創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

続・創価学会を斬る-3

2019-12-31 08:49:11 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
続・創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道・昭和46年(1971年)
       ----------(以下、本文)----------9
目次
まえがき 
第一部 「政教分離」の実態を解剖する
1 変わるに変われない学会の中味
・何故問題にしなければならないか/
・学会・公明党の内側に何が起こったか/
・変幻自在の“追従”態勢/
・悪質極まる歴史の書替え/
・小児病的“デマ”の流布/
・池田“猛省”講演の詭弁
2 “偽装転向”の新生
・“新生”というまやかし/
・言論出版坊害後の会員--①その苦悩と学会告発/
・言論出版妨害後の会員--②めざめぬ者たち/
・死にものぐるいのマスコミエ作/
・「プ口公明党」学者・文化人の「虚勢集団」/
・ダラシないマスコミ、健忘症のマスコミ
3 公明党の“擬似革新”を衝く
・ウワベだけの公明党“新生大会”/
・ウソで固めた“社公民三党協力”/
・公明党は政治を毒する“公害党”/
・ワクをはみだした宗教の政治化/
・中国にふりミわされる公明党/
・中国一辺倒ムードの“危険性”/
・公明党の“革新”--そのインチキぶりお題目ばかりの“不実行政策”/
・背伸びがまねいた公明党の“四面楚歌”
4 創価学会のさまざまな外郭団体
・創価学会の尖兵・公明党の苦悶/
・竹入刺傷事件にみる創価学会・公明党の二枚舌/
・党幹部と末端のみにくい軋櫟/
・学会・公明党文化工作の“ウルトラC方程式”/
・民労--華やかなデビュー、尻つぼみの結末/
・創価大学・学会幹部の養成所?/
・六割学会員の駅弁教授陣

第二部 そのファッショ的危険性は去っていない
5 創価学会・公明党を何故再び斬るか
・政教混淆--“百害あって一利なし”/
・政教不分離への証言/
・学会内階級昇進につながる選挙活動/
・「会長」を防衛する円形組織
6 池田大作……このあまりに「偽善的小人」
・「知能犯」になった創価学会的政治主義/
・おそまつ・低劣な池田の泣きごと/
・「藤原・池田」会談を反古にした池田の“不誠実”/
・卑怯きわまる池田“退転”ポーズ/進行する池田の“人間崩壊”
7 公明党の“ファシズ厶路線”を暴く 
・多党化の中の「野望の権化」公明党/
・ひさしを貸して母屋をとる他党との連立/
・“社会ファシズム”にもつながる御都合主義/
・カメレオン・公明党の危険な役割
あとがき
     ----------(つづく)---------17

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続・創価学会を斬る-2

2019-12-30 09:36:44 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
続・創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道・昭和46年(1971年)
       ----------(以下、本文)----------5

◆ まえがき--真実こそ闘う勇気の源泉である-2
 あの事件が起こって二年……。いったい日本はあの事件の意味するものをどれだけ認識しているのだろう。マスコミや政治はあの事件をどれだけ正しく整理し、問題の所在を明確にし、再びあのような事件が起こってくる背景を根絶したかどうか、あの事件以後のプロセスを辿ってきたものとして、改めて大いなる疑問とせざるをえないのである。 ^

 創価学会・公明党が何故によろめき、よろめきのなかから転換の方向を打ちだした社会的背景との対決を無視しては何にもならないということである。しかも、当の創価学会・公明党すらも、そういう外見的変化、見せ掛け的偽装的変化に対して無原則的ともいえる寛容性を示す日本の政治、文化、社会の反応のうえにけっこうアグラをかき、内容的、実質的にはほとんど変わらないにもかかわらず、変わったという幻想のうえに自ら酔っているという気がするのだ。今や私はこのような偽善的ポーズに対し、非常な怒りを感じている。その意味において『創価学会を斬る』が投じた問題は、政治的にも、社会的にも、文化的にもまだまだほとんど解決されていないと断ぜざるをえないのである。

