陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

映画「ザ・ハリケーン」

2011-09-25 | 映画──社会派・青春・恋愛
映画やドラマを観るたびに、こんなことあってたまるか、と思うことがある。
実写だからこそ、なおさらそう思う。たいていは明らかに荒唐無稽で、展開が強引でご都合主義的なものに対して呆れ気味にそう思う。しかし、数少ない例ではあるが、その登場人物のおかれたたとえようもなく理不尽な境遇に身を沿わせて、ふつふつと義憤に駆られてしまうものがある。
1999年のアメリカ映画「ザ・ハリケーン」(原題 : The Hurricane)も、冤罪で投獄されてしまったボクサーの孤独と、周囲からの支えで自由を求めるまでの戦いを描いた感動作であった。
この映画は洋画にはめずらしく人道的で、卑猥なジョークもないため、できれば学校などで放映されてほしい名作であろう。ただ、題名からうっかり災害パニック映画(もしくはDVDのパッケージでただのボクサー映画か)と誤認される向きがあるので、なんらかの副題を邦訳でつけてほしかった。

ザ・ハリケーン [DVD]
ザ・ハリケーン [DVD]おすすめ平均 stars個人的にはデンゼル・ワシントン代表作であり最高傑作starsとにかく重いstars人権闘争の実話starsなかなかの秀作ですstars補足Amazonで詳しく見る by G-Tools



1966年の6月17日未明、ニュージャージー州パターソンのバーにて、強盗殺人事件が発生。目撃者の証言をもとに、当時、現場近くを友人とドライブしていた、ボクサーのウェルター級王者ルービン・カーター(リングネームは「ハリケーン」)が逮捕されてしまう。終身刑を言い渡されたルービンの刑務所暮らしはこうしてはじまった。
獄中から出版した手記が反響を呼び、ボブ・ディラン、モハメド・アリら有名人が呼びかけて無罪放免を訴えたが、ニ度の州立裁判所での審議ではいずれも有罪。弁護に回った多くの支持者が去っていく。
やがて、失意のルービンのもとへ、カナダの黒人の少年レズラからの手紙が届く…。

レズラもまた不幸な境遇に生まれながらも、いまは慈善活動家の白人三人と共に暮らす幸福な身の上。ルービンの書物にくまなく目を通し、彼が少年時代からパターソン一帯を牛耳る古参刑事デラ・ベスカの陰謀(最初にベスカに拘束された理由は少年ルービンの正義感によるもので、相手のした行為を思うと虫酸が走るに違いない)によって、濡れ衣を着せられたことを知るや、いてもたってもいられず、獄中のルービンを訪れ親交を結ぶ。
やがて、レズラはルービンの釈放を求めるべく、保護者であり同居人であるリサ、テリー、サムらの尽力を得て、徹底的に洗い直した新しい証拠を連邦最高裁判所へと持ち込み、裁きを仰ぐ。

結果はこれまでの判決が覆って、即時釈放。
そのとき1985年11月7日。すでにルービンは五十歳を迎え、髪には白いものがまじりはじめているくらいの年の頃。
絵に描いたようなあっさりした展開にみえるが、これが実話というからなおさら驚く。だからして、なおさら感慨深い。人種差別によって罪なき黒人が刑に処せられた「アラバマ物語」と似た状況である。だが、あの名作が製作された1962年よりも、ルービンを襲った不幸は後のことであり、自由と平等を愛する合衆国にあっても、未だもって根強い人種差別が残っていることに胸が痛む。

と同時に、弁護士ではなく、一介の市民にすぎない少年たちが立ち上がったということも注目しておきたい。
レズラたちの善意をありがたいと思いながらも、あるときはこれまで幾度も挫折してきた支援者たちの活動を振り返って疑心暗鬼に駆られ、またあるときはレズラたちの身の上を案じて、なす術のない諦めにくるまれた精神の牢獄へと自身を追いやっていこうとしたルービンの姿が、なんとも切なく憐憫の情を誘ってやまない。

主演は「ボーン・コレクター」「戦火の勇気」のデンゼル・ワシントン。役づくりで筋肉隆々のボクサーから、痩せた中年期までを演じた気迫はすばらしい。まぎれもなく、知性を感じさせる好感度の高い黒人俳優のひとりだろう。
監督は「屋根の上のバイオリン弾き」のノーマン・ジュイソン。

2010年9月に発覚した、郵便不正事件に絡む厚生労働省局長の誤認逮捕など、検察・警察の検挙率をあげるために、無実の人間が陥れられるというあってはならないことが、すでにこの日本でも起きている。権力をもった有力者が、弱くて守る術もない者に罪を擦りつけ、罪人としてでっちあげ、その名誉を奪い、社会から葬り去ろうとする。そんなことはぜったいにあってはならないことだ。

検察審議委員会がついに小沢一郎議員を強制起訴したことからも、我が国での市民感覚が反映された裁判制度が変わりつつある気運を感じる。
だが、人を罪人にするのは簡単だが、有罪を無罪にするのははたして難しい。いったん容疑者を極悪人のように報道したメディアの先入観を拭うのは難しいからだ。しかし、市民感覚の裁判制度とは、いつなんどき自分が被害者にも加害者にもなるかもしれないこの不安定な時代にあって、自己を守り法廷で正当に訴え出るための必要不可欠な試練ともいえる。

(2010年10月8日)

ザ・ハリケーン - goo 映画



この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本映画「さよなら、クロ」 | TOP | ☆動物を愛でる映画☆ »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 映画──社会派・青春・恋愛