○池田大作・創価学会の真実……原島嵩…2002/7─日新報道・1429\…購入
誰も書かなかった池田大作……創価学会の真実
曰本に君臨する男・池田大作の正体
宗教界を冒浣する教団・組織の実態
会則変更で学会員を「池田教」へ洗脳
────────────────改頁──────27
2 創価学会と公明党は政教一致でこそ存在する
山村…当時、小沢と市川は選挙の大勝利で気をよくして、将来の政界再編に向かって
突っ走るわけですが、実は小沢は党内の軋櫟を抱えており、また、市川は政教分
離という、頭の痛い問題を抱えていたわけです。とくに、公明党にとっては政教
分離問題は、アキレス腱ですからね。
原島…そうです。公明党は結党以来、政教分離問題で揺れてきました。しかし、一党
独裁を政治の最終スケジュールにしている創価学会ィコール公明党は、自ら、政
界に空白地帯を作り出して、徐々に権力中枢を侵蝕し「政教一致」を合法化。政
界に池田独裁体制を仕上げることが同党の野望なんです。勿論、後ろで糸を引い
ているのは池田ですがね……。
山村…おっしゃる通り、創価学会の最終の目的は「政教一致」ですね。しかし、現行
憲法では特定の宗教団体が政治権力を利用して布教することを禁じています。そ
れが、政教分離の原則です。と、同時に憲法でも国民の権利として信教の自由を
認めています。それが、二十条ですよ。
「(信教の自由)
① 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から
特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。」
原島…憲法の原則は、確かにそうです。しかし、池田の頭に政教分離なんてありませ
ん。かって、池田が師と仰いだ戸田会長は『我らが政治に関心をもつ所以は、三
大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。即ち、国立戒壇の建立だけが目的な
のである』と、弟子達に遺言しました。
これには少し説明を要します。
戸田会長の主張は、理念としては政教一致ですが、日蓮大聖人の教えに基いた
宗教者の側からの主張でした。
この「国立戒壇」というのは、東大寺の戒壇、伝教大師最澄が死後、勅許を得
た戒壇がベースにあると思います。
奈良時代には、僧侶が、ちょうど今の医師のように、国の許可なしには正式な
僧侶(官侶)になれませんでした。その僧侶の登竜門が戒壇における受戒だった
のです。最澄は、初めは東大寺の戒壇で受戒僧のワクを貰っていたんですが、人
数の制限もあり、せっかく比叡山で育てた僧侶が法相宗にクラ替えすることもあ
って、それなら比叡山に自前の戒壇を建てようと、大乗教・法華経という教法の
違いもあって、朝廷に戒壇建立の許可を願い出たのです。
日蓮大聖人仰せの戒壇は、本門戒壇の大御本尊安置の霊場ということで、僧侶
の国家試験場という意味はありません。いわば、天下の戒壇よりもスケールが大
きくなつて意義も重要化したものと言うことができます。
池田の時代になつて衆議院にも議席を得るようになると、この国立戒壇が憲法
違反ではないかという議論が出て来ました。
そこで池田は、宗門に、当時建設中だった正本堂がその戒壇の意義を持つこと
や、国立戒壇の名称を使わないことを宣言してもらう一方、公明党を、国立戒壇
建立を目的とする党から、国の平和と国民の生活を守る、近代政党に衣替えさせ
たのです。
そうして池田は政教一致の批判をかわしましたが、公明党を本当に近代政党に
生まれ替らせたのではなく、票集めのために近代政党の衣を着せたに過ぎません。
実質的には池田は、宗教を票集め、金集めに利用し、公明党を使って権力を奪う
ことしか考えていません。
これは政教一致ですが、池田はそれが悪いとは全く思っておりません。
しかし、私どもの考える王仏冥合は一見、政教一致のようですが、政治は船の如
く仏法は大海の如きもので、政治は政治、宗教は宗教でありながら根本的なとこ
ろでは合一しているという「王仏冥合」の精神なのであって、池田の「王仏冥合」
とは全く違います。ところが池田は「創価学会は宗教団体であり、公明党は政治
団体である。ともに日蓮大聖哲の教えを奉じ、王仏冥合を目指す私どもの同体異
名の団体であります」と、池田会長全集の中で発言しています。
山村さん、この一言でもお分かりになると思いますが、池田は学会を使って公
明党を動かし政治権力を掌中にしょうとしていることが明明白白でしょう。
