きままに・・ 風便り

気の向くまま、足の向くままに日々を綴ります。

岩村城下町

2022年10月27日 21時57分07秒 | 城跡巡り
『 岩村城下おかげ祭り 』


10月23日(日)
城下町は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

今回の三度目の岩村城址巡りで、初めて城下町を歩きました。
でも、全国大会のスケジュールを優先し、ゆっくりと城下町散策はしていません。
次回はオフシーズンを狙ってみようと思っています。

少しの写真をUPします。

正面の山に岩村城跡。



旧家の佇まい






酒蔵の利き酒会





祭り太鼓

この夏の不調以来、ウォーキングはできませんでした。
今回の久しぶりの一万歩越え、再び歩くことに自信を持てました。


良い季節です、時間の許す限りウォーキングを頑張ろう。と、書いておきます。
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第29回全国山城サミット恵那大会

2022年10月25日 13時20分06秒 | 城跡巡り
『 岩村城址・六段菱櫓 』

10月23日(日)
城址巡りを趣味に持ってから、初めて全国山城サミット大会なるものに参加してきました。
すでに29年経過の歴史有る全国大会。
私の初めての城址巡りは2016年1月26日、それでも7年経過。

第29回全国山城サミット恵那大会サイト
詳しくは水色文字をクリック願います。

2日間の開催のうち、諸々の事情で23日の岩村町を選びました。
第1目的は、岩村城址登頂と餅投げ拾い、琵琶演奏。
運が良ければ、岩村城址のどこかで春風亭昇太師匠に会える。
第2目的は、岩村城下のおかげ祭りを散策。

城下町に着いたのは午前11時頃。
臨時駐車場の岩邑小学校から城下町を目指して歩きました。
餅投げは12時35分開始、城下町のお店を脇目で覗きながら本丸跡地の山頂を目指すことにしました。

☆ 恵那大会記念スタンプラリー
無料配布の豪華景品付きスタンプラリーに参加しながら登頂することにしました。

手作り感いっぱいのスタンプラリー帳、10ケ所のスタンプを集めます。


↑ 正午
カメラが重たく感じバックに仕舞いました。
ここから30分で餅投げ会場に着かなければいけないのです。
この後は、スマホ画像になります。


↑ ハートの石
石畳の中にハートの石を発見、ハートに見えますか?



↑ 6番「一の門」


↑ 7番「土岐門」



↑ 整備された登山道
以前は、デコボコの荒々しい登山道でした。
恵那市の全国大会への力の入れ様が垣間伺えます。



木立の中にひっそりと当時のままの石垣が佇んでいます。
この雰囲気も石垣ファンにはたまりません。



↑「六段菱櫓」


↑ ゲットしたスタンプ

スタンプカードは、本丸跡地の特設ステージ受付に提出して、ガラガラ1回の権利を獲得。
ガラガラガラ~~ ゆっくり回しました。 コトッン!
なんと!大当たりの青玉がでました~^^  ちなみに、外れは白玉。


↑ 大当たり景品

でも、外れのエコバック(¥300)の可愛さに負けて衝動買い。
(景品は、購入することもできます)

↑ 購入した外れ景品(コットン100%)
外れのエコバックの御縁(五円)模様が、とても可愛く見えたのです。
こうなると、何が当たりで外れなのか?分からなくなります・・・

 餅投げ大会(12時35分~12時45分)
餅投げ開始時間前には到着したくて、結構がんばって登りました。
その甲斐あって、なんとかセーフ~


↑ 餅投げ会場
本丸跡地の特設ステージでは関係各位の皆様のご挨拶スピーチ。
その後、いよいよ待ちに待った餅投げ開始~!!



紅白のお餅・お菓子・御縁の五円玉が15分間投げられました。

なのに、、、私は何も捕れませんでした~ 
周りを見ると、レジ袋いっぱいの人もいます。。。
どうして?私は収穫0? つまりドンくさいという事ですぅぅぅぅぅ

🏯 下山編
 特別ゲストとの遭遇(山城大好き 春風亭昇太師匠 編)
ラッキーなこともありました。
今回の大型ゲストの春風亭昇太師匠に偶然3回もお会いできたのです。


↑ 本丸跡地の石垣と小道
この小道を歩いていると、前方から男性3名ほどが向かってきます。
狭い道ですので、譲って「こんにちは^^」。

通り過ぎてから、近くの御仁が「春風亭さんだよ」。と一言、、、
え! 私は振り向きざまにカシャ! 後ろ姿を1枚ゲット~♪


↑ 本丸跡地の石垣
この小道で師匠とすれ違いました。


私めも本丸跡地の石垣をバックに、おつやの方(女城主)と記念撮影。可愛いエコバックと共に、、、
餅拾いは不漁でしたが、可愛いエコバックを購入し、すこぶる機嫌良くなっています。
嬉しさのあまり、、本丸跡地のあちこちの石垣前でエコバックを手に持ち記念撮影しました。

