como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

景徳院

2007-10-18 23:41:58 | Cafe de 大河
武田氏滅亡の地を訪ねる・大人のプチ遠足 


今回は、「風林火山」のドラマ終了時点からだいぶ先の話になりますが、可愛い四郎様の最期・武田家終焉の地を訪ねてみました。



山梨県甲州市大和町田野にある景徳院。新たな甲斐の領主となった徳川家康が、天正16年、、武田勝頼自刃の地に建立したお寺です。
家康は周辺の住民感情に配慮して、甲斐に来てすぐ大掛かりに勝頼夫妻・主従の鎮魂施設をつくったらしいですが、地域では独自の武田信仰が江戸時代以降もながく続きました。
今年(平成19年)2月、勝頼の墓の下から、地域の農民が納めたとみられる経石がなんと5000個も出土して、話題を呼びました。
 
景徳院周辺には古戦場や、首洗い池三日血川など血塗られた因縁を感じさせる名所が多い一帯です。
今回はいつもの迷走ツアー(笑)ではなく、出土した経石の調査をなさっている山梨県史編纂室の素敵なお姉さま・Hさんに連れて行っていただき、解説つきで(有難い!)景徳院周辺を散策してまいりました。

天正10年、一門衆の木曽義昌のおこしたクーデターで、次々と身内に離反された勝頼。織田信長に介入され、絶体絶命の窮地に陥ると、拠っていた新府城を捨て、再起のために郡内に向かいます。
が、国境の笹子峠で、寝返った小山田信茂勢の一方的な攻撃を受け、進退窮まります。頼みの武将たちは既に亡く、わずかな手勢と、愛妻・北条夫人、一子信勝、侍女など女たち…という一行で、天目山に避難を試みますが、ふもとの田野で、もはやこれまでと最後の時を悟りました。

最後に臨んで勝頼が、息子の信勝に武田家の家宝・盾無の鎧を着せ、日の丸の御旗を立てたと伝わる旗竪松(はたたてまつ)です。
  

勝頼は、妻の北条夫人に、ここから大菩薩峠を越えて、夫人の実家である相模に逃れるようにいいますが、夫人は拒絶。懐刀を飲んで地面に身を投げ、さいごは勝頼に介錯されて果てました。享年19歳。続いて、一子信勝も自害しました。享年16歳(ちなに信勝は勝頼の前妻の子)。

北条夫人の自害の地にある生害石と辞世の碑。
黒髪の乱れたる世ぞ はてしなき 思いに消ゆる 露の玉の緒
  


勝頼も妻に続いて自害します。享年37歳。
勝頼の生害石です。辞世は おぼろなる月もほのかに雲かすみ 晴れて行くへの 西の山の端


北条夫人と信勝の遺体を葬ったといわれるところに、三人の供養のために立てられた三体の地蔵尊です。
このお地蔵さんには首がありません。その名も没頭地蔵。由来を考えると、こ、怖い…。


主をうしなった家来たちも奮戦しました。
最後にはわずか40人くらいになっていたという、武田家の家臣たちの遺体の首を洗ったと伝わる首洗い池


ここには浄水もあって、遠くからポリタンクをもって水を汲みにきている人もいました。こんな強烈な名前の場所で、よく…


もっと怖そうなのはこの三日血川

最後の最後まで勝頼に従った若い家臣・土屋惣蔵昌恒が、この上流の山の斜面で、足場が悪いところを片手を草木の蔓で縛り、片腕一本で寄せくる敵に応戦して、世に土屋惣蔵の片手千人斬りと呼ばれて後世に伝わりました。
で、その千人斬りの奮戦で、3日間にわたって血で染まったことから三日血川と呼ばれたこの川は、今では「三」と「血」が取れて日川とふつうに呼ばれています。

その三日血川の手前が姫ヶ淵。いまは日川ダムがあるせいで水がありませんが、当時は深い淵でした。
ここに、勝頼夫妻に従ってきた侍女など女たちが、次々と身を投げて最期を遂げたといわれています。
その地には、いまはこんなレリーフが(…コメント控えます)。


ところで、5000個の経石とはいったい何?
それは、勝頼の戒名と一緒に般若心経の経文などを書いた石です。勝頼の墓石周辺に、それが大量に埋めてありました。
実は、Hさんのご実家に伝わるご先祖の日記にも、その経石を奉納しにいった記録も見られるそうなんです。江戸時代中期のことで、勝頼敗死後200周年を記念し、村を挙げておこなった奉納イベントだったらしいのです。
この経石が平成になって突然発見されたのは、偶然にも、勝頼の墓と御霊屋が台風で破損してしまい、その修繕のために墓に手を入れたところ、出るわ出るわ5000個も!ということでした。
現在も調査が続いていますが、哀しいかな予算の都合でなかなか進まず、勝頼の墓所はブルーシートも痛々しい「修復中」のままでずっと置かれています。200年以上も武田信仰の情熱を伝えていた民百姓がうかばれない話で、なんとかならないのでしょうか。

