創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

続・創価学会を斬る-7

2018-09-30 08:54:07 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・2/7>
続・創価学会を斬る  藤原 弘達  昭和46(1971)/12  日新報道

              ------(P.28)---(以下、本文)-------
◆ 悪質極まる歴史の書替え
 このように政界で公明党が自民党権力との癒着工作を強める陰で、創価学会は公明党以上の悪質なことをやり始めた。それは、創価学会の歴史を書替えるためにさまざまの文献の抹殺をはかったことである。私や内藤国夫の本を抹殺できないと知ると、今度は一八〇度転換して自己の歴史書き替えを始めたのである。矢野書記長が接触を認めた頃から、いっせいに本屋から『池田会長全集』『戸田城聖全集』や古い『折伏教典』などが姿を消していった。『池田会長全集』は第一巻と第三卷が出ただけで絶版となり、『戸田城聖全集』は新本屋はもとよりのこと古本屋からも姿を消していった。『折伏教典』も初期のものは次第に本屋の店頭から消えていったのである。
 このことについて佐伯真光は「言論出版の自由を妨害したとして世論の攻撃にさらされたとき、創価学会が最初に、しかもひそかに取った処置が、批判の証拠となるような文献をカバーアップする作業であったことは興味ぶかい。創価学会では文証という言葉をさかんに使い、その教義が動かしがたい経典の文句にもとづいているという点を強調するが、その創価学会自体が、文証をかくさねばならぬ立場に追いこまれたのである。
 『戸田城聖全集』を批判者の目からかくす必要が生じたのは、第一卷にある王仏冥合論が国立戒壇建立の意図ある証拠とされるのをおそれたからであろう。池田大作氏の初期の発言のなかにもあげあしを取られそうな言葉が多い。『池田会長全集』が未完結のまま絶版になったことの意味は大きい」と述べている。(「創価大学に学問の自由はあるか」『諸君』四六年一〇月号)
 創価学会はかって国立戒壇論を展開し「議会の議決によって戒壇を建て、本尊をまつろう、そうしたことが出来るように国会に進出し、多数の議席を獲得しよう」と呼び掛けた。ところがこの“政教一致”が批判されるや、四十七年に完成される予定の大石寺の正本堂にその戒壇を置く、しかしこれは国立の戒壇ではなく民衆立の戒壇であるというふうにいい方を変えていったのである。だが四十年に正本堂建立の資金集めをしたとき、辻学会副理事長は「会員の御供養はこれが最後です、づぎは国立戒壇でこれは国家予算ですから」と述べている。
                      ☆
 また池田会長は戸田城聖が病歿したときに、創価学会の目的である国立戎壇の建立を誓っているのである。(『聖教新聞』三三・四・四、日本共産党中央委員会出版局『創価学会教義と理念批判』一二ページによる)
 学会としては批判のホコ先を避けるために、こうした前後の言論の矛盾、つまりいい訳の成り立たない過去の文証を抹殺しようとしたわけである。いったいこうしたことが、いやしくも宗教を口にするものとして許されることであろうか。何よりも真理と教義を重んずる宗教者のとるベき態度であろうか。
 そうしたことは他の集団でも皆無ではないというかもしれない。例えば共産党でもしばしば歴史の書き替えを行なっている。一例をあげれば、「獄中十八年」の輝ける闘士といわれた徳田球一や志賀義雄の党内外で果たした役剖などについて、過去においては、絶讃されていたものが、今日ではわい小化されたり、非難されたり、抹殺されたりしているといった事例もある。これはおそらくイデオロギー的批判あるいは今日の路線を正当化するために行なわれたものであろう。こうしたことも理由はともあれ、共産党に対して批判されて然るベき間題点でである。
 しかし、その種の「書替え」や「歴史抹殺」が、かくも短時日で組織的に宗教団体自身によって行なわれているとしたらどうであろうか。それは状勢によって変転する政党が行なっている以上に大きな罪悪であるといわざるをえない。何故かなれば、それはその信仰を唯一絶対のものとしている多くの信者の純粋な気持を冒涜するものであり、信者をたぶらかすものにほかならないからである。外部に対するゴマ化し以上の罪を、何よりも七五五万世帯といわれる多数の学会員そのものに対して負わねぱならないからである。こうした卑劣なことがはたして宗教者として許されてよいのであろうか。それが信仰を口にするもののとるベき態度であろうか。
 そして学会は他方において、新しく“書替えられた本”を次から次へと出版し、過去の行動を隠蔽し、内外の人々をまんまとあざむこうとしている。その心情の卑劣、もって唾棄すべきものがある。
  -----(31P)----つづく--

