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お母さん議員の教育再生(前編)

2021年03月23日 | 日本
60年ぶりの教育基本法改正の原動力は、家庭と地域の実情を知るお母さん議員だった。

(行動派・山谷えり子議員)
山谷えり子参議院議員は行動派である。拉致議連(北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟)の副会長として、拉致された横田めぐみさんの母・早紀江さんと一緒に平成15(2003)年3月、訪米し、アーミテージ国務長官などと面会してこの問題を訴えた。

平成18(2006)年4月には、内閣府政務官(拉致問題担当)として再び横田早苗さんと訪米し、ブッシュ大統領との面談、および米下院公聴会に出席した。

さらには国連で北朝鮮の拉致問題が議題として出される場合に備え、黄熱病などの予防注射をたくさん打って、アフリカ諸国を根回しして回った。

海上自衛隊のインド洋補給活動に関しては、インド洋上で補給艦「とわだ」と護衛艦「はるな」に乗艦し、50度を超す甲板上で働く自衛官の姿を見るとともに、給油を受けた各国責任者の声を聞き、さらにはアフガニスタンまで訪ねて、カルザイ大統領とも会っている。

自民党有志64名が毎月1万円を積み立てて、アジア各国に小学校校舎を年1校づつ建てる「アジアの子供たちに学校を作る議員の会」のメンバーとして、タイのチェンマイから車に5時間も乗って、校舎を寄付した山岳民族カレン族を訪問したこともある。

現場に赴いて直接人々と語り合う姿勢は、政治家として貴重である。先の某首相のように、20数年も衆議院議員として膨大な歳費を受け取りながら、沖縄の米軍基地が抑止力を果たしていることすら知らなかった空理・空論・空想・空言主義とはまさに対照的だ。

(先生が授業中立ち歩いている子に注意できない!?)
そんな山谷議員にとっても、教育はもっとも現場経験の豊かな分野である。一男二女の母親であるとともに、主婦向けの生活情報誌「サンケイリビング新聞」の編集長まで務めているのであるから。

平成18(2006)年9月、安倍内閣が発足して、内閣総理大臣補佐官(教育再生担当)兼内閣官房教育再生会議・担当室事務局長に就任してからは、教育再生に全力で取り組んだ。

現場主義の山谷議員らしく、教育再生への取組みに際しては、現場を訪ねて、多くの先生に意見を聞いた。すると「授業中立ち歩いている子に『座っていなさい』。あるいは『後ろで立っていなさい』と言えるよう、文科相は通知を出してください」「授業中、携帯電話をしている子の電話を預かれるよう、通知を出してください」という声が先生方から寄せられた。

山谷議員は、初めは先生方が何を言っているのか理解できなかった。先生が行儀の悪い子を注意するのは、当然だと思っていたからだ。ところが教育現場では「先生が生徒を強く注意してはいけない」「先生が子どもたちに何々をしなさい、何々はするなということが、子どもを抑圧することになる」という意見がまかり通っていたのだ。

(子供を暴走させる「子どもの権利」)
「そんなバカな」と驚きつつも、実情を調べていくと、とんでもない実態が明らかになっていった。革新系の自治体では「子どもの権利条例」なるものを制定している。

「親がどこに遊びに行くのか聞かれても答えなくていい権利」「朝ご飯を食べることを強制されない権利」「授業中に立ち歩きたいありのままの権利」等々である。

こうした「子どもの権利に関する条例」を制定した川崎市では、担任の先生から授業中に立ち歩きしたことなどを理由に大声で叱られ、精神的苦痛を受けたと、保護者が人権オンブズパーソンに申し立てを行い、「人権侵害」と判断された教師が謝罪した例が報告されている。

先生が立ち歩きする生徒を叱れなければ、やがてクラスは学級崩壊に陥り、他の生徒は教育を受ける権利を侵害される。また授業中に立ち歩きをする生徒も、そのまま社会に出たら、まっとうな職業につけるはずもない。これこそが真の人権侵害のはずである。

中学校の「保健体育」の教科書(大日本図書)には、「自分らしさはどうつくられていくのでしょうか」という項目に、親に対する反抗の形態が資料として載せられている。

「親を無視または親と話さない。親をさけて部屋に閉じこもる。親と会いたくなくて外出する。親に口答えする。親にいらいらしてものに当たる。親に対して暴力をふるう」とご丁寧にいくつもの反抗パターンを記している。

「子どもの権利」「自分らしさ」という通りのよいスローガンで子どもを暴走させ、学級崩壊や家庭崩壊に向かわせているのである。

(「ゆとり教育」が「ゆるみ教育」に)
教育現場の悲惨な事実として学力崩壊もある。10年近く前に「ゆとり教育」で円周率の3.14を3と教えることになった時、山谷議員はたまらずに国会で猛反対した。

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割り切れない円周率は、お星さまの向こうまで数字を並べてもまだまだ続く。これは神秘そのもので、ここから科学への好奇心や追求が始まるのに、おおよそ3にして知的好奇心と神秘への感性はどうなるのか?と文科相の役人に聞きました。

「小数点以下2桁を計算するのは負担になりますから、おおよそ3でいいと思います」

というのが答えでした。これは学問の感動というものがまったくわかっていない発想です。
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地理でも、47都道府県の位置や名称を教えないので、北海道がどこにあるのか分からない子が半数を超えていた。中学3年間の英語の必修単語を507から100に減らしてしまったため、中国、韓国、台湾と比べても、3分の1から5分の1の単語しか教えられていない。

「ゆとり教育」という美称の陰で、現実は日教組や左派の教育学者たちが暗躍して「ゆるみ教育」にしていたのである。

(戦後の宿題、教育基本法の改正)
教育現場で問題意識を燃やしてきた山谷議員は、安倍内閣での教育再生担当の総理大臣補佐官として、「教育基本法」改正に取り組んだ。戦後すぐの昭和22(1947)年、占領軍主導で制定された教育基本法を60年ぶりに改正するという、まさに戦後日本がやり残していた宿題の一つを解決する大仕事であった。

改正の趣旨は、前文の違いに明瞭に現れている。

【改正前】
われらは 個人の尊厳を重んじ真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。

【改正後】
個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。

改正前の教育基本法には「個人」は登場するが、「公共の精神」も「伝統」も出てこない。横糸としての家庭や社会の中での個人、そして縦糸としての歴史伝統の中での個人という位置づけがなされていない。

その行き着く先が、授業中に立ち歩きをする生徒であり、親を無視する子どもなのである。そのおおもとを正そうというのが、教育基本法改正の狙いであった。

安倍内閣は、この教育基本法改正を「戦後5大長時間審議」の一つに数えられるほど、長時間の丁寧な審議を続けた。答弁の準備に、朝の3時、4時までかかった事も再三であった。

一方、国会の外では、日教組の現役の教師達が授業を放り出して、座り込みの反対活動をしていた。

 
---owari---
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