怠るな!

残しておきたいことと残しておいてはいけないこと

街歩きの靴は?

2024年04月29日 18時59分59秒 | たわごと
ウオーキングが習慣づいてる。
ほぼ毎日7000歩以上歩いてる
ここ二年近く歩いてる

歩かなかったのは病気で寝込んでいた時だけだ
当然靴を履いて歩く
今私は三足の靴を持っている。否。長靴があったので四足だ。
長靴と二十数年前まだ前世紀の頃岡谷に当時あった東急百貨店で買った黒の勝負靴。
数年前に買った茶色の革靴、去年かった黒の紐なしの皮靴。

なんの気なしに少し前から、ウオーキングシューズを買ってもいいかなと思い始めてた

思い立ってイオンに行ってきたが

どうにも気に入らないスニーカーっていうのがよくわからない
革靴はビジネスシューズなのはわかるが
ビジネスシューズ以外となると、なんでか野原や山を歩くイメージになるか
ジョギングでも始めるか
はたまた登山でも始めるスタイルに見えてくる

こっちは街歩きをするときの靴が欲しいのに

スマホで街歩きの靴ってググってみれば防水仕様トレッキングシューズなどと出る

トレッキングて登山でしょ

結局買わずに帰ってきた

辞書でスニーカーと引いてみる
「底がゴム製の運動靴」とある
底がゴムねえゴムじゃなければなんなの皮か?プラスチックってあるのか?

まあいいや黒か茶色どっちかお釈迦になる迄まだしばらく行けるだろう
そのうち気に入ったやつが見つかるだろうってことで
今までは最近買った黒ばっかりを主に普段着扱いだったが
明日から黒と茶色を交互に履くことにするか
どっちが先にくたばるか
くたばったほうの色の靴

そうだバックスキンがいいかも

昔気に入ってたような気がする

爺さんの履く靴もむつかしいでんな

「季賀状」ってどうだろう?

2024年04月28日 15時27分01秒 | たわごと
虚礼廃止の影響なのか、いっとき年賀状をやめるといった動きがあった。
そんな動きとは関係なく、若い人たちははなから賀状交換なぞやってないと言う。
また、年を取りましたので今年で賀状を出すのを最後にします。などという賀状をいただいたこともある。
そんな社会の流れに抗うつもりなぞではないが
年に何度か、賀状めいたものを出したくなった。
我ら世代より上の人々の中には、ブログなどのネット生活に馴染めない人がまだまだ多いと聞く。
現に昨年何十年ぶりかであった学生時代の友人に、私のこのブログのことを少し伝えたかったが、アンチネット生活のように見えたのでやめた。
そういった人々と、気軽に意思疎通というか情報発信できるのが、はがきではなかろうかと思った。
季節ごとの賀状、いわば季賀状てなものはどうだろうか?
一枚のハガキを見て安否確認にもなるし、こんなふうに生きてるよと情報発信にもなる。
去年からぼつぼつやり始め
昨日今年の第二陣を投函した。
立夏を前に「春惜しむ」ハガキだ
14人に送ったが、何人が喜んでくれるだろうか?

次回は「夏越の祓」ハガキ、驚かせてもいけないが、もらって喜ばれるような内容にしたい、デザインやら内容やら考えるのは楽しい、出す相手も増やしたいが

お友達が極めて少ない、いやほとんどいない爺なので……

句会に何を求める?

2024年04月26日 16時10分10秒 | たわごと
私は月に2回句会に出ている
ひとつは俳句結社の京都句会
これは今の私にとって切磋鍛錬の会
以前は毎月東京から主宰が来られていたが
今は年に数回となったが
諸先輩の目に叶うか?

今一つはカルチャーセンターの趣味句会
ええ加減な会で投句数もまちまちだし
清記もええ加減
誤字脱字もまあまあで
なあなあとなる
講師の人柄に惚れてるといえば聞こえがいいか?



我が家も買い物難民候補生?

2024年04月25日 13時11分19秒 | たわごと
テレビで買い物難民の話が出ていた
買い物難民って何だろうと思っていたら農水省が定義づけしているようだ
農水省のホームページを見るとこう定義していた
「食料品アクセス困難人口とは、店舗まで500m以上かつ自動車の利用が困難な65歳以上の高齢者を指します。店舗は、食肉、鮮魚、野菜・果実小売業、百貨店、総合スーパー、食料品スーパー、コンビニエンスストア、ドラッグストアが含まれます。」
車がなければ我が家は買い物難民なのだ
歩数で測ればコンビニまで7~800メータぐらいか
また、このホームページによれば
「食品アクセスに困難が想定される人口は、2010 年の382 万人から2025 年には598 万人に56.4 %増加すると推計される」
とある

これってただ単に団塊世代の人数のことを言ってるだけの話なんだが
政府の役人が物々しく書くと何やら重大問題のように見えるからおかしい

定義づけを変えないと論議がおかしな方向に向くような気がしたが……
本来の買い物難民は過疎化と照らし合わせたり
少子化問題とリンクさせないと
ただ単に世代人口の多寡に起因する問題ではなかろうに……

効果の出ない筋トレ

2024年04月24日 19時17分21秒 | たわごと
3月から腹筋を始めた朝晩30回ずつ
途中お尻の皮がめくれて10日ほど臍見にしていたが先週復帰した
スクワットは以前からやっていたが3週間前から朝晩三十回ずつにした
壁立て伏せを今月から朝晩三十回ずつやり始めた
運動嫌いにしては
頑張ってると思ってるが

結果が出ない
まあ始めたばかりだから
出るわけないが

3ヶ月が目安な様だとネットでググれば出てくるが
この夏には?