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特別編.政教一致-①

2018-09-30 00:23:38 | Weblog

                   (尚、ブログの登載は、右上・原稿作成日順に登載されています)        
<創価学会・公明党の‥‥>

政教一致が日本を亡ぼす
  「
沖縄知事選と創価学会

  初めてこのブログで、音声入りの動画を作成しました。
  私のオリジナル?‥‥です。

  池田の脳障害から8年が経過しています。Xデーは近いと思います。
  先の総選挙で創価・公明の得票は700万票を切りました。
  先日、池田の“偉ぶり”専用写真誌・「聖教グラフ」が休刊(=廃刊?)となりました。
  又、池田大作著(勿論、代作)「新・人間革命」が完了となりました。
  今日は台風の沖縄知事選・年末の財務闘争、そして来年の「地方選挙」「参議院選挙」
  これから1~2年、歴史が大きく動く気配にワクワクしています。勿論、私の独断で~す。  

  参考になることコメント下されば幸いです。
  次回の参考とします。1/週を予定しています。

沖縄知事選と創価学会

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続・創価学会を斬る-6

2018-09-29 06:09:09 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・2/7>
続・創価学会を斬る  藤原 弘達  昭和46(1971)/12  日新報道

              ------(P.25)---(以下、本文)-------
◆ 変幻自在の“追従”態勢
 では、政治的な工作として公明党は何をしたか。まず社会、民社、共産三党にたたかれたことに対抗するため、権力を握っている自民党へのべッタリ媚態工作を始めたのだ。それはまず四十五年四月の京都府知事選挙に端的にあらわれた。この府知事選は、京都では“維新以来の政争”とまで評されたほどの血で血を洗うような激しい戦いであったが、ここでいわゆる“京都方式”なるものが生みだされた。
 この京都府知事選で、社共両党は現職知事の蜷川虎三の六選を期し共同推薦をした。これに対して自民党は、柴田護を立て、社共両党に対抗するために自民、公明、民社の“三党連合”をつくりあげたのである。これが“京都方式”なるものである。ところでこの三党を結びつけたものは何であったろうか。それは表向きは“反共”と“六選反対”ということであった。なるほど自民、民社両党は反共という点では完全に体質が合っている。
 だが公明党があえて自民党の柴田をつよく推し、これに全力投球した理由の第一は、“言論出版抑圧問題”で共産党に徹底的に批判、攻撃され、“共産党憎し”という怨念がつのりにつのっていたことがあげられる。
 第二には批判されガタガタになった公明党が、この危機を乗り切るため、自民党の権力のソデにかくれようとしたことがあげられる。そこにはいろいろお世話になり、迷惑もかけた自民党の田中角栄に恩返しをし、できれば恩を売る、という配慮があった。 また田中だけではない。佐藤内閣がこの言論出版妨害問題で、事態の本質にまでメスを入れず、結局は公明党をかばったことが、公明党の自民党接近に一役かったことは否めない事実であろう。自民党は自民党で、公明党が反共の尖兵になってくれればという思惑もあったであろうし、将来東京都知事選挙その他で、いろいろと取引きをする可能性もあるという計算がチャンとあったのだ。
 公明党は京都府知事選まで、その立場を幾変転させている。公明党は宗教政党であり、したがってその本質からしても唯物史観をとる共産党や社会党労農派とは対立せざるをえない。したがって、口では“政界浄化”だの“中立”だのと、キレイがっていた三十六年の段階で、自民党系の東竜太郎と社会党系の阪本勝が東京都知事選を戦ったとき、両派とも票欲しさに学会に猛烈に働きかけたのに対し公明党(当時は公明政治連盟)は結局は東支持を打ちだしている。
 この時のウラ取引きについては黒いウワサがたちこめたものだが、ともかく清潔が売りものの公明党が推した東派が、前代未閒の悪どい選挙違反をしたのである。公明党はその違反を追及しなかったし、東派の違反の責任もとらず、自民党とのビッタリした癒着ぶりを示したものだ。
                      ☆
 公明党は、それ以後も、当時都議であった竹入義勝を先頭にして、社会党とはげしく対立している。都議会で多くの法案が自民党と公明党との取引きや妥協で成立していることが、それを立証するものだといえよう。
 その公明党が東派の選挙違反にこりたのと学会員の中に反自民的なものもふくんでいるため、四十二年の都知事選では独自侯補を立てた。そして自民党との対決を口にするようにもなったのだ。それは、自民党と社会、民社、共産三党との間にあって、キャスティングボートを握り、そこに、公明党の生き方を見だそうとしたからにほかならない。ところが、このことはそれでなくても弱い野党勢力を分散させ、保守独裁を助ける傍役的役割を演ずるということになったのである。そして他方では野党第二党をめざし、自民党を叩くことが票を集める手段だということを発見し、革新的ボーズをいよいよとるようになった。四十四年の暮れの総選挙では、公明党は自民党との対決を打ちだし大いに革新をぶって歩いた。
 ところが言論出版妨害で公明党はまた振り出しに戻った。それは、何とか困った事態をウヤムヤに葬ってしまうためであり、そのためにいとも簡単に自民党に接近したのである。自民党も党利党略のために、積極的に公明党懐柔工作をした。そして竹入委員長は自民党への点数をあげるため、大いにハッスルし、“共産党をつぶす”と、足をふみならしてヤクザもどきの発言までしたのである。危機打開と共産党憎しの一念、このために自民党に身をゆだねることになったのだ。
 まさにマキヤベリスティックな党利党略以外の何物でもなかった。しかし、結果は蜷川虎三の圧勝に終わり、自民、公明、民社三党連合は無惨な敗北を喫した。その理由はいろいろあろうが、言論問題がカゲの主役だったといえなくもない。自民、公明、民杜という不明朗な連合はその足元をすくわれ、自民党、民社党両党支持者の中の「反公明分子」を柴田から離反せしめたことが大きく響いたといわねばならない。まさしく “斬る”は奇妙な政治的役割を担ったといえるだろう。
  -----(28P)----つづく-