 時あたかも昭和四十六年九月二十一日、公明党竹入義勝委員長が暴漢によって刺されるという事件が発生した。
 私は言論によって創価学会を斬った。その“斬る”という表現があまりにもラディカルであるということで、多くの信者から抗議が来たものだ。そして出版取次店は一時、取次を拒み、広告代理店は広告の取扱いを拒否し、しかも当初一部の大新聞はその広告掲載を拒否する理由として“斬る”という表現を取上げたものである。
 “斬る”といい“刺す”といい、それはあくまで言論を通じての表現であるに過ぎない。しかも私の本はそれなりに事実を調べ、きびしい表現はとっているけれども、決して言論の道義に反するような形で書かれたものではない、にもかかわらず言論の批判を拒否して、さまざまな妨害をし、しかもことが明るみに出た場合にシラを切って逃げ回り、ヌケヌケとした弁明を行ない、一度は辞職するといいながら辞めず、醜態そのものであったといっていい竹入委員長が、創価学会は「金儲け主義の団体」であるといって憤概する熱烈な日蓮宗信者、立正大学出身の青年の手によって刺されたということに、やはり私は私なりに感慨無量なものがあった。

 私が暴力を否定することはいうまでもない。私が言論をもって創価学会を“斬った”のはまさに自由な言論を実力をもって阻止しようとする創価学会・公明党の暴力的体質であったといわねばならない。言論を直接暴力スレスレの組織的実力をもって抑圧しょうとしたものが、今や実力のなかのもっとも尖鋭な形態としてのテ口によってその指導者を刺されたということ、この事実の重みのなかに私は二年の歳月をへて「創価学会問題」とでもいえるものがますますねじれた形で社会に展開されていることに対する憂慮を憶えざるをえない。その意味でも事実の展開はまこと皮肉といわなければなるまい。

 あのテロ事件で、さらに皮肉な実感を受けたことは咋年(四十五年)の五月、政治と宗教の分離を池田会長自らの言葉で天下に誓っているのに、この犯人でさえ創価学会・公明党は少しも分離していないと、受取っていることであった。池田大作会長でも、竹入委員長でもというテ口の同一方向性こそ、創価学会・公明党がいまだに分離していないと多くの人々に受取られていることをもっとも素朴で、愚かな形で、社会に示したといえなくもないのだ。
 竹入委員長刺傷事件が起こったとき、公明党はいち早く声明を出し、暴力こそ「民主主義の敵」であるという表現をつかった。ちょうど二年前、私は創価学会・公明党の自由を抑圧する態度こそ、まさに「民主主義の敵」であると言った。民主主義の敵は暴力であり、暴力的行動であるという点ではまったく異論がない。その公明党の党首がテ口にあうという段階になって、私のつかったとまったく同じ表現をつかったことに、奇妙な感慨と追想をおぼえたものだ。

 ところでニクソン-ショックとさえいわれた突然の二クソン訪中声明に先だって、公明党はこの一年くらいで驚くべき左旋回をしている。数年前に訪中して文化革命時における毛沢東の神格化、紅衛兵運動等々を見て、創価学会の大会と紅衛兵運動と奇妙に類似するなどといってきた私としては、公明党の中国接近、これに対する中国の反応をみていると、ここにもまたそこはかとなき皮肉の感慨をもたざるをえない。

 ともあれ創価学会・公明党問題はもっともっと掘り下げねばなるまい。一年前まではファシズムであるといって痛烈に創価学会・公明党を非難していた中国系新聞が、今や公明党五原則を日中国交回復の基本条件として拳げてきている歴史の変転のなかにあるものは何か。歴史の歯車は、政治の場合とくに微妙に屈折するものである。正しいとみえるもののなかにもしばしぱインチキなもの、不純なものは混在する。そういう点もふくめて、学会・公明党の政治姿勢の根底にあるものについてさらに考えてみる段階にきているのではないかとも思っている。