勝頼と北条夫人、信勝の墓。破損と経石出土のせいで本来の場所から10数メートル移されて仮安置されています。
はやく本来の場所に戻してあげて欲しいですね。



4 コメント

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終焉の地 (SFurrow)
2007-10-20 23:01:43
今回は解説付きだったんですね~素晴らしい!
ところで「県史編纂室」って市役所の中にあるんですか?それとも地元の大学? 各都道府県にあるのでしょうかね。
そういえば、山梨県って「県民の日」はありますか?ひょっとして武田家関連だったらスゴイけど。ちなみに東京は都民の日10月1日、千葉県は6月15日(その前後1週間東京ディズニーランド割引)、神奈川は日にち忘れたけど横浜開港記念日が確か県民の日だったと思います。
史跡の修繕予算は、お役所をあてにするよりは、地元出身の作家や有名人に声を上げてもらって、マスコミに訴えるのが早道だと思いますが、林真理子さんなんか「山梨県は私に冷たい。郷土の誇りじゃなく郷土の恥と思われてるんじゃないか?」なんて書いてましたからどうなのかな(笑)

そうそう、書きそびれておりましたが、銀幕日記の更新拝見しました。エディット・ピアフは、少し日がたって混雑を避けて行こうと思ってまだ見ていないのですが、やっぱり迫力あるみたいですね。
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県民の日 (庵主)
2007-10-21 10:01:08
>SFurrowさん、こんにちは♪

>ところで「県史編纂室」って市役所の中にあるんですか

いや、これは県庁の学術文化財課(だったかな)の中にあったと思います、たしか。
他の県はどうかわからないですが、山梨県だと、もう10何年か越し「山梨県史」というのを作り続けていて、「ゆるゆると刊行していたんですが、それも今年で全巻が完成しまして、あとは概説をのこすだけになり、県史編纂事業も終了の予定とうかがいました。

ちなみに県民の日は11月20日。ディズニーランド優待でしたね(行ったことないけど)。
武田氏とはとくに関係なく、明治に県政が敷かれた記念日とのこと。つまんないですねえ(笑)。

景徳院は由緒も古く、立派なお寺なんですが、お金がないらしくメンテナンスがあまり…なのがちょっと残念でした。
写真を撮っていたら、巨大なクモの巣に激突しそうになり、化け物みたいな大蜘蛛が!!なんてこともありました(笑)。
まあ、由緒が由緒なので、荒れたかんじもホラー味を添えて悪くないんですが。

>エディット・ピアフ
東京だとやはり混雑しているんですね。地味に評判が高いんだなあ。
ホントすごい迫力で、思わず帰りにピアフのCDを買ってしまいました。
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ぎゃ (SFurrow)
2007-10-21 10:37:02
そ、そりゃそうでした、県史ですから県庁ですよね(ハズカシ~)
石原さんは、地下鉄大江戸線を作るのは熱心でしたが、都史はどうなのかな? あんまり張り切って「俺が書く!」とか言われてもね~って気もしますけど。
映画館は、マイナーな独立系での映画好き向けヒット作は別として、広く公開されるものは、それほど混雑せずに見られるのが普通なのですが、ピアフに関してはふだんあまり映画館に足を運ばないオバサンや高年齢層が押しかけていて、とくに水曜日の女性優待日は、立ち見も出ていると聞きましたが、そろそろ落ち着いた頃だと思います。
「ミス・ポター」のほうはすいていましたが、時間も短め(子供時代などは大幅にカットして)で、アッサリした作りがかえってよかったですね。
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「都史」って。 (庵主)
2007-10-22 22:26:44
>SFurrowさん

都史。あるんでしょうかね。なんか、ものすごい膨大なものになりそうですね。江戸時代以降だけでも、とても一県史の分量じゃないですもの。

ところで江戸といえば、来月「大徳川展」を見に江戸博にいくんですよ♪楽しみだ~。
ただ、茶道の社中と一緒の団体旅行なので、ひとりで行くときのように心ゆくまでジオラマに張り付いて…ともいかないのが残念です。
オススメの姉妹館ともども、日をあらためてまた行きますよ。

東京に(すごくたま~に)映画を見に行くとしたら、東京にいかなきゃ見れないような、それこそ独立系のヒット作になるので、整理券をとったり並んだり…で、また億劫になってしまうんですよね(そもそも100パーセントの入りの映画館というものに、慣れていない)。
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