創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価を斬る.41年目の検証-59

2019-08-31 08:07:59 | Weblog
  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
藤原弘達 創価学会を斬る 41年目の検証 
      言論出版の自由を守る会編  日新報道 2012(=平成24)年
    人権侵害・政権簒奪・歴史改竄
 創価学会・公明党による言論出版妨害事件を風化させてはならない
    ------(P.232)---(以下、本文)-------
 
◆ 田中角栄自民党幹事長に仲介を依頼
 度重なる出版中止の要求が不調に終った創価学会・公明党は、藤原弘達を押さえ込むためにはより強い政治力の発動が必要と判断。竹入義勝公明党委員長(当時)を通じて、田中角栄自民党幹事長(当時)に出版中止の仲介を依頼。田中は藤原弘達に電話を入れて出版の中止を要請するとともに、10月15日と23日の二度、赤坂の料亭「千代新」と「乃婦中川」で藤原弘達と会い、「創価学会を斬る」の出版を取り止めるよう求めた。
 田中に出版中止の仲介を依頼した当事者である竹入は、平成10年8月に「朝日新聞」に連載した手記「秘話-55年体制のはざまで」において、その事実を次のように認めている。
 
 「創価学会批判の本が出るというので、私が田中さんに頼んで仲介に動いてもらった」(H10・8・26日付「朝日新聞」)
  このうち10月15日の「千代新」での会談の際には、隣室で池田と竹入が、藤原弘達と田中のやりとりに聞き耳を立てていたとの「産径新聞1の報直がある。また平成20年に創価学会から造反した矢野絢也元公明党委員長は、自著「私が愛した池田大作『虚飾の王』との五〇年」において、言論出版妨害事件の経緯と顛末を詳述しているが、その中で10月23日の「乃婦中川」での藤原・田中会談に言及。当時、公明党の書記長だった自分も竹入に誘われて「乃婦中川」に赴き、隣室で会談の成り行きを見守っていたことを次のように明かしている。
 
 「竹入氏から「お前も来い」と声をかけられて、ノコノコついていった。1969年10月23日のことだ。
  場所は赤坂の『のぶ中川』という料亭。(中略)料亭に着いてみると、二階の部屋が三つ並びで押さえられていた。私と竹入氏は一番奥の部屋で待機することになった。真ん中が角栄氏の控え室。一番手前が弘達氏というわけだ。角栄氏が説得に成功すれば、その場で私らもそちらの部屋に移り、そのまま手打ち式になだれ込む、という段取りだった」
 この藤原・田中会談の内容とその後の顛末は、矢野の「私の愛した池田大作「虚飾の王」との50年」や、昭和60年10月に藤原弘達が日新報道から出版した「創価学会・公明党をブッた斬る」に詳述されている。当事者の記述だけに、その内容は迫真性に富んでおり、極めて興味深い。以下、その一部を紹介しよう。まずは矢野手記から。
 
 「ところがここに来ても弘達氏は頑強である。説得になかなか『うん』と言ってくれない。こちらの出した条件はこうだった。最初は強引に、『出版そのものを取りやめろ」と迫ったのだが、それでは弘達氏の受け入れる余地がない。そこで、『初版は出していい。出したうえで大半をこちらが買い取る。新たな増刷はしないと確約してほしい。その代わり、非常にうまみの大きい仕事をこちらから回す』
 と提案した。だが、弘達氏は頑として首を縦に振らない。
 とうとう角栄氏が我々の部屋へ来て泣きついてくる。例の威風堂々とした、押し出しのいい普段の姿とは打って変わって、いかにも困り果てた風情である。
 『おい。弘達、ダメなんだよ。固くてダメだ。全然聞き入れようとしないよ』
 しかしこちらとしても、ハイそうですかと引っ込むわけにはいかない。
 『そんなこと言わないで。なんとか頼む。もう一押し、二押ししてみてくれ』
  竹入氏がそう言って、仕方なく角栄氏は再び弘達氏の部屋へ。しかしまたも拒絶されてしまう。
 『おい、やっぱりダメだぁ』
 『こっちこそダメだ。なんとかしてくれ』
 今にして思えば、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの天下の自民党幹事長を、なんともひどい役どころでコキ使ったものである。これもまた学会や池田先生を守るためという、我々の執念の発露なのだ」(「私の愛した池田大作『虚飾の王』との50年」)
 