────────────────改頁──────31--つづく──
誰も書かなかった池田大作……創価学会の真実
曰本に君臨する男・池田大作の正体
宗教界を冒浣する教団・組織の実態
会則変更で学会員を「池田教」へ洗脳
────────────────改頁──────27
2 創価学会と公明党は政教一致でこそ存在する
山村…当時、小沢と市川は選挙の大勝利で気をよくして、将来の政界再編に向かって
突っ走るわけですが、実は小沢は党内の軋櫟を抱えており、また、市川は政教分
離という、頭の痛い問題を抱えていたわけです。とくに、公明党にとっては政教
分離問題は、アキレス腱ですからね。
原島…そうです。公明党は結党以来、政教分離問題で揺れてきました。しかし、一党
独裁を政治の最終スケジュールにしている創価学会ィコール公明党は、自ら、政
界に空白地帯を作り出して、徐々に権力中枢を侵蝕し「政教一致」を合法化。政
界に池田独裁体制を仕上げることが同党の野望なんです。勿論、後ろで糸を引い
ているのは池田ですがね……。
山村…おっしゃる通り、創価学会の最終の目的は「政教一致」ですね。しかし、現行
憲法では特定の宗教団体が政治権力を利用して布教することを禁じています。そ
れが、政教分離の原則です。と、同時に憲法でも国民の権利として信教の自由を
認めています。それが、二十条ですよ。
「(信教の自由)
① 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から
特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。」
原島…憲法の原則は、確かにそうです。しかし、池田の頭に政教分離なんてありませ
ん。かって、池田が師と仰いだ戸田会長は『我らが政治に関心をもつ所以は、三
大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。即ち、国立戒壇の建立だけが目的な
のである』と、弟子達に遺言しました。
これには少し説明を要します。
戸田会長の主張は、理念としては政教一致ですが、日蓮大聖人の教えに基いた
宗教者の側からの主張でした。
この「国立戒壇」というのは、東大寺の戒壇、伝教大師最澄が死後、勅許を得
た戒壇がベースにあると思います。
奈良時代には、僧侶が、ちょうど今の医師のように、国の許可なしには正式な
僧侶(官侶)になれませんでした。その僧侶の登竜門が戒壇における受戒だった
のです。最澄は、初めは東大寺の戒壇で受戒僧のワクを貰っていたんですが、人
数の制限もあり、せっかく比叡山で育てた僧侶が法相宗にクラ替えすることもあ
って、それなら比叡山に自前の戒壇を建てようと、大乗教・法華経という教法の
違いもあって、朝廷に戒壇建立の許可を願い出たのです。
日蓮大聖人仰せの戒壇は、本門戒壇の大御本尊安置の霊場ということで、僧侶
の国家試験場という意味はありません。いわば、天下の戒壇よりもスケールが大
きくなつて意義も重要化したものと言うことができます。
池田の時代になつて衆議院にも議席を得るようになると、この国立戒壇が憲法
違反ではないかという議論が出て来ました。
そこで池田は、宗門に、当時建設中だった正本堂がその戒壇の意義を持つこと
や、国立戒壇の名称を使わないことを宣言してもらう一方、公明党を、国立戒壇
建立を目的とする党から、国の平和と国民の生活を守る、近代政党に衣替えさせ
たのです。
そうして池田は政教一致の批判をかわしましたが、公明党を本当に近代政党に
生まれ替らせたのではなく、票集めのために近代政党の衣を着せたに過ぎません。
実質的には池田は、宗教を票集め、金集めに利用し、公明党を使って権力を奪う
ことしか考えていません。
これは政教一致ですが、池田はそれが悪いとは全く思っておりません。
しかし、私どもの考える王仏冥合は一見、政教一致のようですが、政治は船の如
く仏法は大海の如きもので、政治は政治、宗教は宗教でありながら根本的なとこ
ろでは合一しているという「王仏冥合」の精神なのであって、池田の「王仏冥合」
とは全く違います。ところが池田は「創価学会は宗教団体であり、公明党は政治
団体である。ともに日蓮大聖哲の教えを奉じ、王仏冥合を目指す私どもの同体異
名の団体であります」と、池田会長全集の中で発言しています。
山村さん、この一言でもお分かりになると思いますが、池田は学会を使って公
明党を動かし政治権力を掌中にしょうとしていることが明明白白でしょう。
────────────────改頁──────31--つづく──