このゆびと~まれ!

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異性経験の多さが魂に与える影響とは(前編・下)

2021年02月15日 | 人生
(学齢期に異性遍歴にのめり込むとどうなるか)
のめり込む感覚の多くは、唯物(ゆいぶつ)的なもののほうに走っているところが多いのではないかと思うのです。まあ、「動物的に」といいますか、そうした、エネルギー的に余剰(よじょう)があって、どうしても、「恋愛とか、愛とかいうものを通して異性間の気持ちを育もう」という傾向を抜きにしてですね、「即物(そくぶつ)的に相手を手に入れよう」というか、「その気持ちを晴らそう」というような傾向は、よく出てきているのではないかなと思います。

年齢相応に人間の感覚も違ってくるので、必ずしも一緒には言えないとは思いますが、特に、学齢期の方ですね。小学校、中学校、高校などが中心ですが、あと大学も、真面目(まじめ)に勉強するかしないか、人によってもちょっと違いはあると思いますけれども。

そうした学齢期の人の場合は、あまり異性遍歴(へんれき)にのめり込んだ場合は、何て言いますか、清純な意味での「すくすくと育つ」ということは、少なくなっていくのではないかなという気はしております。

そして、「ある意味で、本当の、自分が出会うべき相手に会ったときに、その相手から感じる『感銘(かんめい)』とか『感動』とか、その『愛の気持ち』とかいうものが、かなり“ひなびたもの”というか“古びたもの”になってしまうのではないか。数多くいる、雑多な女性のなかの一人として相手を見て、比較している、品物選びをしているかのような目になっているのではないか」という気持ちもあるんですね。

同じ人ではあろうけれども、ある意味で、自分の値打ちを下げて、同時に相手の値打ちも下げている面もあろうかと思うので、できれば、一定の成熟年齢といいますか、結婚してもいいぐらいの年齢になるまでの間の修行期間は、純粋(じゅんすい)な期間があった人のほうが、心が透明で、美しく、人の心も素直(すなお)に見ることができるのではないかなと思っています。

どんどん性の低年齢化がされていって、小学生で体験するとか、中学生が普通だとかいうようなことが言われているけれども、これは、まあ、小学校や中学校から、「マンガとか、映像とかで異性に惹(ひ)かれる」というのも分かるけれども、「実物でないと、もう、もはや異性を体験できない、感じられない」みたいなところまで行くと、ちょっと、あと、結婚までの年齢にだいぶ差がありますので、なかなか、「何かに打ち込んで、本業を成し遂(と)げる」というのは厳しくなるのではないかなというふうには、私は思っています。

---owari---
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