 同様に、藤原弘達も「千代新」「乃婦中川」での田中との会談の様子を次のように書いている。
 「当時の自民党幹事長・田中角栄が、私に会いたいというので、赤坂の料亭『千代新』へでかけたのは10月15日のことである。この時、私が『この問題について総理(注・佐藤栄作)は知っているのか』とただしたところ、田中幹事長は『総理には、いっていない。自分は竹入らとの平素のつきあいから頼まれたものだ』と言明した。
 田中角栄の、私の本の出版を初版だけにして、その殆どを買い取る。斡旋4案は、要するに、本をヤミからヤミへ葬ろうというもので、もちろん、私は一蹴した。再度、10月23日夜、同じ赤坂の「乃婦中川」で会った時、私は田中角栄にいった。「角さん、こんなことやっていたら、あんたは絶対に総理大臣になれませんぞ』--今でも覚えている。あの田中角栄が顔面蒼白になったものだ。
 これで談判決裂になったのだが、私としては、田中角栄がこの問題に介入したことは最後まで伏せておくつもりだった。(中略)
 
 しかし、その後も妨害やイヤガラセは続出した。あまつさえ、12月13日、NHK二党間討論(共産党--公明党)において、公明党・正木良明議員が「そんなこと(出版に対する圧力、妨害)はしていない。全くのウソである」と全面否定した。ここに至っては、もはや、何おかいわんやである。黙っていては、私が言論人として自殺行為に等しいウソをついたことになる。
 12月15日、『赤旗」記者の取材を受けた時、私はいった。
 『よし、こうなれば名前を公表しよう。それは自民党の田中幹事長だよ…:NHKテレビ討論会という公の場で、公明党代表が出版妨害などしていない、全部ウソだといったのだから、私も黙ってはいられない』
 言論・出版妨害に田中角栄が介入した事実は、こうして私の口から明らかにしたのである」(「創価学会・公明党をブッた斬る」)
     ----------(つづく)---------235
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創価を斬る.41年目の検証-58

2019-08-30 10:23:30 | Weblog
 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
藤原弘達 創価学会を斬る 41年目の検証 
      言論出版の自由を守る会編  日新報道 2012(=平成24)年
    人権侵害・政権簒奪・歴史改竄
 創価学会・公明党による言論出版妨害事件を風化させてはならない
(1) 言論出版妨害事件の経緯
 発端は池田大作会長の指示
    ------(P.230)---(以下、本文)-------
2-2
 著者の藤原弘達に最初に接触した創価学会・公明党関係者は、創価学会の渉外局長などを歴任した藤原行正東京都議会議員(当時)だった。藤原行正は、昭和63年に創価学会・公明党から造反し、平成元年に「池田大作の素顔」と題する手記を講談社から出版。そこで自らが「創価学会を斬る」の出版妨害に関わった経緯を詳細に書いている。同手記によれば、言論出版妨害は次のような池田の指示で始まったという。
 
 「44年8月末、朝早く北条さん(注=当時・創価学会総務・公明党副委員長・参議院議員・後に四代会長)から自宅へ電話をもらい、私は学会本部で池田から一つの仕事を命じられた。
 『池田先生があんたに話がある。本部に顔を出してくれ」
 その時、本部の応接間には北条、秋谷(注=創価学会総務、後に5代会長)の両人が同席していた。
 『政治評論家の藤原弘達が学会批判の本を出そうとしている。選挙前(注=同年12月に7日投票で実施された第32回衆議院総選挙)にこんな本が出るのは邪魔だ』
 『藤原君は彼と面識があっただろう。すぐに相手と話をつけて、余計な雑音を押さえろ』
 池田はいつもこの調子だった。要するに同じ時期、出版予告の出ていた学会批判書『創価学会を斬る』の筆者・出版元に談判して出版を中止させろというのが池田の指示であった」(『池田大作の指示を受けた藤原行正は、著者の藤原弘達に連絡をとり、8月31に藤原弘達の自宅を訪ねて次のような申し入れを行った。
 
