夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2017年 2月 5日(日)「美しい国のぺんぺん草」

2017年03月05日 11時22分17秒 | 「思うこと」
以下、ツイッターからの転載です。

待機児童解消へ、安倍首相「6月に新プランを決定 (TBS)
保育園は福祉から切り離すべきです。幼稚園と一緒にして教育の場にすべきでしょう。
保育園を幼稚園と同じ教育の場とすることにより、親が教育の場としてどちらを選ぶかの選択となります。経済的理由の家庭も社会に積極的に出ていこうとする女性も保育園を同じ教育の場としてとらえられるでしょう。そして子育ては家庭でという女性は幼稚園を選べばいい。
でもこうなれば、幼稚園・保育園という名称もわける必要がなくなり、例えばどちらもの幼稚園でよいわけです。幼稚園をこれまでの保育園の役割を兼ね備えればよいのです。この幼稚園と保育園の垣根を取り払うことにより福祉という「保育園の子」といった偏見もなくなっていくでしょう。
女性の社会進出(輝く女性)は、議員や会社役員などの数の問題ではない。働かざるを得ない女性も含めて社会の中で労働する一般的な女性が輝かなければならないのです。同時にそれは家事や育児の分担面での男性が輝くことでもあります。
男性も今の労働実態から見て仕事して家事や子育てはできない状態もわかります。しかしそれは家事や子育てから男性が社会システムにおいて排除されているということです。保育園に迎えに行って子供の満面のうれしそうな顔を見ることができない状態なのです。
しかし国は逆方向に向かっていますね。
公助社会から自助社会へ。思想的にはこの自助から子育ても親の介護も自己責任となっていきます。これが待機児童問題にも子育て全般にも社会的な後退が出てきてしまいます。こういった国の思想を打開するためにも保育園の教育の場という考え方が広まらなければなりません。
教育の場というと、今問題になっているような教育勅語を唱える場のようなものが「素晴らしい」と言われはじめる社会ですが、そのような無条件的に国や総理大臣をほめたたえる精神論ではなく、考える力を持つ子供を育てる子教育が前提であることは当たり前です。
教育というのは次世代の優れた労働力を再生産数る場です。物事をよく考える優れた労働者。労働者は労働することですから健康な人ならばすべての人間を前提します。その人々は生活者であり、優れた社会を形成する力となります。
話を元に戻しますが、女性が動機が生活のためにしろ社会に出て働きたいからにしろ、これは無条件に正しいことですし必要なことです。そのためには男性の働く条件の改善なども必要です。同時に働かない女性への差別化は良くありません。しかしその女性も働く女性を差別化してはいけない
子供の教育と家庭生活は密着しています。国は教育の場を保証しなければならない。それは親の労働条件や収入を保証するということです。ここで初めて各家庭での自助がはじまるでしょう。
この国による公助や企業責任という面で現在の緊急な課題は、子供の貧困問題と保育行政・介護行政などの解決から女性が安心して働ける環境の整備です。残業100時間などという労基法の改悪どころではないはずです。
自助社会と国家主義を支えるための精神論では何の解決にもなっていかないでしょう。子育てや労働条件そして生活苦など、労働力の再生産ができなくなる社会に向かうということは将来的には日本を衰退させるだけです。今、この危険性が増しています。
「美しい国」とは。。。。。
労働力の再生産もままならず、国民の財産を博打や無駄遣いそしてばらまき(国の内外の各方面に)に投入していけば、「美しい国」にはぺんぺん草も生えない。

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