 この『続・創価学会を斬る』は、あの事件以後、私なりに創価学会・公明党の動きを監視してきた結果、本質的には何ら変わらず、旧態依然としてそのマキャベリスティックな願望を別な形で実現しようとしていることに対する憂慮を、国民への警鐘として書いたものである。
 そしてあの言論出版問題が少しも解決されてないことをさらにつよく世に訴えたいのだ。あの問題と事件に少しでも関心を持たれた学会員をふくめて多くの人々に対し、問題は決してまだ終わってないことを改めて考えていただくとともに、創価学会・公明党の本質にひそむさらに深刻な問題に目を閉じないでほしいことを訴えたいのである。
 真実はまあくまでも明らかにされねばならないし、これを故意に蔽ぅものとの闘いはやめるワケにはいかないということである。
  一九七一年十一月十日           藤原 弘達
     ----------(つづく)---------8
<参考>
 藤原弘達の“創価学会を斬る”(予言=自公一体政権)シリーズ
 1.創価学会を斬る<この日本をどうする-2>=1969年(昭和44年)<言論出版妨害事件>
 2.続・創価学会を斬る=1971年(昭和46年)
 3.新・創価学会を斬る=1972年(昭和47年)
 4.創価学会に未来はあるか=1979年(昭和54年)共著・内藤国夫
   --「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相
 5.創価学会・公明党をブッた斬る=1985年(昭和60年)
   --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか
 6.創価学会池田大作をブッタ斬る=1988年(昭和63年)…初回から約20年
   --1998年(平成10年)小渕(自民)内閣に創価=公明党参加→自公一体政治
   --1999年(平成11年)藤原弘達 没
   --2009年(平成21年)創価・公明党総選挙大敗、民主政権へ(~3.5年)
   --2012年(平成24年)自公一体政権復活(~現在≒2020)
 7.藤原弘達『創価学会を斬る』41年目の検証=2012年(平成24年)

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続・創価学会を斬る-1

2019-12-29 09:06:44 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
続・創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道・昭和46年(1971年)
       
まえがき--真実こそ闘う勇気の源泉である-1
  早いもので、『創価学会を斬る』を出版してからちょうど二年の歳月がながれた。そしてこの二年の間に、私は私なりに、人生最大ともいうべき貴重な体験をしたといえるだろう。たまたまあの一冊の書物が投じた政治的、社会的波紋は、これまでに類例のない大きなウネリとなって日本中を覆ったといって過言でない。

 見方によるとあの本はボクシングでいう強烈なカウンター・パンチにたとえられるかもしれない。タイミングのおそろしさにわれながらおどろいたものである。アレヨアレヨという間に全国民の間に連鎖反応を起こし問題は国会にまで波及した。これまで学会関係について口を閉ざしていたマスコミもことここにいたって、こんどはわれ先にと、この言論出版妨害問題に飛びつき、創価学会の貴任を追及することになったのである。

 今や、多くの人々が、創価学会・公明党によって言論出版の妨害を受けながら、闇から闇へ葬られ、しかもほとんど話題にならなかったおどろくべき事実のあることを知るようになった。そして私はあの事件いらい何となく天下をひっかき回す爆弾男のようなイメージを与えられたものだ。たしかに過去に存在した数々の言論出版妨害の事実も、あの事件をきっかけとし
て次々と明るみにだされたことは否定できないところだろう。
 そういう私に対して、「結局、誰かがやらなければならなかったことを、とにかく弘達は勇気をもってやった。その勇気たるや大変なものだ」といったぐあいに、妙なホメ方をする人は多くあった。たしかにあの本の出版にあたって、何らかの勇気を要したことは否定できない。
 もちろん迫害は予想されたし、予想された通りの、いやそれをこえるさまざまな迫害が起きたこともま.た事実である。
 かえりみると、私自身、ー咋年の終わりから昨年いっぱい、この問題の渦中にあって、カラ元気にも似た強い発言をしながらも、心身ともにクタクタになる生活をおくった。その間、私を励ましつづけてくれたのは、このまえがきの冒頭にかかげた「自戒の言」--「真実こそ闘う勇気の源泉である」ということだった。
 ウソをいっていないことが、何よりも味方であり、孤独の闘いをささえる心の援軍だったといってもよい。