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続・創価学会を斬る-5

2018-09-28 08:34:04 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・2/7>(再・掲載)
続・創価学会を斬る  藤原 弘達  昭和46(1971)/12  日新報道

              ------(P.19)---(以下、本文)-------
◆ 学会・公明党の内側に何が起こったか
 神格化されてきた池田会長が“おわび”をするということは、学会にとっては破天荒のことであった。当然のこととして、それをするには並々ならぬ決意が必要であったろうし、これをいったいどのように表明したらいいか、といった戦術的苦悩もあったろう。ともかくこの“お詫び”を出すにあたってさまざまな配慮が働いたことは疑いがない。事実、多分の演出を含めて池田大作の人間的苦悩なるものを、学会の内外に知らすためと、事件の隠蔽のためにさまざまのマスコミエ作が行なわれたことはまぎれもないところなのだ。
 さて、その“お詫び”の発端となった“言論出版妨害問題”について、竹入委員長が“事実無根”とシラをきったのは四十五年一月五日のことであるが、この“事実無根”から池田会長の“猛省”まで、学会・公明党の内部でいったい何が起こったのであろうか。
 一言でいえば、「未曾有の混迷」が起こったと評しうる。公明党のほうは、周章狼狽して力メレオンのようにハレンチにくるくるとその立場を変え、学会のほうは池田会長の“お詫び”の準備のためにさまざまの手のこんだ陰謀をめぐらしたというように表現してもよいだろう。
 まず党についてみると、竹入委員長が“事実無根”とシラをきってから、わずか十日ほどしかたっていない一月十六日、早くも矢野書記長が言論抑圧問題でシラをきりつづけるのをかえって不利と悟ってか、あるいは真実をこれ以上隠蔽しつくせないと判断してか、いわゆる“接触の事実”を認めるにいたった。ところが矢野書記長は接触の事実を認めながら、他方でさまざまないい訳をしているのだ。例えば「客観的に正確な評価をしてほしい」とか、「出版時期について考慮できないかと、要望しただけで脅迫的なことはなかった」といったことをグチャグチャとくりかえしている。しかし、藤原行正都議会議員が私に接触したこと、一般書店についてその取扱いを考慮するよう要望した若干の事実がある、といったいわゆる“接触の事実”は認めざるをえなかったのである。
 いったい「選挙の時期を狙った出版ではないのか」「選挙妨害の意図があるのではないか」
 「出版時期について考慮できないのか」といった交渉の仕方が、まともな交渉と受取れるかどうか。それは別にしても書店に「取扱いを考慮しろ」と一種の脅しをかけているのだ。それが言論出版の妨害にならないのかどうか。「考慮しろ」とは事実上は売ることを「止めろ」ということにほかならない。そうした事実は彼としても認めざるをえなかったワケである。
                      ☆
 私が問題を提起して以来、これまでさまざまの創価学会・公明党の批判書が闇から闇へ葬られたり、さまざまの圧力をかけられたりしていたことが明るみにでてきた。そしてこの問題をまず共産党が大きくキャンペーンし、社会、民社両党も国会で追及するという方向を発表して、国会の論議の対象となったことは、これまた周知のところだ。
 だが、私や内藤国夫、あるいは社会、民社、共産三党などの批判に対して、公明党はいったいどれだけマトモに答え、それなりの反省をしたのか。
 後等は言論や出版を抑圧したことを反省するどころか、鈴木ー弘参議院議員などは、むしろ「泥にまみれても戦え」というようなことを述べているのだ。二月十四日(四十五年)の両院議員総会で衆議院議員の瀬野栄次郎は「泥仕合になるのは遺憾だが、もうやむをえまい。我々は共産党に関する攻撃材料をいくつも用意している。他党の事例も調査した。民社党の言論抑圧の事例もここにある。党執行部の勇断を求める。なんなら我々だけでもやりたい」と反擎強行論をぶっているのだ。
