今年ももう暮れようとしています。
売上的には厳しい一年でしたが、『「村の鎮守」と戦前日本』が弊社久々の重版となったことは嬉しかったですし、原稿依頼から7年経って刊行なった『明治国家と雅楽』も感慨深い一冊となりました。
来年はより一層、良い本を出版するべく頑張っていきますので、ご支援の程よろしくお願い申し上げます。
今年ももう暮れようとしています。
売上的には厳しい一年でしたが、『「村の鎮守」と戦前日本』が弊社久々の重版となったことは嬉しかったですし、原稿依頼から7年経って刊行なった『明治国家と雅楽』も感慨深い一冊となりました。
来年はより一層、良い本を出版するべく頑張っていきますので、ご支援の程よろしくお願い申し上げます。
塚原康子先生の『明治国家と雅楽』が間もなく刊行されます。十数年間、地道に研究されてきた結晶です。こういう研究成果を見ると、人文的な学問というものは長い時間をかけて形になっていくものだということを本当に感じます。その研究者の人生の歩みそのものでもある訳で、そういう本を単に「商品」とだけ冷徹にとらえることは私にはできません。
でも、こういうところが営業・販売専従の人とは、なかなか理解し合えないところなんですが・・・。
社会学者の石原俊さんが一年にわたって連載してきた『週刊 読書人』の「論潮」が今月で終了しました。
石原さんらしい先鋭的な議論を毎回展開し、ずいぶん勉強になりました。テーマは、新自由主義と民主党の問題、「対テロ戦争」と自衛隊の海外派遣、現代における貧困と非正規労働をめぐる抑圧と暴力、外国人排除と自閉化する日本社会、戦後責任、沖縄、パレスチナなど多彩でしたが、その分析はものすごく深く鋭くて、現代世界と日本のあり方に対する「批判的介入」とはこういうものを言うんだ、と感じさせました。
最後の12月11日号にはとりわけ大きな感銘を受けました。
石原さんはこのなかで、反「貧困」が容易に「(俺たちの仕事を奪う)外国人は出て行け」という拝外主義に接続しつつある現実。そして、自衛隊の「貧困ビジネス」化と海外派兵の恒久化が同時進行している問題。そして、これらがひと続きになりつつあるということ。そこから、今、静かに危機が進行しつつあることを、様々な人の論考を紹介しながらクリアに指摘されています。かつて、本多勝一氏が「殺される側の論理」「殺す側の論理」を鋭敏な感性と論理性で問題にしたように、21世紀日本においても「殺すこと / 殺されること」への感度が試されているのです。
これはとても大事なことであるにもかかわらず、戦後において大半の「日本人」は、帝国日本の植民地主義を忘却し、「冷戦の最前線を朝鮮半島・台湾・沖縄へ押しつけつつ」、国外からの「合法的」移住を遮断し、同質的・排他的な意識を保ってくるなかで不問に付してきました。そこから、民主党への政権交代からも、問題の解決どころか、より一層の警戒感をもって私たちが政治・社会にコミットしていかなければならないことが見えてきます。
定住外国人への地方参政権問題については、私も先日印象的な体験をしました。
ある飲み屋で、さんざん会社批判をしながら飲んでいた普通のサラリーマン風のオジサンから、「外国人に選挙権を与えるなんて絶対ダメだよ。何考えてるんだよ」「あいつら何するか分かんないじゃないか」という発言が出て、周りの人間も皆同調していたのです。
これがフツーの「日本人」の感覚か、ということをまざまざと見せられて、酒がまずくなりました。
「自分たちは恵まれない」と思っている人間ほど、草の根の拝外主義・人種主義に強烈に汚染されるという苦い現実でした。
でも、こういう事に簡単に同調しないという感度を研ぎ澄ますためにも学問は大事なので、めげずに私も出版という場を利用して戦っていきたいと思っています。
12月に入って、がぜん忙しくなってきました。3月には論文集を2冊刊行するのですが、もうあまり時間がないので大忙しです。でも、忙しいというのは有り難いこと。出版する本がなかったら出版社としてやっていけないわけで、貧乏性・心配性の私は少しでも新刊の出版間隔が空くと「大丈夫だろうか」と色々考えてしまいますから、これくらいでちょうど良いのかもしれません。
なお、今月は18日配本予定で『明治国家と雅楽-伝統の近代化 / 国楽の創成-』(塚原康子先生著)を出します。近代国家づくりと音楽との関係を分析した斬新な本です。乞うご期待!