 ともあれ、この闘いは形のうえでは一応終わったかのようである。私の主張したことを当の相手である創価学会・公明党はほぼ全面的に認めた形になったからである。ワンマン的存在の池田会長自らが言論自由の尊重、政治と宗教の分離、強引な折伏行為の中止を天下に誓ったのだ。この創価学会・公明党のいわゆる大転換は、おそらくこの宗教団体結成以来のものであったといわなくてはならないだろう。
 そして上は国会議員クラスから下は末端の地方議員にいたるまで、公明党の議員はおしなべて低姿勢でおとなしくなった。ところによって「こうなったのはあなたがあの本で斬ってくれたお陰です」と妙な感謝のされ方をされたこともある。また創価学会・公明党に関する市販の書物は怒濤のように巷に溢れ、いわゆる“鶴のタブー”は破れたかにみえる。
 しかし本当に破れたかどうかは今や大いなる疑問があるのだ。大いなる疑問があるが故に、この『続・創価学会を斬る』を出版する気持にもなったのであるが、形のうえでは、明らかに過去のような直接的で強引な言論出版妨害はないといわなくてはなるまい。変わったといえば、表面的には大いに変わったのである。
 また宗教界一般もあの事件を通じて、何となく一種の生色を取り戻した感がある。創価学会によって押しまくられるだけ押しまくられていた既成の宗教集団の中にも、宗教と政治、宗教と社会、宗教本来の意義等々に関するそれなりの疑問や批判、またこれまでの無為無策、怠惰に対する反省のようなものが起こったことも事実であろう。そのようにみてくると、たまたまあの事件を契機として私と対立することになり、昨年の秋(四十五年)に亡くなった故大宅壮一が、私の著書についてさまざまの批判をしながらも、なおかつこの事件というものが日本の言論史上、文化史上、政治史上、無視できない意義のある事件であるというように評価したことは、それなりに鋭い直覚があったといわねばなるまい。

 たしかにあの事件は、歴史とするべくあまりにも近く、しかもまこと奇妙な事件なのである。
 ところであの当時、丸山邦男が--藤原弘達のような言論自由を謳歌している人間が、言論自由を妨害されたなどと訴えてもピンとこない。彼ほど戦後日本で言論の自由を謳歌した人間はないじゃないか。もっともっと陰湿な形で言論の自由に圧力をかけたものが創価学会・公明党のほかにもある--というような趣旨の文章を書いていたが、おそらく彼はそれが政治権力であるといいたいのだろう。
 そういう批判はある程度まで当たっている。私は言論の自由を謳歌している一人にはちがいない。もっとも言いたい放題のことを言ってきている男かもしれない。自由を謳歌し、言論の自由権を行使することに生きがいをおぽえる人間なるが故に、その言論自由に圧力を加えられることに対して敏感であるという反面の事実も忘れてはならないのである。権利が侵されていることに抵抗したことのない人間ほど、また敗北することを「客観的法則」として甘受する人間ほど、言論の自由への圧迫や、不当な干渉に関して鈍感になる傾向がある。
 鈍感になるだけではなく、次第に諦めるようになり、やがてこれを甘受する習性にさえ転じかねない恐るべき心的傾向が、表面的には如何にも自由にみえる今の日本に蔓延しているといえなくもない。
 そういう奇妙にだらけきった傾向は、マスコミのうえにみられる一般的風潮と表裏するものではないか、そういう気もしているのである。
     ----------(つづく)---------5
<参考>
 藤原弘達の“創価学会を斬る”(予言=自公一体政権)シリーズ
 1.創価学会を斬る<この日本をどうする-2>=1969年(昭和44年)<言論出版妨害事件>
 2.続・創価学会を斬る=1971年(昭和46年)
 3.新・創価学会を斬る=1972年(昭和47年)
 4.創価学会に未来はあるか=1979年(昭和54年)共著・内藤国夫
   --「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相
 5.創価学会・公明党をブッた斬る=1985年(昭和60年)
   --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか
 6.創価学会池田大作をブッタ斬る=1988年(昭和63年)…初回から約20年
   --1998年(平成10年)小渕(自民)内閣に創価=公明党参加→自公一体政治
   --1999年(平成11年)藤原弘達 没
   --2009年(平成21年)創価・公明党総選挙大敗、民主政権へ(~3.5年)
   --2012年(平成24年)自公一体政権復活(~現在≒2020)
 7.藤原弘達『創価学会を斬る』41年目の検証=2012年(平成24年)

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創価学会を斬る-65

2019-12-28 06:45:26 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 <この日本をどうする-2>
創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部
    --言論出版妨害事件-- 昭和44年(1969年)
    ------(P.297)---(以下、本文)-------

