見返り峠から見た岩手山は裏岩手山と呼ばれています。
山に裏と表が有ると言うのも変な話です。
誰がどっちが表でどっちが裏と決めつけたんでしょうね?
以前は表日本・裏日本という言い方もされていましたが、最近は聞かなくなったのは、裏と言われた地域の人から抗議でもあったんでしょうね?
今でも山陰・山陽という呼びかたはしているし、どうしても日向と日陰を区別したがる気持ちが人間にはあるのかも知れません。
紙とか布地とか、人間の作ったものの裏表は良いとして、せめて自分の気持ちには裏表がでないように心掛けたいと思うのですが・・・。
でも、裏という語感には、暗い、陰気、アンフェアーなんて言うイメージがつきまとうから、言われた方は嫌な感じだとは思います。
外交交渉などでは、表一本槍と言うことは確かに難しいでしょうね。手練手管、ポーかフェースを駆使しての緊迫した騙しあいの交渉が必要な場面が多々あるのだろうと想像します。
潔い、とか生一本、とかが男粋なんて心構えはお友達付き合いの世界なんでしょうね?