創価学会・婦人部=最強集票軍団の解剖 創価学会問題研究会
(2001/7 五月書房)
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第三章 走る婦人部 選挙活動
◆ 集票戦略
もう一度、先に紹介した2001年4月のスケジュール表(図表3・省略)を見てほしい。宗教法人・創価学会の目的は、「日蓮大聖人の御建立の本門戒壇の大御本尊を本尊とし、日蓮正宗の教義に基づき、弘教および儀式行事を行い、会員の信心の深化、確立をはかり、もってこれを基調とする世界平和の実現と人類文化の向上に貢献することを目的とし、これに必要な公益事業、出版事業および教育文化活動を行うものとする」(宗教法人・創価学会規則、第3条、『目的』から)と、ある。
では、宗教法人とは何か。宗教法人法第2条「宗教団体の定義」にこうある。
「この法律において、『宗教団体』とは、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を強化育成することを主たる目的とする左に掲げる団体をいう。
一、礼拝の施設を備える神社、寺院、教会、修道院その他これに類する団体。(以下略)」
こうした宗教の教義ひろめ儀式行事を行い、信者を強化育成する法人格を持つ宗教団体は、地方税法348条第2項第3号によって、もっぱら儀式、行事等に使用する土地、建物等施設は、固定資産税、不動産取得税等が非課税の対象とされている。
創価学会も、もちろん例外ではない。全国・都道府県に一千力所といわれる会館や講堂、研修道場等施設は登記上、土地、建物とも「境内地」あるいは「礼拝所」とされている。つまりは、非課税の恩恵を被っている宗教法人の施設なのだ。政治結社ではない。
ところが、この一力月のスケジュール表を見ると、ポスター貼りや、F取りをターゲットにした友好拡大デーなど、選挙がらみに直接関与した政治活動が、都合10日間もある。一力月間の宗教法人行事のうち、なんと3分の1が政治活動に割かれているのだ。詳しくは後述するが、選挙投票日が近づくと、3分の1どころか、政治活動がほぼ毎日となる。選挙の取り組みが、「信仰活動」の範囲として、行事化され、もはや定着しているのだ。
では、宗教の教義をひろめ、信者を強化育成することを本来の使命とする宗教団体の創価学会が、なぜこうも政治活動に熟心なのか。
池田大作の以下の指導を紹介してみょう。
「私どもの選挙戦は、他の政権欲を考えている政治、選挙と違います。第一番目に日蓮大聖人のご遺命である王仏冥合をめざしての、世界最高の崇高なる選挙戦であり、政治であります。第二番目に、全民衆が何千年来待ちこがれていた、心の奥底から要求し望んでいたところの立候補であり、選挙戦であり、また政治であります。また第三番目には、全員、個人の幸福、社会の繁栄を願って、美しい清らかな地涌の菩薩であることを自覚し、『和合僧をもって全日本国民をしあわせにさせきっていこう』それしかない、大衆の味方になっての立候補であり、選挙であり、政治であります」(1963年4月2日、聖教新聞社別館で行われた「統一選挙出陣式」から)
もうひとつ例を挙げよう。
1968年1月26日に開催された「関西本部幹部会」の席上、池田は次のように幹部や会員に訴えている。
「私どもの選挙は、候補者のための選挙や公明党のための選挙ではない。ただひとえに末法の御本仏日蓮大聖人の大慈悲である民衆救済のご遺命を達成するための戦いである。すなわち、日本民族の幸福と安泰、世界平和のための戦いであります。故に真剣に戦った人は、大いなる人間革命を成し遂げ、生活革命をして境涯を開いていくことは絶対に間違いない。
その反対に不真面目で、要領よくやっておれば、それだけ損をすることになる。これが私どもの王仏冥合の戦いの本義であり、偉大さであることを再確認して前進していつていただきたい」
公明党を支援し、選挙戦に臨むことは「菩薩」(仏さま)の行為と等しく、真剣に戦った学会員は人間革命を成し遂げ、生活革命し、境涯が開かれる。やらない人は損をする。このような戦いが王仏冥合だと、池田は指導してきたのだ。