創価学会・公明党は民主主義の敵である
 では公明党はどうすればよいか。私は現実を敢えて無視するなら、公明党を解散して、むしろ民社党に合一し、第三勢力としての性格を明確にするのも一案だと考える。
 公明党が創価学会・日蓮正宗との関係をはっきりと断ち切り、完全な世俗勢力として性格を明確にし、中間政党、第三勢力の政党としての立場をとるならば、自民、社会、共産三党をのぞいた独自の立場をつくるために民社党と合体するのが望ましい。

 というのは公明党から日蓮正宗・創価学会的な宗教色をとるなら、公明党の政策は、民社党のかかげている諸政策と--「安保問題」にせよ「沖縛問題」にせよ--ほとんど違いがないからである。
 しかし、現実には民社党と公明党が一体化する可能性はない。ただ公明党が解散をし、そのもつところの大衆的なエネルギー、組織力をもって、「風呂の中で屁をひっている」という言葉に表現される民社党のバイタリティのなさ、パンチのきかなさというものをカバーするなら、日本に一種の第三勢力、中間政党として存在意義をもつ政治勢力が政党政治の中で機能することになる可能性もあるだろうということなのである。

 しかし、現在の段階では、民社党と公明党はその政策はほとんど同じでありながら、感情的反発はまことにはなはだしい。現実には民社党と競合して民社を抜き、社会党と競合して社会党に追いつき、ないしはその中間過程において自民党との連立をはかり、自民党との連立を通じてその実質的な権力体制とでもいえるものを強化し、そうすることを通じて政権をねらおうとしているところに創価学会・公明党の大きな野望があるといわなければならない。

 私は池田創価学会会長が出てくるときは、まさに公明党が自民党との連立体制の一角を占め、総理大臣への展望をもった何らかの大臣になれるというときに公明党委員長として乗り込んでくるのではないかという判断すらしている。衆議院に進出することはないと繰り返しいっておきながら衆議院に進出している前例からみるなら、創価学会会長・池田大作の、政党の委員長になるということはない、創価学会会長としてあくまでやる、といった発言は、あまりあてにならない。政権を担当しても日蓮正宗を国教にすることはないと述べているが、それもあてにならない。それほど状況即応的でオポチュ二スティックな行動をする集団なのである。

 日蓮のすばらしさ、彼等が御本尊として崇拝する日蓮のすばらしさは、鎌倉幕府という権力に対する抵抗にあった。しかし、現在の創価学会・公明党の姿勢に、権力に対する抵抗の姿勢が本当にあるだろうか。また権力に対する真に鋭い批判を展開しているといえるであろうか。
 さらには権力に対する批判を通じて国民大衆を本当にたくましくする方向にむかっているだろうか。私にはそうとは思えない。むしろ一部野心家たちの御本尊利用であり、学会組織利用であり、大衆利用であるにすぎないと考える。それ故に創価学会が危険であり、公明党が危険である、と断言するのである。
 日本の未来のために、この政党の存在に対して国民は厳しい批判をそそぎ、政党政治を正しいルールにのせるために、まず公明党の解散を要求すべきだと主張する。
                      (本文中敬称略)
       --------------------
◆ あとがき
 やっと私はこの本の校正を終えた。
 ほっとしているところである。ともかく、活字にする段階にまでこぎつげた。果たして、どれだけこの本が国民多くの人々に読んでもらえるか、また読んでもらえるような条件をつくりうるか、多くの疑問なしとしない。しかし、私はこの本をつくることによって、なにか若々しい、新らしい勇気が、モリモリわいてきている自分を感じている。

 大西郷御遺訓に、「正道を踏んで名もいらなければ、命もいらぬ人間ほど始末におえないものはない」という言葉がある。主観的な正道ではしかたないが、私は少なくともこの本をだすにあたって、創価学会・公明党のとった態度は、まこと不正義であると考えるものの一人である。私は自からの心を顧み、創価学会・公明党に対する私怨などはサラサラない。むしろこの十年来、私が加えてきたところの批判というものを創価学会・公明党がほとんど吸収していないということを悲しむものの一人なのである。