そして、師匠との2回目の遭遇は六段菱櫓にて。
六段菱櫓の写真を撮っていると、道行く人の邪魔になり「すみません」。 道を譲りました。
すると、「いえいえダイジョウブ」大きな声の返事が返ってきました。
あれ? 聞き覚えある声・・・ あ~!! 一瞬フリーズの私。

すると、その男性はマスクを外してニコニコ顔を見せるのです。
しかも、名前入りのぼりを自ら手に持ち・・・
「ええい~!これが目に入らぬか~~~ 」水戸のご老公の葵の御紋の如く・・


↑ 二枚目春風亭昇太師匠 ゲット~♪

恐る恐る「あのぉ、お写真よろしいでしょうか?」
ニコニコ顔で「うんうん、どうぞ~^^」。



この後、周りの人々が師匠に気が付き群がってきました。
人気者はすぐ人だかりです。
下山後は、岩村城下町の特設ステージに出演です。




この日の師匠は明知会場と岩村会場の2か所に出没。
分刻みのスケジュールだったそうです。
お疲れ様でした。そして楽しい時をありがとうございました。

当ブログに写真掲載の快諾をいただきました。
ありがとうございました。

☆ おまけのコラージュ


無料配布の岩村産新米あられは紙コップ1杯。
あられも美味しいのですが、紙コップの御縁マークに一目惚れしました。
¥300の布製エコバックにも、同じ御縁(五円)マークです。

長くなりましたが、続きは「岩村城下町編」の予定です。
最後までお付き合いありがとうございました。

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清州から名古屋へ その2

2021年11月17日 17時51分17秒 | 城跡巡り
『金鯱のある名古屋城』

☆名古屋城データー
 築  城:1612年完成
 本丸御殿:1615年完成
 築 城 主 :徳川家康
 造った人:加藤清正・福島正則・池田輝正・黒田長政などの各地の大名。
 歴代城主:尾張徳川家17代

☆現代の名古屋城
 昭和05年:天守閣と本丸御殿が国宝第一号に指定。
 昭和20年:空襲により建物のほとんどを消失
 昭和34年:戦後コンクリート造りで再建される。
 平成30年:本丸御殿再建完成



11月14日(日)
清州城から名古屋城まで10㎞ほどを走りました。
久しぶりに正門から入城し、「本丸表二の門」をくぐりました。
普段は、名城公園近くの東門から入っています。


 ↑ 本丸表二の門(重要文化財)
現存する数少ない創建時の建造物です。

☆ 本丸御殿 (檜の近世書院造)
 平成21年復元開始 平成30年6月完成公開
 現存されている豊富な資料をもとに築城当時のままに再建されました。

一、玄関
  美しい唐破風(カラハフ)の奥に虎と豹がじっと睨む


一、表書院
  花鳥・猫が彩る正式な謁見の間




一、対面所
  身内だけが立ち入られる、豪奢かつ私的な殿舎




一、上洛殿
  細部まで豪華絢爛。技術と贅の粋
  1634年寛永11年 三代将軍家光の上洛に合わせて増築された建物。

王の正しい行いを描いた障壁画「帝鑑図」「雪中梅鳥竹鳥図」。
当時33歳の狩野深幽」作。

◇上洛殿の欄間

鶴の親子の彫り物
上の写真の左側の欄間です。
オペラグラスを持ってくれば良かったなぁ、、、後悔先に立たず。

◇上洛殿の天井



一、湯殿書院
  将軍が湯を楽しみ英気を養う寛ぎの空間
  画像無し  見逃しました。


一、黒木書院
  質の高い松材を用いた落ち着きの空間

清州城内から移築したとも伝えれている。

☆ 御城印
この日は、半日ほどで2つの城址巡りができました。


親しい知人から、本丸御殿の見学を強く薦められていました。
コロナ禍が少し落ち着き、やっと見学できて嬉しい限りです。
未だ、ご覧になられてないお近くの方、一見の価値ありでございます。

下手な写真を並べてしまいました。
美しい画像のHPを貼り付けましたので、興味が湧きましたらご覧ください。
 本丸御殿ページ ← 名古屋城HP
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清州から名古屋へ その1

2021年11月15日 18時06分31秒 | 城跡巡り
『 清州城 』

11月14日(日)
清州城は、若き織田信長が暮らしたお城です。
濃姫と結ばれ、桶狭間の戦いに出陣し、小牧山城へ移るまでの10年間を居城にしました。

 清州城模擬天守


お城の中は、4階建ての博物館のような感じです。
城の歴史、戦の様子などが新聞の号外のように展示してありました。
中でも興味が湧いたのは、織田信長の立像と太鼓です。


 ↑ 「 若き日の織田信長 」 (一階に展示)
作者は、長崎の平和祈念象を制作した北村西望(きたむらせいぼう)さん。
岐阜城の入り口にも、大きさは違いますが同じ銅像があります。


↑ 吉例太鼓 (4階に展示)
戦いの前に戦勝を願い打ちます。
太鼓の横の壁に楽譜が貼り付けてあり、横目で見ながらゲン担ぎに打ってみました。
ドンドン カッ ドドン カッ ♪