 また参議院議員の黒柳徹は「現状で国会審議が進めば“公明党いじめ”の国会になる。事実のない問題で政府に資料を要求するのなら、我々も野党議員のスキャンダルの事実を知っているので、政府に資料要求をしたい。共産党についても生活保護費の不正受袷など数限りなく問題はある。これらを究明するため全党をあげて調査特別委員会を作り、反撃に転ずるよう党執行部の勇断を求める」と発言している。
 そのほか岡本富夫、小川新一郎、大久保直彦、相沢武彦、林孝矩、二見伸明、田中昭二、近江已記夫(以上衆議院議員)、二宮文造、渋谷邦彦、宮崎正義、山田傲一、田代富士男、三木忠雄、多田省吾(以上参議院議員)等、公明党の国会議員のほとんどが問題を自分のこととして反省せず、“毒には毒をもって制せよ”、“泥には泥を投げ返せ”、“目には目を、歯には歯を”といった論法で執行部を突き上げているのだ。彼等は少しも問題の本質をつかんでいないばかりか、いささかも反省の色がみられなかったのである。
 これに対して執行部は、戦術的な配慮から、この問題は何といっても公明党に不利である、反撃が最善かどうか、それがどうもわからんということで、竹入、矢野等執行部は憤激する議員たちをともかく抑えたのである。(足立利昭『新生する公明党』一六〇~一六三ページ)
 こういった公明党議員の無反省な態度をもっとも的確に表現したのが一月十一日に創価学会学生部幹部会議でなされた渡部一郎代議士の発言である。彼は次の調子で言論出版妨害に対する批判、攻撃をせせら笑ったのである。
                      ☆
 社会党のうすバ力どもが調子にのつて、「言論の自由の問題は政治の問題であるから、われわれもとりあげたい」--このあいだからとくに百四十議席から九十に落ちたが、こたえているんだな。ひがぬいとる感じだな(笑い)。まだいいよ、九十あるじやないか。そのていどですんで感謝しなきゃいかん(笑い)。そうひがむなよ(笑い)。こっちなんかまだ四十七で我慢してるじやないか(笑い)。とにかくひがんだヘンな目つきして傷だらけの傷病兵みたいもんだ。ぼくらとすれ違うと、うらみがこもた目つきでみる(大笑い)。
 そこへ民社党が「あの問題はウチがいい出したものだ。言論の自由の問題は重要だ。この際徹底的に公明党をやつつけなきゃいかん」とかワイワイいう(笑い)。
 共産党をやっつけるのが立党の精神なら、民社党は共産党としっかりたたかうべきだ。それを公明党 とケン力して、どっちの味方なんだ。わけがわかんなくなる(笑い)。頭が宙返りしている。そんなんじゃしようがない。ほんとうの政治家とは思われない。気がちがっているとしか思われない(笑い)。
 それから自民党なんかにものをたのむほどうちは落ちぶれていませんよ。はっきりいっておくけど(長い拍手)。
 皆さんにわかってもらいたいんだけどうちは自民党に“貸し”はあるけど“借り”はないですよ(拍手)。“貸し”はいろいろあるけどね。さいきんは“角”とか“福”とかいう連中がつぎの総理になるそうなんだな。はっきりいっておくけど、両方とも“黒い霧”のヒモがちゃんとついてるんだ。導火線をうちはにぎっとるんだ(笑い)。いつだって火はつけられるんだ(笑いと拍手)。
 選挙があるから、がまんしているだけだ。それなのにいい調子になりやがってね。うちをおどかす片棒をかついでいるやつなんか、ようしゃせん。
 ようしゃせんとわれわれが怒るだけで、向こうはあわてちやってるんです。
 どうかこのさい公明党にたいして、創価学会にたいして、池田先生にたいして好意的な目つきをしておかないとオレの総理への道は落し穴をつくられてしまう(笑い)、時限爆弾をしかけられてしまう(笑い)。かれらの恐怖と脅威は毎日ふえる。それこそ顔面まっさおになって、毎日ふるえながら新聞をみているのは、自民党ですよ、ほんとに(笑い)。
 転じてマスコミに対しては「このばかばかしい事件、まるっきりウソとゴマカシとデマと中傷で固めた鼻紙みたいなもの」、「この間までガンガン書いていた新聞社が、止めてしまいました。何故止めたか。何かというと口を出す公明党か、これだけいわれても黙っているのは深いわけがあるのだろうといって、新聞記者が恐ろしくなってきたのであります」「こんなうるさいときにしゃべっても、仕様がない。静かになったときしやべる、いっべんにそのときに言つてやろうと待ち構えているのです」

