世の中には、「この人はずいぶん頭のよい人だな」と思える人がたくさんいます。
ところが、そうした人が、仕事という面で見て、非常に素晴らしい立派な仕事をしているかというと、必ずしもそうではありません。
それだけの仕事をしていない、それだけの地位に就いていない、それだけの報酬をもらっていないので、「こんなに頭のよい人が・・・・・」と思うことが、よくあります。
私は、それが不思議になって、「なぜなのだろうか」と、よく観察してきました。
その結果、得られた結論は、「熱意が足りない」ということでした。
どれほど頭のよい人であっても、熱意がなければ道は開けません。
熱意があればこそ、その仕事に磨きがかかるのです。
陶器を焼く場合、たとえ、どのような名陶器職人が焼いたとしても、その粘土がいくらよかったとしても、その上薬がいくらよかったとしても、その模様がいくらよかったとしても、窯の火の熱が足りなければ、よいものは焼けず、よい陶器は決してできません。
よい色艶を出し、見事に焼き上げるために必要な火が、熱意なのです。
この熱意なくしては、いくら材料がよくとも、いくらデザインがよくとも、一級のものはできないものなのです。
イエスがあれだけの仕事をしたのも、熱意があったからでしょう。
また、ソクラテスは頭のよい人だったでしょうが、あれだけの大きな名前を人類史に遺せたのは、やはり熱意があったからでしょう。
孔子があれだけの仕事をし、諸国を巡りながら教えを説きつづけた原動力は、やはり、熱意にあったのでしょう。
釈尊があれだけ大きな仕事を遺せたのも、熱意があったればこそのことでしょう。
頭がよい人のことを、「お釈迦様のようだ」と昔はよく言ったわけですが、頭がよいだけでは、あのような大きな仕事はできないものです。
結局、熱意が勝っていなければ駄目なのです。
どんなに素晴らしいものであっても、埋もれてしまえばそれまでです。埋もれさせないで、最後の磨きをかけ、輝きを生み出すのに必要なものが熱意です。
仕事には、体力も必要でしょう。知力も必要でしょう。しかし、すべてに勝るものは熱意です。
熱意のある仕事こそが、ほんとうに道を開いていくものなのだということです。
熱意なきときには、決して、よい仕事はできません。
『どれほど頭のよい人であっても、熱意がなければ道は開けない』(仏法真理)
---owari---
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