 しかし、この“創価学会を斬る”は多くの苦難を乗り越えていまや世にでようとしている。
 まさに感慨無量である。この本がより多くの人に読まれ、なんらかのこれに対する批判が次々と現われてくることを強く望んでやまない。
 ともかく頑張らなくてはならない。
   一九六九年十月
                                  著者しるす
       ---------------おわり

次回から、 藤原弘達の“創価学会を斬る”(予言=自公一体政権)シリーズ
 2.続・創価学会を斬る=1971年(昭和46年)を掲載します。

<参考>
 藤原弘達の“創価学会を斬る”(予言=自公一体政権)シリーズ
 1.創価学会を斬る<この日本をどうする-2>=1969年(昭和44年)<言論出版妨害事件>
 2.続・創価学会を斬る=1971年(昭和46年)
 3.新・創価学会を斬る=1972年(昭和47年)
 4.創価学会に未来はあるか=1979年(昭和54年)共著・内藤国夫
   --「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相
 5.創価学会・公明党をブッた斬る=1985年(昭和60年)
   --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか
 6.創価学会池田大作をブッタ斬る=1988年(昭和63年)…初回から約20年
体政治
   --1999年(平成11年)藤原弘達 没
   --2009年(平成21年)創価・公明党総選挙大敗、民主政権へ(~3.5年)
   --2012年(平成24年)自公一体政権復活(~現在≒2020)
 7.藤原弘達『創価学会を斬る』41年目の検証=2012年(平成24年)
   

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創価学会を斬る-64

2019-12-27 05:23:55 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 <この日本をどうする-2>
創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部
    --言論出版妨害事件-- 昭和44年(1969年)
    ------(P.292)---(以下、本文)-------

◆ 創価学会・公明党の存在理由をどこに求めるか-2
 第二の問題点は、保守、革新ともに共通する傾向であるけれども、従来の堕性に非常に弱く、政党内部からこれを改革してゆくという若々しい力がはなはだしく欠けているということにある。日本の社会構造は、社会大衆化傾向、技術革新の推進、さらには国際経済との連繋の進展等々、これらの条件によってますます複雑なものとなり、多元化しようとしていることは周知の通りである。そういう社会の変動条件に対応するには、政府と社会、政治と国民生活との遊離があまりにもはなはだしく、それが国会不信や議会制民主主義そのものに対する不信にまで発展する背景になっているといわなければならない。
 しかも日本では、明治維新以来官僚政治の伝統はまことに強く、その非常に高度に組織化された巨大実力集団である官僚による政治の比重が、政党政治の役割をいわば代行してきている。そのために本来、政党がやらなければならない機能がはなはだしいビッコになり、矮小化し、国民大衆に対して政党が評価されるチャンスや場というものがはなはだ失なわれているという事情も無視できないところである。

 政治が国民のナマの声を組織化し、これを整理し、国会に反映させ、それによって官僚政治をコントロールし、官僚を通じて国民の意向、不満というものを処理していくだけのイニシアティブを与党・自民党といえどももっていない。そこに多くの問題が伏在しているといえるだろう。こういう諸点は従来もしばしば指摘されてきた日本の政党政治の病理であり、日本の政党政治がなかなか地につかない原因であるといわなけれぱならない。
 かかる政党の不毛性が、戦前においては軍部ファシズムをよぶ一つの原因となり、そのうえ実際以上に政党の腐敗が攻撃され、そうすることを通じて議会と国民が遊離し、議会制民主政治、政党政治がダメになっていった。いまやいろんな条件は戦前とはちがいながらも、戦前の苦き経験をくり返す可能性が日本の政党政治の中に現われつつあるといわなければならない。こうした状況のもとでも、われわれは議会制民主主義を擁護しなければならないと考えているわけであり、日本の議会政治や政党政治がいかに非能率であり、問題があろうとも、ほかのやり方によってうまくいく可能性はないということを古今東西の政治史の教訓の中からもっているわけである。そうした立場にたって、日本の政党政治の現実に対決し、どうすれば日本の政治がよくなり、政党政治が軌道にのるかという問題にこたえていかなければならないと考えている。

