしながら
塩見さんを裏の倉庫に連れていって言った、という。

以下、原文を記す。
 《「これは辛く悲しいことや。だけど見方を変えてみろ。
犯人を見つけたら、その子の両親はこれから、
過ちとはいえ自分の子は友達を殺してしまった、
という罪を背負って生きてかないかん。

わしらは死んだ子をいつかは忘れることがあるけん、
わしら二人が我慢しようや。

うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、
校医の先生に心臓麻痺で死んだという 診断書さえ書いてもろうたら、
学校も友達も許してやれるやないか。
そうしようや。そうしようや」

私はビックリしてしもうて、 この人は何を言うんやろかと。
だけど、主人が何度も強くそう言うものだから、
仕方がないと思いました。
それで許したんです。友達も学校も……。

こんな時、男性は強いと思いましたね。
でも、いま考えたらお父さんの言う通りでした。
争うてお金をもろうたり、
裁判して勝ってそれが何になる……。

許してあげてよかったなぁと思うのは、
命日の7月2日に墓前に花がない年が
一年もないんです。

30年も前の話なのに、毎年友達が
花を手向けてタワシで墓を磨いてくれている。

もし、私があの時学校を訴えていたら、
お金はもらえてもこんな優しい人を育てることはできなかった。

そういう人が生活する町にはできなかった。 心からそう思います》

名作は文学や芸術作品の中だけにあるのではない。
人の生き方そのものが名作と言えるような人生もある。

そのことを本書は全篇を通して私たちに教えてくれる。
多くの人たちがその人生を賭して描いた名作に心を洗い、生きる糧としたい。

(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)
 
---owari---
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