 「この初回訪問の際、私は弘達氏への五つの依頼項目を用意していた。その内容はまず近く選挙もあるのでできれば本の出版そのものを取り止めてもらいたい。それが無理なら『創価学会を斬る』という刺激的な題目を変更してもらいたい。3番目の依頼事項として出版時期を延期してほしい。それも駄目なら4番目、事前に原稿を見せてほしい。
 そして最後、最も重要な依頼項目としては池田会長(当時)について本文中で言及するのを遠慮してもらいたいというものであった。
 これは私の独創というより、当時の創価学会が外部からの批判封じの一策として、対外的な交渉の場でよく使った一つのバターンなのである」(同)
 しかし、藤原弘達は創価学会の要求を拒絶。藤原弘達に拒絶された藤原行正は、9月4日には出版元である日新報道に接触して出版の中止を要求したが、日新報道側もこれを拒絶したため交渉は不調に終わった。
 
 「池田大作の素顔」によれば、藤原行正は、藤原弘達への出版中止の無理強いはかえってマイナスだと池田に進言したようだが、池田は聞き入れず、「いや、藤原君の判断なんかどうでもいい。もう一回行ってこい」「もっと強引に頼みこめ。きみのやり方は手ぬるいんじゃないか。向こうからやられてもいい覚悟で徹底的にやってこい」(同)と再度の交渉を指示。やむなく藤原行正は、再び藤原弘達に面談を申し入れ、9月14日に藤原弘達と二度目の交渉を行った。
 藤原弘達との二度目の交渉の席には、池田の指示で後に創価学会の5代会長となった秋谷栄之助が同行した。藤原行正と秋谷は1時間45分にわたって藤原弘達と面談し、出版の中止を要求したが、前回同様、藤原弘達により拒絶された。
 しかも、この会談の模様は藤原弘達によって録音されており、創価学会・公明党の言論出版妨害の動かぬ証拠として公表されることとなってしまった。
     ----------(つづく)---------232
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創価を斬る.41年目の検証-57

2019-08-29 08:12:04 | Weblog
  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
藤原弘達 創価学会を斬る 41年目の検証 
      言論出版の自由を守る会編  日新報道 2012(=平成24)年
    人権侵害・政権簒奪・歴史改竄
 創価学会・公明党による言論出版妨害事件を風化させてはならない
    ------(P.225)---(以下、本文)-------
 
【第3章】言論出版妨害事件
       =歴史の改竄を図る池田大作・創価学会
1.言論出版妨害事件とは
 平成22年に中央公論新社から発刊された「池田大作名言100選」には、池田大作創価学会名誉会長のこんな歴史認識が示されている。
 「歴史を学ぶことは、自らの生き方を探求することである。そして、歴史を学ぶことによって、人間は自らを高め、外なる権力や内なる感情などに左右されることのない、聡明な自分自身を築きゆく未来への一歩を踏み出すことができるのだ」
 
 歴史を学ぶことが人格の陶冶につながると主張する池田。歴史に学べという以上、歴史に対する姿勢は真摯なものでなければならないはずだが、池田ならびに創価学会の歴史に対する姿勢は、真摯どころか歴史を冒涜する不誠実極まりないものとなっている。というのも、池田ならびに創価学会は、自らにとって不都合な歴史的事実の改竄や隠蔽、虚偽事実の捏造を恒常的に行っているからだ。
 
◆ 憲法違反と歴史の書き換え
 そうした改竄や隠蔽、そして捏造に晒されている歴史的事実の一つに、昭和44年から45年にかけて一大社会問題、政治問題と化した言論出版妨害事件(創価学会では出版妨害の事実を隠蔽するため、単に「言論問題」という)がある。言論出版妨害事件とは、池田の指示の下、創価学会・公明党が一体となって、創価学会や池田に批判的な言論を押さえ込むために熾烈な妨害工作を行ったもので、憲法が保障する「表現の自由(言論・出版の自由)」(21条)を踏みにじる卑劣な人権侵害事件だった。
 創価学会の独善的で排他的な体質、人権を無視するイリーガルな創価学会の全体主義的体質を象徴する事件として、言論出版妨害事件は日本人の創価学会認識に大きな影響を与え、創価学会に対する日本人の嫌悪感や拒否感を飛躍的に高める結果となった。
 公益法人それも憲法で「信教の自由」(第20条)を保障された宗教法人が、憲法が保障する「表現の自由」を侵害することなど許されるものではない。この一事をもってしても、創価学会は公益法人・宗教法人としての適格性を欠いているといえよう。それだけに創価学会は、事件を歴史から抹消し闇に葬りたいと思っている。言論出版妨害事件を単に「言論問題」と呼称しているのは、その証左に他ならない。
 
