有志舎の日々

社長の永滝稔が、 日々の仕事や出版・学問などに関して思ったことを好き勝手に 書いていきます。

再版「マッカーシズム」?

2011-11-25 14:23:01 | 国際・政治

大阪府知事選・大阪市長選が迫っています。東京都民である私は投票できないので、固唾を呑んで見守ることしかできません。が、大阪の方々がポピュリズムに同調することなく、民主主義を守るという選択をされる事を願っています。

大阪維新の会がやっている事はまさに「マッカーシズム」だと思います。特定の国家・民族への無前提な忠誠・服従を求め、それに疑問を呈するもの、反対するものの言論ばかりか生活や人生まで「魔女狩り」的に抑圧していく。それを見ている人々をますます反対しづらいものにしていき、やがて人々は「あれは我々には関係なく、元府知事と元市長との個人的な対立なのだ。巻き込まないでもらいたい」という自分に都合の良いような態度をとらせ、自分だけが安全であればよいという住民エゴが横溢していく。それがそのまま抑圧者への無言の指示になっているという事に人々は気がつかないままに。

こういう状況を見るにつけ、私はある映画を想い出しました。西部劇の名作「真昼の決闘」(フレッド・ジンネマン監督)です。この映画が「マッカーシズム」批判の映画なのだという事は安田常雄先生(国立歴史民俗博物館教授)から教えていただき、なるほど!と思った次第ですが、映画の粗筋はこういうものです。

ある西部の町にゲーリー・クーパー演じる保管官に逮捕され監獄に入っていた凶悪犯が仲間を連れて帰ってくるという話が町に流れるところからこの映画は始まります。この町はかつてこの犯人一味に牛耳られて人々は大変困っていたのですが、保安官の勇気ある行動によって悪漢は逮捕され、町の住民は胸をなで下ろしていたところだったのです。ところが不明瞭な裁判で無罪となった悪漢は保安官への復讐ともう一度町を牛耳るために列車で帰ってくるというのです。

そういう事になったとき、この町の住民たちが取った行動はどういうものだったのか。正義を貫いた保安官に協力するものは一人もおらず、悪漢3人に対して保安官は1人、勝てるはずがない、保安官に味方していたら後でどんな報復をされるか分からない、と口々に言い合うのです。挙げ句の果てに、「あれは保安官と悪漢との個人的な問題だ。巻き込まれるのはゴメンだ」という人間もでる始末。ついには、町民たちは保安官に町を出て行ってほしいとまで言い出します。

完全な孤立のなかでも、保安官は住民エゴを無視して正面から悪漢を迎え撃つ事を決意します(最終的にはグレース・ケリー演じる彼の妻だけが味方しますが)。そして保安官が勝ち、悪漢3人は斃されるのですが、保安官が勝った瞬間、真昼であるにもかかわらず、それまで関わり合いになることを恐れて人っ子一人いなかった街頭に、住民が溢れるように出てきて保安官を賞賛します。しかし、保安官は不機嫌そうに彼らに一瞥をくれると、保安官バッジを地面に捨て、妻と共に馬車に乗って町を去っていくというラストを迎えます。

これって、まさに今の日本の姿なのではないでしょうか。人権が踏みにじられようとしているのに(実際に大阪府議会では、公務員に「君が代」斉唱時起立を強制する条例が可決され、今後は処分も大いにありえる事態になっていますし、東京ではすでに公立学校の教員が多数処分されています)、多くの住民は公務員たたきに溜飲を下げて住民エゴとルサンチマン意識を剥きだしにして、大阪維新の会に多数票を与えています。それは、まさに「真昼の決闘」の町民の姿にダブります。そして、これは東京都民も同じです。何しろ、あの石原慎太郎を都知事に戴いている訳ですから。

そのときの多数意見がいつも正しいわけではないという民主主義の基本を忘れた人間の末路は哀れなものだという事は、「マッカーシズム」の唱道者であるジョセフ・マッカーシーの晩年が示しています。しかし、彼に痛撃を与えたのが良心的なジャーナリズムだったという事は忘れてはいけないでしょう。それに比べて今のジャーナリズムの体たらくは何でしょうか。多くのメディアが福島の原発事故でも御用報道を繰り返し、TPPについても「参加が世界の大勢だ」と言いつのる。呆れてものが言えません。

たとえ「蟷螂の斧」であっても、活字出版(なかでも学術書出版)だけはこういった流れに頑固に抗していきたいものです。


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1 コメント

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初めまして (大阪市民)
2012-01-20 18:17:55
初めまして
マッカーシズムをググってたらたどり着きました
ちなみに大阪市民です。
いろいろ橋下批判を拝見しますが、共通してるのは「では、どうすればいいのか」という点が完全に欠落していることです。
実際に動かさなきゃいけない政治の世界で批判のための批判は百害あって一利なしと考えます。
多くの市民は無知です。
だから橋下にも騙されますし、このエントリにも恐怖します。
でも、批判する人からは建設的な意見がまるで出てこない
橋下をナチスだマッカーシーだと決めつけても何も動きませんし何も変わりません。
批判されるのでしたら、その先まで目を向けられることを望みます。

あと、東京の方でしたらご存じないかもしれませんが、橋下は究極の現実主義、合理主義者です。
彼を納得させる理論や政策があれば、驚くほどあっさりと矛を納めますし、追従もします。
お前にはメンツもプライドもないんか?と突っ込みたくなるほどに。
その事は大抵の大阪人は知ってます。

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