 以上のようにやってのけたわけである。この発言はやはり後世の「記念」として残しておいてよい。彼等のアウトロウ的な脅迫型体質がハッキリとあらわれているといえるだろう。
  -----(25P)----つづく--

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続・創価学会を斬る-4

2018-09-27 11:03:31 | Weblog

  <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・2/7>(再・掲載)
続・創価学会を斬る  藤原 弘達  昭和46(1971)/12  日新報道

              ------(P.17)---(以下、本文)-------
1.変わるに変われない創価学会の中味
         卑怯きわまる面従腹背の姿勢
◆ 何故問題にしなければならないか
 創価学会会長池田大作が“言論出版抑圧問題”についていわゆる“謝罪”なるものをやったのは、昭和四十五年五月三日のことであった。それを分水嶺にして創価学会・公明党はいわゆる衣替えをし、宗教のことは学会、政治については公明党というように、両者の関係にはハッキリしたケジメがづけられた、といわれている。
 それ以来ジャーナリズムの上では学会についての批判らしい批判はメッキリと少なくなってしまった。公明党については政策の次元で批判されることはあっても、学会と公明党との関係について論ぜられることは殆どなくなったのだ。
 しかし、本当に学会と公明党は分離し、それぞれ独立し、自主性をもち、それぞれことにたっているといえるであろうか。言論出版閭題は池田会長の“おわび”ですベて解決してしまったのであろうか。
 私が『創価学会を斬る』で述ベている学会や公明党の病理は切開手術をほどこされ、その将来の危険性はもはや完全に除去された、といえるであろうか。まさにとんでもないといわなければなるまい。
 公明党は依然として奇妙な政治勢力としてそれなりの役割を果たしており、学会もまたマンモス組織として依然大きな大衆への影響力をキープしている。とすれば、ポスト『斬る』についてアフターケアを行なうことは問題の「火付け役」となった著者の当然の責任であろう。
                      ☆
 私の提起した問題や言論出版問題についても真の決着がついているのかどうか、当の筆者自身甚だ疑問なのだ。とくにあれほど騒いだマスコミが今やシンと静まった形だが、いったい彼等が言論出版問題や、私の提起した問題から何を感じ、何を反省し、何を学んたか、これも疑問である。そうしたことをひっくるめて、今や『斬る』問題が起こってからほぼ二年たったこの時点で、一種の白書を出す必要を痛感するようになったということである。
 というのは、私が真正面から問題を提起するまでは、周知のようにマスコミ、出版界、広告業界等は創価学会・公明党の組織の強大さ、資金の莫大さにおののいて、あえて学会の批判をするものもなく、これをタブー視してきたわけだが、いったいこうした民主主義の生命ともいうべき言論の自由が損われていたことについて、どれだけ反省し、自覚し、これを守る覚悟を新たにしたか、という大いなる疑問が残っているからである。こういう恐るべき健忘症は日本の将来に重大なかかわりあいがあるといわざるをえまい。
 そこでまず、ここでは池田大作会長の“お詫び”まで、いったい学会の内部、公明党の内部で何がなされ、何が起こったかを少しふりかえってみることにしよう。
  -----(19P)----つづく--

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