 しかし、歴史的事実として定立している事件を歴史から抹消することは不可能。そこで創価学会が考えたのは歴史を書き換えることだった。もっとも、歴史を書き換えるとはいっても、厳しい社会的批判を浴び、国会でも取り上げられた言論出版妨害の事実を手前勝手に改竄すれば、再び、マスコミや政界からの非難を浴びかねない。それだけに池田ならびに創価学会は慎重に時機を待ち、平成11年に公明党が自民党と連立して政権与党に入り、もはや政界もマスコミ界も創価学会の軍門に下ったと判断した平成13年になって、言論出版妨害事件の事実改竄に着手。機関紙誌やマスコミインタビューで、本来、池田ならびに創価学会は、言論出版妨害という卑劣な人権侵害の加害者であったにもかかわらず、あたかも創価学会は卑劣な言論の被害者であったかのように強調。また言論出版妨害事件は、池田を貶めるとともに、創価学会,公明党の勢力伸張を阻むための政治的謀略だったなどと主張している。
 
 以下に池田ならびに創価学会がどのような歴史の改竄を行っているかを検証するが、その前にすでに事件から40年もの歳月が流れ、事件の記憶が薄れていることに加え、言論出版妨害事件そのものを知らない世代も増えていることから、まずは読者の便宜のために言論出版妨害事件とはいかなる事件だったかを振り返っておこう。
 
(1) 言論出版妨害事件の経緯
 発端は池田大作会長の指示
2-1
 昭和44年11月10日付で、日新報道から明治大学教授で政治評論家の藤原弘達が執筆した「この日本をどうする・創価学会を斬る」が出版された。同書は、舌鋒鋭い社会時評で人気を博す売れっ子評論家であるとともに気鋭の政治学者であった藤原弘達が、創価学会の実体や体質を厳しい筆致で検証したもので、平成11年に成立した自・公連立政権を遡ること実に30年も前に、当時、政権与党として政界に君臨していた自民党と、昭和42年に衆議院に進出したばかりの公明党の連立を予見するとともに、自・公連立による政治のファシズム化に警鐘を鳴らす警世の書だった。
 これに対して創価学会・公明党は、「創価学会を斬る」の出版が車内吊り広告で予告された八月末から、池田大作会長(当時)の指示のもと、「創価学会を斬る」の出版妨害に着手。組織あげての執拗な妨害工作を、著者・出版社にとどまらず、書籍取次会社や書店、さらには広告代理店に至る広範な流通・販売ルートにおいて展開した。
 「創価学会を斬る」の「まえがき」には、同書の出版以前から始まった創価学会・公明党による出版妨害の事実が、次のように記載されている。
 
 「十月始めのある朝早く、まだべッドにいた私は突然の電話に起こされた。
 電話口にでてみると、政府与党の最要職にある有名な政治家からの電話であった。これまで私は、マスコミでは何度も会って話していたが、その政治家と電話でヂカに話したことは一度もなかった。なぜ、そんな電話をかけてきたのか、といって聞いてみると、私がここに出版しようとする『「この日本をどうする」第二巻“創価学会を斬る”という本を出さないようにしてくれ、という公明党竹入委員長からの強い要請・依頼をうけての早朝電話である』ということであった。
 要するにその趣旨は、『ひとつなんとか執筆を思いとどまってもらえないものであろうか』ということである。
 
 もうすでに、それまで、公明党の都議会議員やまた多くの創価学会会員は、予告広告したにすぎない『創価学会を斬る』というこの第二卷を出させまいとする圧力を、さまざまな形で私や出版社にかけてきた。『題名をかえろ』とか、『出版時期が総選挙の前なのでまずいからこれをずらせ』とか、また『出版に要する経費は当方で負担する』とか、さらには『みせかけだけの出版をして、残りは当方が全部買いとるから書店に並べないようにしてほしい』とか、実にさまざまな勧誘や圧力がかかってきていたのである。
 この本は、そういう苦難の中から生まれてきたものである。まさに『難産の子』であるといわなければならない」
     ----------(つづく)---------230
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創価を斬る.41年目の検証-56