創価学会では、同会が国政の世界に参入した1950年代初頭以来、こうした信仰と政治をミックスしたような指導が池田以下、最高幹部から20余年間にわたつて徹底的に行われてきた。わけても古参会員たちにとっては、骨の髄まで染みている指導内容である。それが途中で、マスコミゃ社会から政教一致と批判され、「王仏冥合といった政教一致と誤解を受けるような用語はもう使用しない」〈1970年5月)と公言したところで、永年、会員間にヒルのように染みついた指導は、そう簡単に剥がれそうにない。創価学会のスケジュール表や、池田の指導から、「王仏冥合」といった用語は確かに消えた。しかし、今日のスケジュール表を見ても、政教分離宣言以降も、組織の実態はそう変わっていないと言える。むしろ、公明党が政権の一翼を占めるようになつてから、政治に介入する創価学会の姿勢は、ますますお盛んのようである。その一票を支えているのが婦人部のひたむきな活動なのだ。
◆ 獲得総票
創価学会は国政選挙で、毎回どのくらいの票を獲得しているのか。
衆院選の場合は、会員数が少ない大都市部以外の選挙区では、公明党は初めから立候補を見送る。全く当選の見込みがないにもかかわらず全区に立候補させる日本共産党と相違し、公明党の選挙は“現実型”だ。参院選地方区もそうだが、ただし全国区(現在、比例代表区)で得た公明党支持票を見れば、創価学会パワーの実力度と、獲得総票数が分かる。以下、創価学会が政界に進出した四〇年前から今日に至る得票数の推移を見てみょう。
投票日 得票数 得票率
1959年5月7日 248万票
1962年7月1日 412万票 11.5%
1965年7月4日 510万票 13.7%
1968年7月7日 666万票 15.4%
1971年6月27日 563万票 14.1%
1974年7月7日 636万票 12.1%
1977年7月10日 717万票 14.2%
1980年6月22日 667万票 11.9%
1983年6月26日 731万票 15.7%
1986年7月6日 744万票 13.0%
1989年7月2日 610万票 10.9%
1992年7月26日 642万票 14.3%
1995年7月12日 1251万票(但し、新進党) 30.8%
1998年7月12日 776万票 13.0%
2001年7月 (目標、1000万票?)
かって創価学会は、
「創価学会は衆議院には出ません。なぜならば、あくまでも宗教団体ですから」(1960年6月10日、三代会長に就任一力月目の池田大作発言)
あるいは、
「われらは政党ではない。ゆえに、けっして、衆議院にその駒を進めるものではない。参議院ならびに地方議会等、その本質にかんがみて、政党色があってはならない分野に、人材を送るものである」(1961年6月1日、同)と、公言し、同会は衆議院への進出を堅く拒否してきた。この姿勢は、先代の二代会長である戸田も、こう断言していた。
「わしの力あるかぎりは、断じて政党などやらんぞ」(雑誌「総合」1957年7月7日号)
それが、一転、
「公明政治連盟を一歩前進させたい。すなわち、公明政治連盟をば、皆様方の賛成があるならば、王仏冥合達成のために、または時代の要求、民衆の要望にこたえて、政党にするもよし、衆議院に出すもよし、このようにしたいと思いますけど、いかがでございましょうか。…恩師戸田先生も、時きたりなば衆議院へ出よ、とのご遺訓があつたのです」(1964年5月3日・本部総会、池田発言)
会長の池田が打ち出す方針に、間違っても反対する会員はいない。一方、「王仏冥合のために、時代の要求、民衆の要望にこたえて」とあるが、周知のとおり1970年、王仏冥合は国民の批判のもとに、あっさりとあきらめて捨てた。また・民衆の要望・というが、同会が衆議院に進出して以来、今日までの34年間、公明党の国民支持率は多くて5%、たいがいは4%前後である。有権者の得票率にしても、平均13%程度であり、一向にして時代や民衆は公明党の存在を、創価学会員を除けば「要望」している風には見えない。
しかし毎年、会員が30万人単位で急増し、会の絶頂にあった1964年、衆議院進出は池田の鶴の一声で決まった。 以来今日まで、12回の総選挙が施行されているが、以下はその当選者数である。
1967年 25人(公明党、衆院選初進出)
1969年 47人(池田の「政教分離宣言」1年前)
1972年 29人
1976年 55人(ロッキード解散)
1979年 57人
1980年 33人(宗門との第一次紛争直後)
1983年 58人
1985年 56人
1990年 45人
1993年 51人
1996年 46人(新進党の中の公明党系)
2000年 31人(初めて小選挙区比例代表並列制を導入)
---------(74P)-------つづく--