自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

余部鉄橋

2015年02月26日 | 写真と文


あまるべ、アマルベ…
いつの頃、何処で聞き覚えたのかは知りません
30年近くも前でしょうか、初めて山陰を旅したとき、
侘びしげな風景の中にあの独特の赤い橋梁が天高くそそり立つのを見るまで
迂闊にもアマルベ鉄橋とはどこか遠くの見知らぬ国のものだと思っていました。

あまるべ、耳にすると何かエキゾチックな語韻を感じます
橋脚の下で車から降り立ったところに、人気のない寒々とした空と海と川と低い山に囲まれた田畑があり
複雑に組み合わせた赤茶けた柱が天空に伸びて、あの上を列車が走るなんてまるで夢、と想像したのでした。

明治の終わり日露戦争の余勢をかって西と東をつなぎ餘部橋梁の完成で山陰本線は貫通しました。
その威容は当時東洋一と謳われたそうですがその維持管理もまた多額の費用がかかり
老朽と突風による転落事故が起きるなどして、10年ほど前に取り壊され
今は2代目の形を変えたコンクリートの橋脚がたっているそうですから、私には真実幻の橋梁となりました。





先夜
なぜか長いこと中断したままでいた宮本輝の大河小説「流転の海」第6部が
なぜか突然目にとまり、わくわくしながらそれまでの粗筋を思い出しつつ読み始めたら
思いがけなく作中に余部の鉄橋が登場してきたのです。
薄倖な過去を持つヨネばァちゃんの遺骨を苦心して撒くところがあまるべの橋梁の上なのです。

豪胆なのに高いところが苦手の主人公と、反抗期にさしかかっているひ弱な息子
戦後の混乱期の設定ですから私が行った時期よりももっと昔なのでしょう
小説の中で余部の風景が否応なく膨れ上がりました。

  

当時は写真ほどに人家などもなく、ひっそりした寒村だった印象が強く刻み込まれて
殊更懐かしくまぼろしのように浮かびあがってくるのです。








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