2019-08-28 08:41:34 | Weblog
  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
藤原弘達 創価学会を斬る 41年目の検証 
      言論出版の自由を守る会編  日新報道 2012(=平成24)年
    人権侵害・政権簒奪・歴史改竄
 創価学会・公明党による言論出版妨害事件を風化させてはならない
    ------(P.222)---(以下、本文)-------
 
◆ 仏教用語を恣意的に解釈
 だが、池田氏はこうした点には委細かまわず、我田引水的・恣意的に仏教用語を曲解し、自己の言動を正当化する根拠と位置づけている。
 そうした御都合主義的な用語解釈の最たるものに「仏法とは仏と魔との戦い」との言葉がある。
 これは創価学会を「仏意仏勅」の正当な仏教教団、すなわち「仏の勢力」と位置づける一方で、創価学会に仇なすものを「魔=仏敵」と位置づけ、「仏法」は絶えざる「仏の勢力と魔の勢力」の戦いであるとして、創価学会による批判者攻撃。対立者攻撃を正当化する考え方である。
 
 衆議院選挙の過程で、池田氏は「聖教新聞」紙上に随時、「随筆 新・人間革命」を掲載したが、その中でこの「仏と魔との戦い」という言葉を多用した。もとよりここでの使用目的は、「仏の勢力」である創価学会が推す公明党候補の当選を阻害する「魔」を断固としてうち破れという意味である。
 「仏法は仏と魔の闘争 善が勝つか悪が勝つか--その熾烈な精神の闘争、邪悪との戦いが仏法だ」(平成15年10月22日付「聖教新聞」「随筆新・人間革命」)
 「『人生は仏と魔との戦いである』と、釈尊(釈迦)は示した。蓮祖(日蓮)は、「仏法は勝負である」と説かれた。負けぬために、正しき信仰がある。勝つために正義の信仰がある」(平成15年11月5日付「聖教新聞」「随筆新・人間革命」)
 「仏敵」である「魔」は「極悪」であり、「犬畜生」に劣る。当然、人権など顧みる必要などないということになる。こうした手前勝手な理屈が、創価学会の批判者・対立者への口汚い言論の温床になっているのである。
 
◆ 検事や学生に「復讐」を扇動
 さらに池田氏は創価学会の活動の基軸をなすのは、「復讐」であると、「復讐」教あるいは「怨念」教さながらの言説も繰り返している。例えば昭和51年8月22日、池田氏は神崎武法氏(元公明党代表)ら、「自然友の会」と呼ばれていた学会員検事のグループと面談した際、次のように発言している。
 「私が戦ったのは、戸田先生の復讐のためだけだ。革命とは復讐戦だよ。戸田先生は、牧ロ先生の復讐のために戦った。私の復讐は弟子たちがやるんだ」
 同様に平成8年11月3日に創価大学で開催された「創価同窓の集い」の席上、次のように話している。
 「師である私が迫害を受けている。仇を討て。言われたら言い返す。打ち返す。切り返す。叫ばなければ負けである。戸田先生も、牧ロ先生の仇をとると立ち上がった。私も戸田先生の仇を取るために立った。私の仇を討つのは、創価同窓の諸君だ」
 
 これに先立つ昭和41年9月号の「前進」(幹部用テキスト)にもこうある。
 「戸田先生や牧口先生の仇をうつために、(私は)会長になり、立ち上がったのである。あとなにもない。これが師弟の道です。これが同志の契りです」
 学会員の検事や創価大学のOB・OGに「復讐戦」「仇討ち」を命じる池田氏。こうした指導を受けている学会員検事が、仮に創価学会が新潮社や筆者など創価学会と対立する人物や団体を名誉毀損罪で刑事告訴し、その担当となった場合、公正・公平な態度が担保されるのだろうか。
 平成11年の自・自・公連立政権成立以来からすでに4年。この4年間に限っても冒頭で記載したように創価学会は、自らと対立する立場の人物や団体を口汚く罵り、激しい攻撃を加え続けているが、そのすさまじいばかりの「怨念」は、すべて「永遠の指導者」である池田大作氏が発生源なのである。
     ----------(つづく)---------224
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創価を斬る.41年目の検証-55

