自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

白い雨

2010年10月26日 | ひとりごと
   おのが心に おのれの沈みゆくごとし
             さ庭に白く雨ふりそそぐ
 
      (米山律子)



    



 小さな筆の穂先から、少しずつ想いをしたたらせるように画面を彩ってゆく、
 こんな心の弾みも、疲れるとそれはもうただの辛苦な作業でしかなくなってしまいます。
 筆をおいてほっと庭の緑に目をやると、いつか音もなく雨が降り始めていました。
 葉先からときおりぽとりと光る水滴が、ようやく冷たい小雨の季節の到来を知らせてくれました。

 出口のないもの思い
 ふと気付くと歌の通りの情景が展けています。
 歌人は人生を三十一文字に詠い、
 そこまで行き着けないものは古今の歌集をひも解くかして、心の奥深くをのぞきこんだりするのですが
 今日見つけた一首は胸に響いて、しばらくはものいわぬ木々のたたずまいをただ眺めやっていました。  

 雨の音も風のそよぎも、車も人も虫の鳴き声もない静かな時間です。
 先程まで肩いからせ心を波打たせ、熾き火をかきたてるようにはやっていものはどこへ消えたのでしょう?
 いえそれは消えたのではなく、ひととき心の底に沈みこんでいるのに違いないのですが
 この歌のように。 


 どこらあたりで区切りをつけるか
 体の方々で悲鳴を上げたり、広がる心の空洞に隙間風が吹き始めるのを自覚したりが増えています。  
 火を消して平穏の中に浸りたくなるのも、ごく自然の成り行きと思えてきました。
 ただ無の奥に秘めたさまざまな色彩
 それが描くものにも伝わるようになれたらいいなぁ・・・

 暮れてゆくさ庭を眺めながら、いつかときだけは過ぎていました。
 こころをよぎるさまざまの形にならないもの、それはなかなか無心とまでは行きつけず
 ちぎれ千切れに去来する過去や未来の映像の合間に、幾つもの難題を呪文のように投げかけて
 たぶん答えも期待しないまま、心の奥底へと沈んで行ったような気がします。



惹きあう人?

2010年10月09日 | ひとりごと


 グループでスケッチとは無縁ののんびり温泉旅行に出かけました。
 いずれも画歴30年以上、ではあるけれど、アマチュア以上プロ未満とはいうもおこがましい顔ぶれです。
 そうでない立派な人のためには一応謙遜してということで。

 お風呂につかって夕食も済んだあと、お定まりのカラオケから卓球へと移動する中を、Aさんと二人くたびれて一足先に部屋へ引き揚げることにしました。
 次々にトシの順で抜け落ちて、いつの間にやら二人はグループの最高年なのです。
 「さすがのAさんもトシね」と同行相哀れんで冷やかしたら、ふん、と鼻で笑っています。
 素敵にしつらえられたステージで、大阪から来た落語家の熱演にみなが笑い転げている最中も、ひとりへの字の口だったAさんと、私はすることなすこと水と油。

 何故か会うたび必ずチクチク嫌味を言う。その時ばかりはとても楽しそうな笑顔で。
 イヤなヤツ。心中カチンときてもそこはそれ、大人のお付き合いだからいつも笑って聞き流していたのですが、ある時あんまりうるさいので
 「それって、イジメの一種ね」と返したら、以来ぴたりと嫌味が止まりました。
 いじめが社会的問題になり始めたころで、彼女は元教員です。


 元管理職というのも自慢の種で、教室の中でもときどき高圧的な態度が顔を出し、大概の人は避けて通ります。
 けれども意外に腹の中はカランとしているので、それほど憎めないのがうまくできているところ。
 若しこのブログが目に入ったとしても、「ふん、なるほど」とあっさり読み流すでしょう。

 部屋に戻って向き合ってふと話題が戦時中にと飛びました。
 そして初めていつもと異なる彼女の表情をはっきり目にしたのです。。
 戦火に追われ逃げ惑った子供の頃、遺体もそのままの焼け跡にはぐれた妹をひとりで探しまわったこと。
 焼け焦げた人体に残った衣服の切れはしを確かめる大人たちの仕草のこと。
 65年さかのぼってなお鮮烈に刻印された記憶でした。

 今まで他人には話したことがなかったと彼女は言いました。
 同じ時代を生きた者のみが理解できるとの思いがあったのでしょう。
 悲しみも極まれば言葉にならないのを私は知っているつもりです。
 水と油が、ふっと溶けあったような気がしました。

   。。。。。




 翌朝駅前で解散となりました。。
 どんな時であれ、別れはなにかさびくて、それぞれが惹かれながら左右に散ってゆきます。
 「さよなら」
 またね、とも言わず相変わらずのへの字に口を結んだまま、Aさんは一度も振り返えることなく淡々と去っていったのでした。


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次郎の宿題

2010年10月05日 | 絵と文
 現代では珍しくもないようだけど、高校男子の夏休みの宿題に「パン作り」ですって。
 しかもパン焼き器など使わず純然たるお手製で。
 次郎の非日常の一端を、息子がメールで送ってくれたのもまた珍しいことでした!

 「男子も厨房に入るべし」
 はるか昔、男性優位の時代から高々と掲げたはずのモットーに反して、
 孫の太郎も次郎も台所の一角はまるきり未知の領域です。




   “何でオレ様は板前にならなかったんだろ?”
 生きてた頃の祖父ちゃんが、台所で包丁片手に幾度となく大げさに慨嘆してました。
   “モーレツ社員か、でなければぐうたら亭主のどちらかになる“
 とのたまうた息子は、嬉々として我が子太郎と次郎の食育に専念したから、たぶんぐうたら亭主と成り果てたんでしょうけど、どちらもアルコールの伴奏つきがなければ聞けないセリフでしたっけ。

 お酒が入ると気軽に台所に立ったお祖父ちゃん、いつかふっと好みの味が変わったと気付いた時は、もう手遅れ。
 代わって息子の出番が来たときは、ニューフェースの太郎次郎が大喜びです。
 それはそうでしょう、食材も調味料も産地から取り寄せては思い切りふんだんに、月末の赤字なんてどこ吹く風の大盤振る舞いですもの
 おまけにあと片付けがもう、しんどいこと。
 幸か不幸か、太郎も次郎も何の不満もなく育ってしまったから、モットーははるか遠くに置き忘られ…



 そして、この通り。
 小さな台所に、体ばかりデカい次郎が立てば、見てるこちらの方がめまいしそうな不安定感と
 ややあって、それがまたなんとも言えずユーモラス。


 ご本人は大まじめ
             




 あら、ら、…  なにやってるの
 

 




 さて、生まれて初めて、次郎お手製パンの味は、どうだったんでしょう?

 残念ながらそこまでの報告は、ありません。