現在刊行されている『岩波講座 日本歴史 近代2』に載っていた「地主制の成立と農村社会」(坂根嘉弘 執筆)を読んで衝撃を受け、続けて『日本伝統社会と経済発展』(坂根嘉弘著、農文協、2011年)を読みました。
坂根さんのこれらの作品では、戦後の歴史学で「日本の近代化が遅れた元凶」「封建的・半封建的」と言われていた「家」制度と日本的「村」構造こそが、逆に明治以降の日本の経済発展の基礎であり、社会の安定性を作りだしたものであるということを主張されている訳です。
これは、これまでの地主制史・村落史・農村経済史の研究成果を全くひっくり返すような重大な研究だと思うのです。
この研究を肯定するにしても否定するにしても、この研究の登場によって近代日本社会そのものの評価をもう一度やり直さないといけなくなってしまったということは事実だと思うのですが、私は専門家ではないので自分で研究は出来ないから、かわりに日本の「家」や村落について色々と本を読み直しています。
歴史学はもちろんですが民俗学も大事ですし、ひとつ気付いたのは文学作品も大事だということです。
そういうなかで横溝正史の作品も読み直しています。
たとえば、『獄門島』(作品の舞台は1945年)のなかには「封建的な、あまりに封建的な」という章があって、そこでは網元の「家」相続を傍系男子にさせるために直系女子を次々と殺していくという連続殺人の動機が語られます。
現在の若い読者からすると「何でそこまでしなければいけないの」と感じてしまう殺人動機だろうと思うのですが、当時はこれに説得性があったということなので、そういう日本の「土俗的な家制度」というものへの体感が無くなってしまい、わかりにくくなってしまっているのだろうと思うのです。
そうすると、今こそ日本の近代地域社会の姿をもう一度きちんと提起し直さないといけないのではないかと思うのです。当然そこでは、単に経済発展に役立ったという評価だけではなく、一人一人の「生」を主体にして書いていくことが必要で、個人を縛り続けた因習や無言の同調圧力のような、ある世代にとっては「当たり前に知っていた」ということも、改めて具体的に示し直していかないとダメなのではないか、そういう本を作れないものか、と考えています。
農村史専攻の方々、ぜひお考え下さい。
先日、このことをある政治史の研究者に話したら、「女性史・ジェンダー史の人が坂根さんの研究になぜ反論しないのか分からない」とおっしゃってました。たしかに、それにあたっては「(近代)日本の家父長制」を正面から問い直さないといけないので、ジェンダーの視点をきちんと入れて考えていかないとダメだと思います。
それとも、もうそういう研究は本になっているんですかね?
教えていただけると助かります。
坂根さんのこれらの作品では、戦後の歴史学で「日本の近代化が遅れた元凶」「封建的・半封建的」と言われていた「家」制度と日本的「村」構造こそが、逆に明治以降の日本の経済発展の基礎であり、社会の安定性を作りだしたものであるということを主張されている訳です。
これは、これまでの地主制史・村落史・農村経済史の研究成果を全くひっくり返すような重大な研究だと思うのです。
この研究を肯定するにしても否定するにしても、この研究の登場によって近代日本社会そのものの評価をもう一度やり直さないといけなくなってしまったということは事実だと思うのですが、私は専門家ではないので自分で研究は出来ないから、かわりに日本の「家」や村落について色々と本を読み直しています。
歴史学はもちろんですが民俗学も大事ですし、ひとつ気付いたのは文学作品も大事だということです。
そういうなかで横溝正史の作品も読み直しています。
たとえば、『獄門島』(作品の舞台は1945年)のなかには「封建的な、あまりに封建的な」という章があって、そこでは網元の「家」相続を傍系男子にさせるために直系女子を次々と殺していくという連続殺人の動機が語られます。
現在の若い読者からすると「何でそこまでしなければいけないの」と感じてしまう殺人動機だろうと思うのですが、当時はこれに説得性があったということなので、そういう日本の「土俗的な家制度」というものへの体感が無くなってしまい、わかりにくくなってしまっているのだろうと思うのです。
そうすると、今こそ日本の近代地域社会の姿をもう一度きちんと提起し直さないといけないのではないかと思うのです。当然そこでは、単に経済発展に役立ったという評価だけではなく、一人一人の「生」を主体にして書いていくことが必要で、個人を縛り続けた因習や無言の同調圧力のような、ある世代にとっては「当たり前に知っていた」ということも、改めて具体的に示し直していかないとダメなのではないか、そういう本を作れないものか、と考えています。
農村史専攻の方々、ぜひお考え下さい。
先日、このことをある政治史の研究者に話したら、「女性史・ジェンダー史の人が坂根さんの研究になぜ反論しないのか分からない」とおっしゃってました。たしかに、それにあたっては「(近代)日本の家父長制」を正面から問い直さないといけないので、ジェンダーの視点をきちんと入れて考えていかないとダメだと思います。
それとも、もうそういう研究は本になっているんですかね?
教えていただけると助かります。