2019-08-27 07:46:33 | Weblog
  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
藤原弘達 創価学会を斬る 41年目の検証 
      言論出版の自由を守る会編  日新報道 2012(=平成24)年
    人権侵害・政権簒奪・歴史改竄
 創価学会・公明党による言論出版妨害事件を風化させてはならない
    ------(P.217)---(以下、本文)-------
 
③ 口汚い言論攻撃の温床--池田大作の教唆扇動が発生源
 言論出版妨害事件に象徴される創価学会の独善的で排他的な体質は、「聖教新聞」や「創価新報」などの機関紙誌で、自らに批判的な立場にある人物や団体、政党、出版社等を罵り続けることにも象徴的に現れている。
 平成15年時点におけるそれらの記事には、他者の人権や名誉に対する配慮などは微塵もなく、「愚劣者」「極悪べテン師」「へビ」「薄汚いドブネズミ」「人間の皮をかぶった畜生」「金の亡者」「酒乱・女狂い」「クズ野郎」「クズ雑誌」「デマ出版社」「ガセネタ屋」「異常人格」「前科者」「学歴詐称」「クソ坊主」「インチキ坊主」「デマ政党」「宗教弾圧議員」などの、およそ宗教者とは思えぬ口汚い言辞が並び、竹入義勝元公明党委員長や山崎正友元創価学会顧問弁護士をはじめとする造反した幹部や議員、阿部日顕日蓮正宗法主や日蓮正宗関係者、「週刊新潮」や筆者、そして共産党や民主党の一部議員などに対する悪罵が書き連ねられている。
 
◆ 「クズ」「ゲス」と関き直る
 その凄まじさ、執拗さ、そして口汚さについては、いまさら論じるまでもないが、一連の口汚い創価学会の言論を、「子供たちに読ませたくない日本語」として特集した「週刊文春」(平成15年10月2日号)には、「家庭に配布されている新聞に、これほど人間性を否定するような内容が掲載されているなんて」という女性教師の驚きの声が紹介されていた。また、いまや創価学会から「不倶戴天の敵」視され、連日、激しい攻撃に晒されている「週刊新潮」も、連載中の「新・創価学会を斬る」の第三回で「『ゴキブリ!』『犬畜生!』と仏敵四人組を罵倒する宗教者の正義」(平成15年11月20日号)と題して、創価学会の口汚い言論を取り上げたが、その中で日本のカルト研究の第一人者である浅見定雄東北学院大学名誉教授と、仏教学に造詣の深い山崎龍明武蔵野大学教授は次のように論評している。
 
 「宗教者は、信仰をやめた人に対しても引き続き救済を祈り続けるものです。脱会したからといって、その人物を罵ったり嫌がらせをしたり、或いは無理矢理に引き戻そうとするような行為は、全く考えられないことです。脱会者に対する嫌がらせなどを聞くたびに感じるのは、学会内部には、外部に知られては都合の悪いことでもあるのかという余計な心配です。何もないのならば、やめた人間が学会に関して何を言おうと平気なはずです。そもそもへビ、畜生、くそ坊主などという言葉は、宗教団体でなくても、使ってはいけないものです。まして宗教団体がこんな言葉を使ったら誰からも尊敬されるわけがありません。自らを宗教者として否定しているようなものです」(浅見名誉教授)
 「確かに、聖教新聞は凄いというか、面白いですねえ。とにかくボロクソです。こういうものを毎日読むと、相当精神に変調をきたすと思うのですが、いくら相手が自分とは相容れない価値観、信仰の人だとはいえ、ここまで言うかという思いですね。これに学会員たちが違和感を持っていないということへの違和感を私は感じます」(山崎教授)
 
 ごく当たり前の人権感覚を持っていれば、他者を悪し様に罵る創価学会の言論に違和感を覚えるのは当然のこと。だが、創価学会には浅見教授や山崎教授が述べたような正論は通用しない。
 通用しないどころか創価学会は、創価学会の口汚い言葉を「子供たちに読ませたくない日本語」だと批判した10月11日号「週刊文春」が発売(9月25日)されるや、9月27日付「聖教新聞」掲載のコラム「破邪顕正」に極めて挑戦的な一文を載せ、こう開き直っている有り様なのだ。
 「糞犬! 癡猿!」日顕のごとき極悪を「極悪」と斬り、山崎のごときゲスを『ゲス』と笑い、新潮.文春等の『子供たちに読ませたくない』クズ雑誌を『クズ』と叩いてこそ、日本の民主主義は守ることができる。
 言うべきことを言わない臆病な“お澄まし屋”は悪を増長させ、善を虐げる加担者だ。
 俗耳に入りやすい甘言で人々を誑かすウソ議員やデマ雑誌やエセ宗教。これらの魔物を打ち倒し、日本に精神復興の光をもたらすのが、正義を打ち込む創価の言論闘争だ」
 