金色の小さめな立像は織田信長。
桶狭間の戦いの出陣前、右手に舞扇を持ち「敦盛」を舞い唄う信長。

「人生50年下天のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり」。
一の谷の源平合戦、笛の名手の平敦盛(タイラノアツモリ)を討った源氏の熊谷直美。
この歌は彼が出家する際の心情だそうです。

敦盛は、「青葉の笛」と言う唱歌にもなっています。
青葉の笛文部省唱歌(明治29年)
  ↑ YouTubeが開きます

天守閣からの360°の眺望

↑ 西方向
一番遠くに鈴鹿山脈と伊吹山。
中央の赤い橋が架かる川は、桜で有名な五条川。
左側の線路は、JR東海道新幹線と在来線。
五条川の向こう、線路に分断されて本当の清州城跡があります。


↑ 東方向
名古屋駅前の高層ビル群がハッキリ見えます。

 清州城跡と清州公園
お城を後にし、赤い橋を渡ると目の前が城址。
左に折れ鉄橋をくぐり抜けて公園へ。

↑ 清州城址の碑


↑ 小高い丘
最上部には信長公を祀る祠があります。


 ↑ 二人の銅像
清州公園の中央の「信長公出陣の像」と「濃姫」の像。
信長は、桶狭間の方向を睨んでいると聞きました。


心配そうに信長を見つめる濃姫。

 清州城のその後
1563年、信長は小牧山城へ移り、その後は岐阜城、そして安土城へ、、、
 ・
 ・
1610年、家康の命により清州城と城下町は名古屋へ引っ越し。
1613年、3年がかりの引っ越し(清州越し)完了、と同時に廃城。

尾張の国(愛知県西部)の中心的な城下町だった清州。
人も家もお店も全て名古屋へ引っ越し。
当時は、田畑だけが残り荒れ野になってしまったそうです。

補足
信長が幼少の頃住んでいた城は、名古屋城の前身の那古屋(なこや)城です。
那古屋城を廃城にして清州城に移り住みました。
清州城から名古屋城の距離は、今の道路でおおよそ10㎞。
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真夏日の苗木城跡

2021年07月28日 16時50分13秒 | 城跡巡り
「 足軽長屋跡地から本丸を望む」

 苗木城跡データー
昭和56(1981)年に国指定史跡、平成29(2017)年には続日本100名城認定。
最近の人気は、うなぎ登りで山城ランキング日本一になったそうです。

7月25日(日)晴れ 最高気温34.4
まずは、腹ごしらえという事で、最初に向った先きは阿木湖。


湖畔に建つ「のんきや五平」さんで五平餅ランチを注文。
時間が惜しいのでサッサと済ませました。


↑ 阿木湖 ダム湖であります。
昼食後、左側の赤い橋を渡り苗木城跡へ走ります。

苗木城跡にて
今日の目的は、御城印と苗木城の遠景写真の撮影。
冷房の効いた車から降りると、34度越えの真夏日の日差しにドッと汗がでます。
でも、今回は2度目です。ビューポイントも承知、暑さに負けず歩く速度は速い々。


↑ 風吹門跡
この坂道を登りきると三の丸です。


↑ 三の丸の大矢蔵


↑ 大矢蔵


↑ 大矢蔵・・・ 本丸口から空中撮影
ドローンで撮ったような雰囲気でしょ。
でも、ドローンは持ち合わせておらず、自力で登っております。


↑ 大門跡
本丸への入り口になります。
つづら折りの坂道、眺望を楽しみながら進むと、アッという間に頂上の本丸跡地です。

 天守展望台からの眺望
一、上流方向

↑ 木曽川と恵那山
遠景に恵那山が見えるのですが、厚い雲がかかり姿は見えません。


↑ 木曽川と2つの玉蔵橋
奥の橋は玉蔵橋(県道6号)。
手前に見えるは北恵那鉄道廃線跡の橋梁。

二、下流方向

↑ 木曽川と2つの橋

手前は城山大橋(国道247号)、城山とは苗木城跡の在る高森山のこと。
現在は無料ですが、かつては中津川有料道路でした。

奥の橋は美恵橋(県道410号)、美濃国恵那郡の第一の橋という意味。
3代目までは吊り橋、今の4代目はアーチ橋です。

 城山大橋からの苗木城跡

↑ 城山大橋
苗木城の赤壁伝説に関わる竜のモニュメントが4体設置されています。


↑ 苗木城跡と木曽川
奥に玉堂橋が見えます。


↑ 一つ上の写真のトリミング画像
自然の巨石を利用して造られているのが良く分かります。


※御城印は苗木遠山資料館にて入手できます。

今回はわずか半日間の移動ですが3頁に渡ります。
次頁は、城山大橋を渡り奥恵那峡は源斎公園からの苗木城跡です。

奥恵那峡の源斎公園の頁へ

2018年3月の苗木城跡
  ↑ お時間がありましたら、ご参考までに ...
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