鎌足の子 不比等

2024年04月22日 15時48分49秒 | たわごと
多分藤原氏の栄華を考えるときは鎌足から始まると考えるが、

その権謀術策を考えると不比等から始まると考えるような気がする

なにせ、娘を天皇に嫁がせて出来たのが後の聖武天皇
その聖武天皇に嫁がせたのも娘の光明皇后
その間に生まれたのが後の孝謙天皇

あとはこれに倣ったのだから

一夫一婦制では考えられない
理解できない話ですね


To Doリストの効果

2024年04月21日 21時52分01秒 | たわごと
昨晩作った 本日のTo Doリスト
何とかこなして赤鉛筆で消していって
今七つ目を赤線で消し終えた
雨が降ってるので雑草や外回りは止む終えないということにして
あと4つ

自分で自分を律する事の難しさ

ここまで、夕方に書いてその後は

まあまあ思った程度にはこなせた

明日も、頑張ろうと
リストを作った

明日から食事当番なので
その分も

雨勝ちの一週間になりそう


怠惰なもんで情けなや

2024年04月20日 19時24分10秒 | たわごと
このところ、なんでか自堕落というか怠惰というか
怠けグセのような感じがして困ってた

どないしたら、シャキッと出来るんやろ

春やからか?

ふと思い当たったのが
少し前まで習慣になっていたのに
ここんところやっていなかったことに思いついた

予定表作成だ

翌日やろうと思ってる事を
箇条書きにメモ用紙に書き込んでそれを机の前に貼っておく
翌日そのメモをみながら
出来たら赤鉛筆で消していく
一つずつ赤で消していく
するとひとつ出来たら赤線
ひとつ出来たら赤鉛筆
するとだんだんできたことが見えてくるので励みになって
進む
そうだコレコレ
明日やれたことを消していけばいい

十幾つ箇条書きにしたので
相当厳しい明日やってみる
できるはずやってみまひょう

お歯黒と時代劇のリアル

2024年04月19日 20時31分00秒 | たわごと
「時代小説は翻訳文学だ」とはうろ覚えだが
澤田瞳子さんの言葉だったはず
つまり、当時の言葉そのままでは我々には
伝わらないので現代文に変えなければならない
よって翻訳文学となる
名言だと思う
「光る君へ」でも大胆に翻訳されてるが

それとは別に風俗はどう伝えるのか?

どうもこの辺が相当ええ加減に
なって
明治時代の人が白紙にペンで横書きに文字を書いてるさまなんぞ
笑ってしまう

最近とんと見なくなったのが
お歯黒だ
昭和三十年代にはしっかりテレビでも
していたのに
?

俳句の添削を受ける

2024年04月17日 18時52分20秒 | たわごと
俳句結社に入会すると
師の添削を受けることができる

先生に朱を入れてもらうのだが

さあ、その後だ

他の人はどうか知らないが
これまでの私は
「うわーやられた!
そんな手があったか!」
とのたうち回って
チョン
だった


この前、ユーチューブで池田澄子さんが
おっしゃってた
先生に
句をみてもらう
これではだめと返される
ではこれでと
再提出
それを何度か繰り返してできたのが
とおっしゃってた

同様なことを
井上弘美さんも
おっしゃってた

そしてどなただったか
添削を受けてだめを出されてから
本当の推敲が始まるとも

ならば私もと
今朝FAXで帰ってきた添削

何とかもうひと頑張りと宿題が増える


一泊二日

2024年04月16日 17時00分58秒 | たわごと
去年は二週間ごとの岡山だったが
今年は月に一度の岡山となった
それも日帰りだったが
今回は昼からでたので
日帰りがきつく
泊まった
泊まったら
飲んでしまった
と言っても300ccの日本酒一本だけだが
いかんいかん

動き出したら、
予定が埋まり
それはいいのだが

やらなければならないことが飛んでしまう

今夜は引き締めて

藤原道綱の母は「悲しみを救うために書く」というセリフだった

2024年04月14日 15時09分39秒 | たわごと
大河ドラマでのセリフ
藤原道綱の母(蜻蛉日記の作者)が紫式部に問われて
「日記を書くことでおのれの悲しみを救いました」と答えている

もちろんこれは脚本家の大石静さんが作ったセリフだが
現代でも通用するセリフとして用意されたものだろう
人は自らの悲しみを救うために書くという方法があるのだろう
というか書くことでやはり救われるということなのだろう

多分俳句にはないわな多分

俳句を書くことで悲しみから救われることがあるのだろうか
短い私の経験からはない

短詩系なのでだろうか?

ひさしぶりに何度も見返してセリフをコピーさせてもらった

今日も行きそびれた岡山

さあ岡山いつ行くか
明日は車の定期点検だし
水木は予定があるし