 自らのみを「正義・善」とし、批判者を「魔物」呼ばわりして、これを「打ち倒す」ことを声高に叫ぶ創価学会の姿勢に、強い「違和感」を覚えるのは筆者だけではあるまい。
 周知のように創価学会は、フランスの国会報告において二度にわたって有害セクト(カルト)としてリストアップされているが、敵と味方を単純に色分けし、そこに正邪・善悪のレッテルを貼り、敵の殲滅を叫ぶステロタイプのアジテートは、多くの有害セクトに共通して見られる特徴でもある。
 
指導者の性格が投影される
 そうした有害セクトのうち宗教的セクトでは、絶対的な権威・権力をもつ教祖やグルなどが、構成員一般に対して強大な影響を及ぼしている。それらのセクトでは、教祖やグルの言葉こそが真理、絶対敵規範になり、教祖やグルのキャラクターがそのままセクトの体質・性格を決定づけていくことになる。
 創価学会にあっても「永遠の指導者」(「創価学会会則」)と崇められている池田氏の発言は、真理、絶対的規範とされる。その結果、各種の会合における池田氏の発言、指示、命令は、たとえそれが理不尽なものであっても、現実の活動として具現化されていくことになる。
 識者や一般が眉を顰める創価学会の口汚い言論が恒常的に繰り返される背景には、こうした池田発言の具現化という構造、換言するならば池田氏の教唆扇動が指摘できる。
 では、具体的に池田氏はどのような発言をし、学会員を教唆扇動しているのか。そのいくつかの例を紹介しょう。例えば、平成元年3月12日、池田氏は埼玉指導の席上、「仏法は勝負」という言葉を引用しつつ、「反逆者」を怒鳴りつけていけと次のように指示している。
 
 「「仏法は勝負」にどれほど深い意義があるのか、皆わかっていない。物事は正邪ではない。勝つか負けるかなんだ。全員が「勝つ」と強く決めていけ。勝つか負けるか。やられたらやりかえせ。世間などなんだ。私は恐れなど微塵もない。勇者は私だ。私だけ戦っている。強気、強気、強気、でいこう。どこまでもしぶとくいくんだ。(中略)なんでもいいから、言い返すんだ。こわがったり、ひるんだりしてはいけない。怒鳴っていけばいいんだ。(中略)反逆者には、この野郎、馬鹿野郎でいいんだ」
 ここには物事の是非善悪、理非曲直を判断しようとの姿勢は全くない。暴力的に相手を打ち倒すことが勝利であり、それが「仏法は勝負」の奥義だというのである。現在、創価学会は世界各国で「ガンジー・キング・イケダ」展を開催、池田氏を非暴力抵抗の思想を提唱したインド独立の父・ガンジーに並ぶ平和の偉人であると宣揚しているが、正邪など関係なく他者を「怒鳴」りつけろとアジテートする人物が、非暴力抵抗の系譜を踏襲した平和の偉人とは傍いたい。
 
 まして「仏法は勝負」と、仏教における「勝負」の概念を、数量や力の強弱などで判断する世俗の勝敗へと単純に置き換えることの乱暴さには開いた口がふさがらない。創価学会が宗祖と仰ぐ日蓮聖人は「四条金吾殿御返事」なる御書(遺文)の中で、「仏法と申すは道理なり、道理と申すは主に勝つものなり」と、そもそも「仏法」とは理非曲直を糾した道理に基づくものであり、道理というのは世俗的権力や世俗的価値を超克するものと判じている。「仏法」における「勝つ」という言葉の意義はこうしたものである。
 「正邪」を抜きにして相手を打倒することが「仏法は勝負」の奥義などとは、とうてい言えたものではない。
     ----------(つづく)---------220
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