 そうした観点から創価学会・公明党という世界に類例をみないところの宗教勢力、漠とした政党も直視しなければならないのである。
 政党政治がうまくいっていない、既成政党はダメだ、ということだけから公明党に拍手をおくるという反射的な傾向は、決して公明党にもプラスにならない。公明党は果たして日本の政党政治を改革し、それを国民のものとするにふさわしい実力と機能と特色をもっているのかどうか、この点を厳しく問わなければなるまい。
 しかし残念ながら、いままで見てきたように創価学会と公明党の結びつきはまことに異常であり、非常な問題性をはらんでいる。一方において創価学会の会員であり、日蓮正宗の熱烈な信者であり、同時に公明党の党員ないしは支持者であるという三位一体的行動によって社会大衆を一つの方向に組織しているという点に一つの大きな問題がある。日蓮正宗にしばられ、創価学会にしばられ、公明党にしばられる、こういう三つのものにしばられ、いわば“自由からの逃避”によって宗教に救いを求めた人のみの声によっては、私はどのような段階においても日本国民全体の合意に到達することはありえないと思わざるをえない。
 創価学会を支持した層の多くが、社会の底辺にさまよい、ある意味において民主主義の「落ち穗」のような立場にあった人びとであり、そうした人の社会的復権、人間疎外の状況の克服は声を大にして主張するが、しかし、そういう自由からの逃避の中から、自由をつくる力が果たして生まれるかどうか、ここに多くの疑問をもつのである。

 これまで創価学会・公明党の実態をあきらかにし、分析した結果、日本の政党政治との関連において私がえた結論は次の通りである。
一、衆議院にあって政党政治を遂行していくという役割においては公明党はむしろ解散すべきである。
一、宗教組織そのままで行動する政治勢力であるならば、公明政治連盟にかえり、活動の場を参議院と地方議会に限定すべきである。
一、公明党がいまのような形態で衆議院において政権獲得を前提とする政党活動を遂行するのはあきらかに邪道である。
 このように断定せざるをえない。

 公明党内部においても要望があるように、池田大作創価学会会長が公明党委員長を兼ね、学会を解散して一個の政党勢力として日蓮正宗をふりかざし、国立戒壇の建立を目標として出るならば、私はそれはそれとして一つの意義があると思う。それは日蓮正宗、創価学会、公明党の三者の使い分けによってその勢力を伸ばしているような現状のものとは非常に違うはっきりとしたものとなるからである。
 しかし、そうなれば恐るべき勢力として伸びる可能性を同時に失なうのではないかとも考えられる。だがそれはそれなりに小勢力としての意義はあるのだ。現状のままで衆議院に進出し、政党勢力として政権をとる、という方向に対しては強い警告を発せざるをえない。

 創価学会・公明党が目下ねらっているものは、自民党との連立政権ではないのか。公明党は宗教勢力としての基本的性格からいっても、反共であることは否定できない。日本共産党は理論的停滞にもかかわらずいくらかは議席がのび、党員を拡大し、「アカハタ」も売れているという事情にあるけれども、公明党に比べた場合、とくに議会に代表を送る力からみると公明党の方が共産党を上まわっていることは否定できない事実である。だが、この公明党が現在党勢の拡大によって何をねらつているかといえば、いうならば自民党との連立体制であるとみなさなければなるまい。
 もし自由民主党が過半数の議席を失なうというようなことになった場合、公明党に手をさしのべてこれとの連立によって圧倒的多数の政権を構成するならば、そのときは、日本の保守独裁体制が明らかにファシズムへのワンステップを踏み出すときではないかと思う。

 公明党が社会党と連立政権を組むとか、野党連合の中に入るというようなことは、まずありえないと私は考える。その意味において、自民党と連立政権を組んだとき、ちょうどナチス・ヒトラ一が出た時の形と非常によく似て、自民党という政党の中にある右翼ファシズム的要素、公明党の中における宗教的ファナティックな要素、この両者の間に奇妙な癒着関係ができ、保守独裁体制を安定化する機能を果たしながら、同時にこれを強力にファッショ的傾向にもっていく起爆剤的役割として働らく可能性も非常に多くもっている。そうなったときには日本の議会政治、民主政治もまさにアウトになる。そうなってからでは遅い、ということを私は現在の段階において敢えていう。
(赤文字・ブログ主)
 それがこれだけ厳しく創価学会・公明党を斬らざるをえない問題意識なのである。
     ----------(つづく)---------297

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